只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。


「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

今回は「金堂陣屋」(滋賀県東近江市五個荘金堂町の「城門」をお届けします。

 

12万石~15万石であった「大和郡山藩」(奈良県大和郡山市)の内、近江国内は4万石も占めていて、その中で「蒲生・神崎・坂田」を管理するために置かれた「陣屋」でした。

 

「大和郡山藩」は、初代「水野家」→「松平(奥平)家」→「本多家」→「松平(藤井)家」→「本多家」→「柳沢家」と藩主が入替りますが、「本多家」の時の1683年に「近江国」を与えられて、その時から「金堂陣屋」が置かれました。

 

「金堂陣屋」の縄張りはスクエアで、現在存在する「稲荷社」の他に、「牢屋」「蔵」があっただけでした。就役者も「代官」1名、「手代」2名、「書役」2~3名が常駐する「役宅」が並ぶ小さな陣屋で、入口も「長屋門」の「表門」のみでした。

 

その「長屋門」型式の「表門」が陣屋西側の「勝徳寺山門」に移築されています。

 

内部は「番所」の役割を持たし「格子出窓」が付く立派な「長屋門」です。屋根の片方は「入母屋造り」、もう一方は「寄棟造り」で「桟瓦葺き」を採用しています。また外壁は、「下見板張り」になっています。

 

「長屋門」型式の「表門」が「勝徳寺山門」に移築 ↓

「長屋門」型式の「表門」が「勝徳寺山門」に移築(格子出窓が付く) ↓

「長屋門」型式の「表門」が「勝徳寺山門」に移築 ↓

「長屋門」型式の「表門」が「勝徳寺山門」に移築 ↓

「長屋門」型式の「表門」が「勝徳寺山門」に移築(内側から) ↓

「長屋門」型式の「表門」が「勝徳寺山門」に移築(鬼瓦) ↓

「長屋門」型式の「表門」が「勝徳寺山門」に移築(立派な門扉) ↓

 

 

 

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只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。


「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

今回は「柳本陣屋」(奈良県天理市の「城門」をお届けします。

 

「織田信長」の弟「織田長益(有楽斎)」が、「関ヶ原の合戦」で東軍に属して手柄を立てたので、この柳本周辺を含めた大和国を中心に3万石を得ます。

 

しかし「長益(有楽斎)」は、四男「長政」や五男「尚長(ひさなが)」の息子たちに各1万石を分与して自分は1万石を隠居料として領するだけとなり、その後の豊臣対徳川の対立が進むにつれて「淀君」と「家康」との中を取り持つ動きを行う為に、領地の殆どが大和国にありましたが、大坂城近くの「味舌(ました)陣屋」を居住地にしました。

 

「長益(有楽斎)」から分与されて1万石で立藩した「尚長(ひさなが)」が築城した「柳本陣屋」は、幕末まで続きます。

 

「柳本陣屋」の縄張りは、「柳本藩邸図」によりますと、「黒塚古墳」を北部に取り込み、古墳の周囲の堀を、内堀と外堀として利用しています。

 

陣屋の形は単郭でほぼスクエアな形をしていて、門は大手筋の西側に「西門」、そして「北門」「南門」を設けていて、南西隅には菩提寺である「専行院」を設けていました。

 

「柳本藩邸」説明書内より 「柳本藩邸図」(下が北方向) ↓

現在の陣屋跡範囲(下が北方向) ↓

 

「黒塚古墳」の北西隅辺りだったでしょうか、民家の北側に朽ち果てた「長屋門」型式の「門」がありますが、それが「陣屋門」の遺構と謂われています。瓦は「本瓦葺き」で格式の高さが見られます。

 

民間所有なので致し方ないことですが、もし本当に陣屋門の遺構ならば放置しておくのは気の毒だと思いました。

 

民家に移築されている「長屋門」型式の伝「陣屋門」 ↓

民家に移築されている「長屋門」型式の伝「陣屋門」(かなり枯朽が進んでいる) ↓

民家に移築されている「長屋門」型式の伝「陣屋門」 ↓

民家に移築されている「長屋門」型式の伝「陣屋門」(かなり枯朽が進んでいる) ↓

 

 

 

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「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

今回は「上窪田環濠集落・中家」と「伝多聞城」(奈良県生駒郡安堵町の「城門」をお届けします。

 

