郵便局に標題のポスターがあった。



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桧原桜のストーリーは福岡市のホームページより引用しよう。





昭和59年の春。福岡市南区桧原の,小さな桜並木が道路の拡幅で,開花を目前に,伐採されようとしていました。
それを悲しんだ一市民が桜に次の歌を下げて,市長に「最後の花を咲かせて」と嘆願したのです。

筑前花守(も)り進藤市長殿
 
「花あわれ せめては あと二旬(にじゅん)ついの開花を ゆるし給え」

・二旬:二十日間 ・ついの:最後の

 
それから共感の歌が桜に次々と寄せ
られ,花哀れの大コーラスに広がり
ました。その中に

「桜花(はな)惜しむ大和心(やまと
ごころ)のうるわしや とわに匂
(にお)わん 花の心は」

香瑞麻

の1首があり,のちに進藤一馬福岡市長
の返歌としれました。そして,計画が花
を活かす道に変更されて桧原桜に,永遠
(とわ)の開花が許されたのです。

何と美しい話ではないか!

ハイジャン男は、和歌の素養はないが、
ぜひ応募してみたい。

「桧原なる青葉桜の生き生きと」

ハイジャン男