俳句大学の永田満徳先生より

拙句

「記念碑の上より叫ぶ大夕焼」

にコメントを頂いた。



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「意味不明」

掲句をもしも

「記念碑の上より眺む大夕焼」

にしたら、当たり前句になってしまう。

フェイスブックのコメントを参照頂きたい。



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永田先生は、まさか記念碑の上に登るとは想像されていなかったのだ。

なまじ、写真付き投句にしたので、記念碑が具象化され、それによって読者のお一人、永田先生は混乱されたというわけである。

俳句の読者が五七五の文字を頼りにあらゆるインスピレーションを働かせて俳句を読む。

これが本当の姿であろう。

ハイジャン男は、俳句にはミステリーがあっていいと思う。

所謂、俳句の抽象化である。

しかし、全くもって抽象化してしまうと、読者は混乱し、採ってくれなくなるのだ。

この俳句の抽象化の匙加減が大切だと思っている。

そうは言うものの、ハイジャン男の句にそんな抽象化を施した句があったろうか?

「曼珠沙華ゲーテの如く呟けり」

を挙げておこう。

いい例とは言えないが、、。

ゲーテの

「もっと光を!」

と曼珠沙華が呟いているのだ。

ところで、発句の推敲が必要だ。

「記念碑の上は子らへの大夕焼け」

ハイジャン男