8月8日の朝、立秋の日

いつも不思議に感じることだが、旧暦の8月8日を立秋と決めたのを何故に踏襲しなきゃならないのか?

先ずは、日本における旧暦の歴史をWikipediaより引用してみよう。

日本

日本の旧暦は天保暦である。天保暦は今なお占いや伝統行事などで需要があり、旧暦もしくは陰暦の俗称で用いられている。ただし後述するとおり、現在旧暦として使われている暦は改暦前の天保暦とわずかに異なる。

天保暦は明治5年12月2日(1872年12月31日)まで使われていた。その翌日の12月3日をもって明治6年(1873年)1月1日に改められ、グレゴリオ暦(太陽暦)に改暦された。改暦は明治5年11月9日(1872年12月9日)に布告し、翌月に実施された。この年の急な実施は明治維新後、明治政府が月給制度にした官吏の給与を(旧暦のままでは明治6年は閏6月があるので)年13回支払うのを防ぐためだったといわれる(改暦にともなう混乱の詳細は、「日本におけるグレゴリオ暦導入」の節を参照)。

もっとも、グレゴリオ暦への移行は改暦とともに社会全般に徹底されたわけではなかった。官暦(政府発行の暦)でも、明治6年版では改暦の混乱を避けるためとして旧暦が併記されたが、翌年以後も旧暦併記が続けられた。伝統行事・生活慣習などでの使用状況を考慮したものであったが、官暦での旧暦併記がグレゴリオ暦普及を阻害するとの批判もあるなど議論が繰り返された。官暦での旧暦併記廃止の過渡期に、日付に代わる月の満ち欠けの記載が始まっている。1908年(明治41年)には帝国議会衆議院で「陽暦励行に関する建議」が可決され、1910年(明治43年)の官暦から旧暦併記が行われなくなる。1910年の旧暦併記廃止は同時代の人々に「旧暦廃止」と認識され、旧暦に基づいた行事が新暦や月遅れに移行する画期のひとつとなった。

旧暦と新暦では、ほぼ30日のズレがあるのだが、旧暦の計算は複雑で、閏月を加える場合がある。




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この閏月があると計算が変わり、今年の立秋は、旧暦の6月24日となる。

実に、45日の開きが出てしまう。

ネットで「旧暦と季節感」を読み、少しこの疑問が解けるようになった。


http://www5a.biglobe.ne.jp/%257eaccent/kazeno/calendar/kisetu.htm


実に、日本人は季節感を正確に読み取るために、太陽暦も勘案して、日本独特の二十四節気や雑節を考案していたのである。

もともとこの二十四節気は、中国の華北地方で考えられたもので、大陸の季節の移ろいは早く来るものだということらしい。

それにしても、季節感を大切にする日本人の伝統は永く残していかなければならない。

「立秋や古人の肌となる」

ハイジャン男