ただ先日(2024年7月)、当環濠集落・中家の一部とその横に建っていた「伝多聞城城門」が火事で焼失してしまい大変残念でなりませんが、ありし日の「城門」の姿をお伝えしたいと思います。

 

「中氏」はもともと「足立氏」と称して「足利尊氏」に従って大和に入り、「窪田」姓を名乗ってこの地に居館を造りました。1391年に「窪田中氏」と改姓し、岡崎・笠目・窪田の地を拝領して「筒井一族」の武士でした。「筒井氏」が「伊賀」へ国替えとなりましたが同行せずに、武士から帰農して大地主となって現在に至っているそうです。

 

その「中氏館城」の縄張りは、「外濠」と「内濠」の二重の濠に囲まれた「環濠屋敷」で、二つの濠の間は竹藪となっていますので、外部からは一見すると古墳や神社の森を思わせるようになっています。

 

現在は、この二重の環濠のうち、南外濠は失われていますが、その他の濠はほぼ残っていて中世土豪の「平城式居館」の姿をよく伝えています。

 

焼失前の縄張り図 ↓

 

「上窪田環濠集落・中家」の「表門」は、「中濠」に架かる「はねあげ橋」を渡った場所に構える立派な「長屋門」です。それを潜ると「主屋」になりますが、今回の火事で「主屋」の殆どが焼失にあったそうです。建物は、江戸時代初期(主屋は1659年)に建てられたモノで、重要文化財に指定されていました。

 

「中濠」に架かる「はねあげ橋」を渡った場所に構える「長屋門」形式の「表門」 ↓

「長屋門」形式の「表門」(「主屋」側から) ↓

「表門」奥が焼失した茅葺の「主屋」 ↓

 

その西側の「石田家」の敷地入口の「長屋門」型式の「表門」に「多聞城門」碑がたっていますが、近年鑑定をするとどうも「多聞城城門」ではなかったようですが、一時でもそのような言い伝えがあったことで夢をつなげたことから紹介をしておきます。ただ、この時点ではかなり朽ち果てた状態で放置されていました。

 

「伝多聞城城門」と謂われていた「長屋門」型式の「表門」 ↓

「表門」前に立つ「多聞城門」碑 ↓

「表門」前に立つ「多聞城門」について ↓

「伝多聞城城門」と謂われていた「長屋門」型式の「表門」 ↓

「伝多聞城城門」と謂われていた「長屋門」型式の「表門」 ↓

「伝多聞城城門」と謂われていた「表門出窓」 ↓

「伝多聞城城門」と謂われていた「表門門扉」 ↓

 

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今回は「小泉陣屋」(奈良県大和郡山市小泉町の「城門」をお届けします。

 

元々は「小泉家」のお城でしたが、「筒井家」との争いの中で、その傘下に組み込まれ重臣として仕えます。その後「筒井家」の移動に伴い、この地域を「豊臣秀長」が統治してお城には「秀長」の家臣が城主として入ります。

 

「関ケ原の合戦」後、「片桐且元」の弟「貞隆」が1万4千石で入城します。というのも、元々は「豊臣家」の家臣でしたが中立を貫いたことで、「且元」は豊臣方のお世話係のような位置づけで大坂に近い「茨木城」に移ります。

 

「大坂の陣」でも「貞隆」は兄「且元」とともに豊臣方の補佐を任せられますが、「且元」は徳川方と豊臣方の間の取次に苦労するとともに、「大坂城」にいた「淀殿」からは疎まれて、結局は徳川方に付きます。

 

その結果、戦後は元の領地である「小泉城」に戻り、「小泉陣屋」を築いて統治し、幕末・維新まで続きます。

 

現在「小泉城・小泉陣屋」の「高麗門」型式の「城門」が、「小泉神社 神門」に移築されています。

 

「門扉」は竪格子の「透かし戸」になっていますが、真ん中を板で覆っています。

 

「高麗門」型式の「城門」が「小泉神社 神門(表門)」に移築 ↓

「高麗門」型式の「城門」が「小泉神社 神門(表門)」に移築 ↓

「高麗門」型式の「城門」が「小泉神社 神門(表門)」に移築 ↓

「門扉」は竪格子の「透かし戸」 ↓

 

 

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「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

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「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
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今回は「芝村陣屋」(奈良県桜井市の「城門」をお届けします。

 

