
写真の蝶はキリシマミドリシジミという。雄である。2005年7月17日に脊振山で採集したもの。
ハイジャン男が蝶採集の趣味に出会ったのは小学校2年生の時であった。長姉の婿の父が九州大学理学部化学科の教授をしていて、蝶採集の趣味を持っておられて、ハイジャン男に蝶採集を勧めてくれたのがきっかけであった。
今、手元に昭和36年、保育社発行の「原色日本蝶類図鑑」がある。当時、850円したから、今で言えば一万円の価値があるかもしれない。この図鑑の著者は横山光夫氏。日本で初めてのカラーによる図鑑であった。

横山光夫氏のキリシマミドリシジミの説明文を見てみよう。
「130. きりしまみどりしじみ (原型) しじみちょう科
本種もわが国の誇る華麗な珍蝶として1921年7月15日初めて霧島山において発見されたもので、前種(やくしまみどりしじみ 1922年7月17日発見)と類似近縁のものである。雄は金色を帯びた緑の翅表、裏面は銀白。雌はB型(藍色紋)AB型(橙色、藍色併斑)の2型を示し、裏面は雄と全く異なり、美しい斑紋を現わす。年一回、7月の中旬から8月に及ぶが7月下旬が採集期で8月は雌の発生期にはいる。・・中略・・九州で観察された記録によると、正午から3時ごろの日盛りに最も活動することが示されているが、夕刻に飛翔するものは「うらぎんしじみ」の飛ぶようで裏面の銀色があざやかに認められる。食樹はアカガシ、卵で越冬する。」
ハイジャン男が小学校の頃も珍蝶として憧れの蝶であった。中学に入ると、2つ先輩の蝶採集同好者の間で脊振山に行けば採れると聞いていた。当時は脊振山に登ること自体にたいへんな労力を要する。ハイジャン男はバスケットボールのクラブ活動をしていたから、夏休みを空けることは叶わず、この珍蝶を手にすることは出来なかった。
それから時が流れて1995年、ハイジャン男はまた蝶採集を始めた。息子が小学校に入る時にこの趣味を伝授したいと考えたからである。最初は、日曜日に家の付近を息子、娘を引き連れて、モンシロチョウ、アゲハチョウ、クロアゲハなどからスタート。しかし、息子は三年坊主でおしまいに。テレビゲームに趣味を持って行かれた。それから、10年続けたが、福岡市近郊の採集では、50種から増えないままであった。
2005年の4月のみどりの日にミカドアゲハを採りに福岡市の愛宕山に出かけた時のこと。同年齢の同好者に会った。Mさんである。Mさんは一つ年上の福岡の地銀の部長さんだった。私と同じく中学まで山口県周防大島で蝶採集をしていたが、蝶採集を再開して2年精力的に採集種を増やしている勢いのある人であった。日本にはおよそ250種の蝶が生息するが、九州には沖縄を含めるとおよそ150種が採れる。ハイジャン男はMさんにせめて100種に採集種を増やしたいと希望を述べた。Mさんはこの2年で80種に増やしてきていた。二人ともに蝶採集を再開した同好者で、お互いに頑張ろうということになり、5月からMさんの車で久住山や阿蘇山遠征を繰り返した。朝3時に待ち合わせて、朝の6時には現地に到着していた。Mさん曰く、「同好者よりもいかに早く現場に着いて先んじることが蝶採集のコツ。」なんだそうな。
この年の夏には、2人の採集種は、上述のキリシマミドリシジミなどのミドリシジミの仲間、ヒョウモンチョウの仲間、タテハチョウの仲間などあっという間に増えていった。Mさんは研究熱心で情報をネットに求めたり、京都にある蝶研究所の出版本を手に入れて、蝶採集のポイントを熟知しておられた。私が蝶採集を始めた頃からおよそ半世紀の間に同好の皆さんの色々な情報の集積おかげで、キリシマミドリシジミのような珍蝶もポイントにさえ行けば採れる蝶に変貌を遂げていた。未採集の蝶はどんどん増えて、ハイジャン男もあと一息で100種に届くところまで来ていた。
その10月に、ハイジャン男に沖縄を出張するチャンスが訪れた。沖縄からやって来た学生の保健所実習の挨拶に二ヶ所の保健所を巡るもの。その挨拶を金曜日に終わらせて、土日曜日に沖縄の蝶を採りまくる計画を断行した。おそらく、20種近くを稼いで帰って来たと思う。勿論、その日、博多駅で沖縄遠征をしたことのないMさんに殆どの蝶はプレゼントした。こうやって、Mさんとハイジャン男は九州の蝶をおよそ120種持つことになった。

「国蝶やとりて天下の夏を知る」
ハイジャン男
(丘ふみ游俳倶楽部第13号)
国蝶とは写真のオオムラサキのことで大型のタテハチョウの仲間。Mさんと必死になってオオムラサキを追いかけ回したことが懐かしい。オオムラサキを捕まえたら天下を取った気分に浸れる。また、蝶ネタを紹介する。