二枚の写真の上と下の遠くに見える山々を繋げて見てほしい。若杉山、砥石山、三郡山、そして宝満山と連なる山々で、これらの縦走路を登山するコースを三郡縦走という。福岡の登山愛好家にもハードなコースとして有名だ。福岡市近郊の縦走ロングルートである。その距離は約20km。距離は長いが、比較的なだらかで展望もよく、宝満山からでも若杉山からでも楽しめる縦走路である。
ハイジャン男は、このコースの登山を一度だけ経験した。それは、中学2年から3年になる春休みだった。参加メンバーの名前は、敢えて敬称を略させてもらおう。参加者は、バスケットボール部の仲間たち、秋本、岡部、西村、藤、ハイジャン男。そのリーダーとして、バレーボール部の村山。
どうして、このような三郡縦走を思い立ったのか?経緯は分からないが、秋本、岡部、西村、村山は、男子クラスの1組であった。藤とハイジャン男は男子クラスの2組であった。1組の4人は2年生で同じクラスになってから、意気投合して、登山を繰り返していたようだ。そのリーダーが村山であり、後に、修猷館高校の登山部、そして、伝統ある京都大学の山岳部に入部した。2組の藤とハイジャン男は、三郡縦走をやるからついて来ないかと声をかけてもらったと記憶している。
朝早くに天神に集合し、バスで篠栗を目指した。そして、写真の上段の左の山の若杉山を先ず登った。若杉山は、678mで、油山より少し高い。名の通り、杉の木の生い茂る山だ。篠栗には、真言宗の名刹の南蔵院があり、四十九ヶ所巡りが盛んで、若杉山にも札所が多くあり、信仰の山としても有名である。大きな杉の木の生い茂る暗い山道を恐る恐る登った記憶が蘇る。
若杉山頂に来ると、急に明るくなり、春の陽射しのポカポカする好天に恵まれたことを実感出来た。さあ、これから、三郡縦走のスタートだ。砥石山(828m)を目指すためには、一旦ショウケ越と呼ばれる峠まで下りなければならない。その高度差は約200mのようだ。そこから、砥石山を目指す。ここが三郡縦走の中で一番の難所だ。崖のような広い縦走路を胸を付かんばかりに乗り越えた。このような登りをまたかというくらい何度も乗り越えたと記憶している。こうして、ようやく砥石山頂に到達した。
さらに、三郡縦走の中で、最高峰の三郡山が待っている。三郡山は、937mで、旧筑紫郡、糟谷郡、嘉穂郡の三郡に跨がる山で、この名前が使われている。現在は、自衛隊のレーダーが山頂を占領している。ハイジャン男たちが登った頃には、このレーダー基地はなかったと記憶している。
三郡山頂からは、宝満山へ向けてなだらかな縦走路を登り下りしながら向う。少しリラックスも出来るようになっていて、ダジャレの一つや二つも出ながらの縦走路ではなかったろうか?
最終の目的の山、宝満山に到達。旧宝満山の仏頂山は、868mだが、花崗岩の山頂の新宝満山は、830m。到着は、夕方の4時頃になっていたのではなかろうか?
それからは、前に書いた宝満山の登山の下りのコースを行く。ハイジャン男は、下りは苦手ではない。今でも、下りにはさほど苦手意識はない。こうして、中学同級生一行は、無事に麓の竈門神社に到着した。太宰府天満宮まで暗い未舗装の道路を元気良く歩いた。
あれから、48年が経とうとしている。ハイジャン男の三郡縦走仲間の5人は、全て健在で、一流企業を勤め上げた者1人、まだ重役で活躍の2人、会社経営1人、病院長1人と社会で活躍している。中学の2年生で三郡縦走を成し遂げた気力は、少なからず後の生き方に何がしかの影響を与えたのではなかろうか?
「健在の友寒明けの縦走路」
ハイジャン男