当藩の藩祖「織田長政」は、「柳本陣屋」藩主(城主)の藩祖「織田尚長」とは兄弟で、「織田信長」の弟であった「織田長益(有楽斎)」のそれぞれ四男、五男です。

 

元々は父親である「織田長益(有楽斎)」の領地の内1万石ずつを分けて得た領地で、「長政」は当初、「戒重(かいじゅう)陣屋」(奈良県桜井市)に居を構えていましたが、1745年7代藩主「輔宜」の時に「芝村」へ陣屋を移し幕末・維新まで続きました。

 

「陣屋」跡近くには、「織田家」の菩提寺「慶田(よしだ)寺」が建ちます。非常に立派で厳かな寺院で、その正門には「長屋門」型式の「陣屋惣門」が移築されています。

 

屋根は「入母屋造り」で「本瓦葺き」、正面向かって右側には「番所」を設け、「門扉」脇には「潜り戸」が付きます。

 

「長屋門」型式の「陣屋惣門」が「慶田寺山門」に移築 ↓

「長屋門」型式の「陣屋惣門」が「慶田寺山門」に移築 ↓

「長屋門」型式の「陣屋惣門」が「慶田寺山門」に移築 ↓

「入母屋屋根」の「丸瓦」には織田家家紋「織田木瓜」が見えます ↓

「長屋門」型式の「陣屋惣門」(「番所」が付く) ↓

「長屋門」型式の「陣屋惣門」(「番所」と「潜り戸」が付く) ↓

 

長い白壁の塀の向こうに見える「正門」は、古都のお寺の雰囲気を感じさせるモノがあります。

 

「慶田寺山門」に移築された「陣屋惣門」と「白壁土塀」 ↓

「慶田寺山門」に移築された「陣屋惣門」と「白壁土塀」 ↓

 

また菩提寺「慶田寺」の寺院内には、「織田長政」から歴代藩主の墓碑があります。

 

菩提寺「慶田寺」の「東門」 ↓

織田家菩提寺「慶田寺」内の初代「織田長政」墓碑  ↓

 

 

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「用途別」
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今回は「大和郡山城」(奈良県大和郡山市の「城門」をお届けします。

 

1580年に「筒井順慶」が大和を平定してその統治の中心地として「大和郡山」にお城を築きました。

 

次に1585年に100万石で入城したのは、「豊臣秀吉」の弟「秀長」で、100万石に相応しいお城にすべく普請と作事を行うとともに、城下町形成にも注力して「郡山」の発展につくしました。

 

その後、「豊臣系」の「豊臣秀保(ひでやす)」「増田長盛」が城主になりますが、「関ケ原の合戦」後は、「大久保家」「山口家」「筒井家」「水野家」「奥平松平家」「本多家」「藤井松平家」と、ほぼ譜代大名による目まぐるしい城主交替がありましたが、1724年に「甲府城」から「柳沢吉里」の移封があってからは、幕末・維新まで続きます。

 

「大和郡山城」の立地と縄張りですが、大和国を治める「惣構え」の大城で、縄張りは「本丸(天守郭)」を中心に周囲を「内堀」で囲い、東側には「毘沙門郭」「常盤郭」更に堀を隔てて「陣甫郭」を設けます。

 

「本丸」の北側から西側にかけては「玄武郭」「厩郭」「緑郭」、南側に「二の丸」が「の」の字の逆に取巻く「輪郭式」縄張りになっています。更には、その東側には堀を隔てて「三の丸」、西側も堀を隔てて「麒麟郭」と多くの郭で構成されていました。

 

「二の丸」の南側には、幅がある「鷺池」が外堀代用として掘られていました。

 

縄張り図(赤丸は下記記載の門の位置、城内に掲出図) ↓

 

縄張り図には、数多くの門が記されていますが、現存しているのは「棟門」型式の「南御門」で、当門近くの「永慶寺山門」(大和郡山市永慶寺町)に移築されています。

 

支柱に横木を渡して、その上に「桟瓦葺き」の「切妻屋根」を乗せ、右側には「脇戸」が付いています。門扉には「八双金物」「乳頭金物」が付いた内開きの板扉で、戸締りは「木製閂」を使用しています。

 

「棟門」型式の「南御門」が「永慶寺山門」に移築 ↓

「棟門」型式の「南御門」が「永慶寺山門」に移築 ↓

「棟門」型式の「南御門」が「永慶寺山門」に移築 ↓

「棟門」型式の「南御門」(八双金具と乳頭金具) ↓

 

