ハイジャン男のブログの記事数は、1900を超え、山だけでなく、年号でも20世紀になってきた。
そこで、1905記事目のこの記事は、日露戦争の終結年の1905年に因んで、日露戦争という特集にしたい。
日露戦争のことをWikipediaでおさらいしておこう。
日露戦争(にちろせんそう、英語: Russo-Japanese War、ロシア語: Русско-японская война ルースカ・イポーンスカヤ・ヴァイナー、1904年(明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日)は、大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部と、日本海を主戦場として発生した戦争である。両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和した。

大日本帝国
- 三国干渉および義和団の乱後満洲を勢力圏としていたロシア帝国による朝鮮半島への南下(朝鮮支配)を防ぎ、日本の安全保障を目的とした戦争。
- ロシア帝国
- 遼東半島の旅順、大連租借権等の確保と満洲および朝鮮における自国権益の維持・拡大を目的とした戦争。
- 死者に関してみると、
- 日本人の戦死者は、11万5600人に対して、ロシア側は、4万2600人と少ない。
- おそらく、ロシア側には、戦意喪失し、捕虜となった者が多かったのだろう。
- 「春の雨百十年の時刻む」
- ハイジャン男