「惣構え」の「外堀」には四カ所(柳町、九条町、鍛冶町、高田町)に大門がありましたが、現在は「高麗門」風の絵図に基づき「柳町大門」をイメージして「外堀緑地南門」が建てられました。門の近くには「番所」「火の見櫓」が建っていたそうです。また門番は町民が交替で当たっていたようです、

 

「高麗門」風の絵図に基づき再現された「外堀緑地南門」 ↓

 

 

 

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只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。


「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単に説明していますので、どうぞご覧ください。

はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

 

今回は「高取城」(奈良県高市郡高取町の「城門」をお届けします。

 

「高取城」は、地方豪族の「越智家」が築城したのが最初で、戦国時代までは「越智家」の支配下にありましたが、その後「筒井家」のモノとなり、更に「織田信長」軍門下で「越智家」は滅ぼされ、「高取城」は廃城となります。

 

豊臣政権では、「豊臣秀吉」の弟「秀長」が「大和郡山城」に入城し、「高取城」はその支城として復興され、「秀長」の重臣「脇坂安治」等が入城してからは近世城郭として大改修が行われます。

 

「関ケ原の合戦」では、「石田三成」の西軍の攻撃を受けましたが持ちこたえ、戦後は「本多家」のお城となりますが、嗣子なく当城は幕府直轄地となり城番管理となります。

 

旗本だった「植村家政」が1640年に大名に取り立てられて2万5千石で「高取城」に入ります。そして「植村家」が入封した後は、譜代大名としては珍しく城主が替わることがなく安定して 14代が幕末・維新まで続きます。

 

ただ幕末には、「天誅組の変」で「五條代官所」とともに「尊王攘夷」を指向する浪士達によって襲われかけました。

 

「高取城」の立地と縄張りは、583mの高取山山上に「本丸」が置かれ「日本三大近世山城」と言われています。「本丸」の西側に「二の丸」を置き、「本丸」「二の丸」の東側から北、西側にかけて「三の丸」を築き、家老屋敷や侍屋敷を置いていました。

 

江戸時代初期は城主・家臣ともども山頂に居城していましたので、多くの城郭建造物が建てられていましたが、その後「藩主居館」を麓の「下屋敷」に移して政務を執っていました。しかし、山上の城郭建造物は廃棄されないで幕末・維新まで健在していて当時の古写真も残ります。


主郭の縄張図(赤丸は下記説明の門の位置、高取町のパンフより) ↓

現在現存の城門は、結構残っています。

 

まず、「松の門」は廃城時に「土佐小学校」に移築されましたが一部焼失したことから、現在は残存部を使って「児童公園入口」に「冠木門」で再現されています。

 

「松の門」の残存部を使用して「児童公園入口」に再現 ↓

「松の門」跡 ↓

 

次に「ニの門」跡は現在「門跡」に石垣が残りその前には山城では珍しい「水堀」が横たわっていますが、現在は麓の「子嶋寺山門」に移築されています。「薬医門」形式で控柱が両脇に拡がる「外八双」になり、門扉は「格子戸」に板張りが施されています。

 

「薬医門」型式の「二の門」が「子嶋寺山門」に移築 ↓

「薬医門」型式の「二の門」が「子嶋寺山門」に移築(控柱が「外八双」に構える) ↓

「二の門」が「子嶋寺山門」に移築(門扉は「格子戸」に板張り) ↓

「二の門」が「子嶋寺山門」に移築(門扉は「格子戸」に板張り) ↓

 

次に、「長屋門」型式の「藩主下屋敷表門」が、「石川医院表門」に移築されています。病院の表門としては、風流が感じられ昔の面影が残る珍しい入口になっています。門扉脇には「潜り戸」が設けられています。

 

「長屋門」型式の「藩主下屋敷表門」が「石川医院表門」に移築 ↓

「長屋門」型式の「藩主下屋敷表門」が「石川医院表門」に移築 ↓

「長屋門」型式の「藩主下屋敷表門」が「石川医院表門」に移築 ↓

 

更に「植村家長屋門」は、藩家老「中谷家」の「長屋門」でしたが、現在は旧藩主「植村家」の住居として使用されています。外壁は「海鼠壁」が施されていて県文化財に指定されています。

 

「植村家長屋門」(藩家老「中谷家長屋門」でしたが、現在は旧藩主「植村家」の住居として使用) ↓

「植村家長屋門」(藩家老「中谷家長屋門」でしたが、現在は旧藩主「植村家」の住居として使用) ↓

 

 

 

 

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はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

また、「大手門」「表門」「正門」等には、既にシリーズ化して終了した「櫓門」が多用されている場合が多いですが、今回の「城門」シリーズでは、「櫓門」は割愛します。

全国の「櫓門」シリーズ ↓

 

今回は「五條代官所」(奈良県五條市の「城門」をお届けします。

 

江戸時代後期(1795年)に、大和国五條村に置かれた7万1000石余りの天領を支配する江戸幕府の代官所です。

 

1863年の「天誅組(てんちゅうぐみ)の変」でこの代官所が襲撃を受けて、代官の「鈴木源内」は殺害され、建物も放火されるという事件がありました。

 

事件後、「代官所」は近隣の町に再建されましたが、明治維新後、代官所の建物は「五條県庁」→「警察大屯所」→裁判所」を経て、かつての「長屋門」型式の「代官所正門」は「五條市」が譲り受けて「五條市立民俗資料館」と「史跡公園」となりました。その後「代官所正門」の老朽化が進みましたが、2003年に再整備が行われて現在に至っています。

 

「長屋門」は「下見板張り」で南北40mもある長大な門で、内部は資料館として使用されています。

 

「長屋門」型式の「代官所正門」は「五條市立民俗資料館」として利用 ↓

「長屋門」型式の「代官所正門」は「五條市立民俗資料館」として利用 ↓

「長屋門」型式の「代官所正門」は「五條市立民俗資料館」として利用 ↓

「長屋門」型式の「代官所正門」は「五條市立民俗資料館」として利用 ↓

「長屋門」型式の「代官所正門」は「五條市立民俗資料館」として利用 ↓

 

 

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はじめに ↓


「はじめに」でも記載しましたが、「城門」は軍事施設である「お城」へ攻撃を仕掛けてくる敵方の侵入を防ぐための防衛施設としての役割の他に、いざという時の逃げ道の確保や、城の居住者が城内外を行き来したり、城内における各空間(曲輪)を間仕切りして管理したりする役割もありました。

「城門」の形式は、主に「薬医門」「高麗門」「長屋門」「四脚門」「棟門」「埋門(穴門)」「冠木門」「塀重門」などがありますが、お城毎に色々な名前が付いています。

名前の付け方は、「用途別」「門の通称の呼び名別」があり、更にそれぞれに詳細な名前が付いている場合があります。

「用途別」
-大手門、搦手門、水門、廊下門、不浄門、不明門、正門、表門・裏門、仕切門、番所門、御守殿門

「門の通称の呼び名別」
➀管理番号別に付す ②所在している位置や曲輪を名前に付す ③建っている場所のお城内の方角を付す ④所在している周辺の環境や状況を名前に付す ⑤具体的な用途を名前に付す ⑥門の色や材質を名前に付す ⑦形状の特徴から名前を付す ⑧門の管理者の名前を付す ⑨逸話や伝承から付す など 

これだけ見ても判りづらいと思いますので、今後その都度説明を加えていきます。

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今回は「佐和山城」(滋賀県彦根市の「城門」をお届けします。

 

鎌倉時代初期に、近江源氏「佐々木家」が麓に館を築いたのが始まりですが、その後「佐々木家」は「六角家」と「京極家」に分かれて対立し、「佐和山城」を巡って攻防が始まります。

 

戦国時代に入り、今度は「京極家」に替わり「浅井家」と「六角家」が対峙しますが、上洛してきた「織田信長」は「六角家」を攻め近江の制圧を図ります。そして「朝倉家」と手を結んだ「浅井家」に対しては「小谷城」と「佐和山城」を追い詰めて降城させて「信長」配下の「丹羽長秀」を入城させて「安土城」完成までは重要拠点として位置付けます。

 

豊臣政権下となりますと、「堀秀政」「堀尾吉晴」「石田三成」を城主にし、「三成」が城主の時には、山上に「本丸」「二の丸」「三の丸」「太鼓丸」「法華丸」等を配備し、更に「東山道」に面する麓には侍屋敷、町屋等の城下町が建設されました。

 

「関ケ原の合戦」時には、「三成」は湖北へ逃げ、「三成」の父と兄が攻撃に良く耐えましたが落城し、「天守」も焼かれて自刃しました。

 

戦後「徳川家康」は論功行賞で「井伊直政」に「佐和山城」を与えましたが翌年に死去したので、「家康」はその後「彦根城」への移築を決めました。

 

 

現在「佐和山城」の「城門」と謂われる門が、まずは「彦根城」下に建つ「宗安寺山門」に移築されています。

 

「宗安寺山門」は、朱色をしていて「赤門」とも呼ばれている門ですが、「佐和山城」の「大手門」を移築したと謂われています。その門柱前には、「キャスルロード」として道路を拡張して門を移動したので「赤門」の礎石がそのまま置かれています。

 

「佐和山城大手門」を移築したと謂われている「宗安寺山門」 ↓

「佐和山城大手門」を移築したと謂われている「宗安寺山門」 ↓

「佐和山城大手門」を移築したと謂われている「宗安寺山門」 ↓

「佐和山城大手門」を移築したと謂われている「宗安寺山門」 ↓

「赤門」の礎石が残る ↓

 

「佐和山城」の「城門」ではないですが、「宗安寺黒門」は「朝鮮通信使」が宿泊の際に使用していた「勝手口の門」です。老朽化していたので復元された門で、ここで紹介しておきます。

 

「朝鮮通信使」が宿泊の際に使用していた「勝手口の門」が「宗安寺黒門」に移築 ↓

 

次の「城門」は、「河原町重要伝統的建造物群保存地区」(通称「花しょうぶ通り」)内にある「妙源寺山門」です。こちらも赤門で、「佐和山城法華丸」から移築されたという伝承があるそうです。門柱には、矢傷等が残っていて、当時の戦いの凄まじさが身に迫ってきます。

 

「薬医門」型式の「佐和山城法華丸城門」から移築されたという伝承がある「妙源寺山門」 ↓

「薬医門」型式の「佐和山城法華丸城門」から移築されたという伝承がある「妙源寺山門」 ↓

「薬医門」型式の「佐和山城法華丸城門」から移築されたという伝承がある「妙源寺山門」 ↓

矢傷等が多数に残っていてる「佐和山城法華丸」から移築されたと伝承のある「城門」(現「妙源寺山門」) ↓

「薬医門」型式の「佐和山城法華丸城門」から移築されたという伝承がある「妙源寺山門」 ↓

 

 

 

 

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今回は「大溝陣屋」(滋賀県高島市の「城門」をお届けします。

 

元々は「織田信長」が伊勢制服をした時に「信長」の家臣となった「分部(わけべ)家」が、「信長」死後「豊臣秀吉」に仕えましたが、「関ヶ原の合戦」では東軍に従軍したので2万石の領地を確保でき、「分部光信」の時に「大溝」に転封となり、その後幕末・維新までこの地を統治しました。

 

「大溝陣屋」の立地と縄張りは、「琵琶湖畔」沿いに築かれていた「大溝城」の「天守台」を内堀で囲い、その西側に「陣屋」の「藩庁」や「御殿」の建物を築き、城下は西側へ延びていました。

 

「城門」は、近年まで「長屋門」型式の「惣門」が「高島文庫」という文房具・雑貨店として営業していましたが、昨年(2024年)に「高島市文化財課」と「文化庁」の監理の下、解体復元工事が行われました。

 

復元後の写真は、この解体復元を実施した「日本エンバイロ株式会社」が撮影された写真をお借りしました。

 

「高島文庫」(文房具・雑貨店)として使用されていた「長屋門」型式の「惣門」 ↓

「高島文庫」(文房具・雑貨店)として使用されていた「長屋門」型式の「惣門」 ↓

「高島文庫」(文房具・雑貨店)として使用されていた「長屋門」型式の「惣門」 ↓

「分部家」の家紋(丸の内に三引)が付く ↓

復元工事中の「長屋門」型式の「惣門」(「日本エンバイロ株式会社」が撮影) ↓

復元工事完成の「長屋門」型式の「惣門」(「日本エンバイロ株式会社」が撮影) ↓

復元工事完成の「長屋門」型式の「惣門」(「日本エンバイロ株式会社」が撮影) ↓

 

 

 

 

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