姫路城」(兵庫県姫路市)の「中曲輪」周囲を取り巻く「中濠」沿い或いは「中濠」を埋め立てた道路沿いに並ぶ11か所の「城門」跡巡りの「後編」です。

 

城内案内図

 

「前編」のブログでは、「清水門」跡までお届けしました。「船場川」を渡る「清水橋」から「市の橋門」跡へは、「中濠」と「船場川」の間に「千姫の小径」と名の付く細長い土手が続きますが、一旦、私は「清水門」跡の内側にあ「北勢隠(せがくし)門」跡から「勢隠(せがくし)曲輪」跡を南に向けて歩きました。

 

「勢隠(せがくし)曲輪」とは、天守群の北側に帯状の土地を設けて主郭への侵入を二重に阻止する目的で造られた曲輪です。

 

その北西側の出入口が北勢隠(せがくし)門で現在でも立派な石垣が残ります。ここから入ると、東側と南側にも当曲輪が延びていき、東側の先には「八頭(やず)門」がありますが、今回は行かずに南側に向かって土塁に沿って歩きました。

 

「北勢隠門」跡 (「勢隠曲輪」の北入口、「清水門」跡側から)

「北勢隠門」跡 (「勢隠曲輪」の北入口、「曲輪」内側から)

「勢隠曲輪」内の「土塁」(北西側)

 

左手には原生林が拡がり「西の丸」西側の天然の要害となっていて、微かに「百間廊下」の建物が覗きます。その先に構えるのが「南勢隠(せがくし)門」跡で仕切り門的に構え石垣も残っています。

 

「南勢隠門」跡附近から「鷺山」(西の丸)を見上げる

「南勢隠門」跡北側 (曲輪内)

「南勢隠門」跡南側 (曲輪外)

 

この門を出ると一気に広がりを見せ、「内濠」越し左手には「三の丸御居屋敷」跡の石垣が続き、右手は「内濠」の曲線沿いに併せて建てられた白壁の美しい土塀が続きます。

 

「南勢隠門」跡から「中濠」越しで「三の丸御居屋敷」をのぞむ

 

この土塀の内側が「好古園(こうこえん)」で、藩主「下屋敷」の「西御屋敷跡」を利用した池泉回遊式庭園となっています。

 

美しい曲線を描く「好古園」の外壁土塀(「南勢隠門」方向)

 

「好古園」入口前を通る広い道が「船場川」に架かる「市の橋」前に、「清水門」跡の次に南側に構える「市の橋門」跡があります。

 

市の橋門」は、「外濠」代用の「船場川」へ高麗門の「外門」が西向きに出張った「出枡形」となっていて、「市の橋」で渡るようになっていたのでそれに因んで名付けられ、複雑な形をしていました。

 

「市ノ橋門」の説明とイラスト

 

現在は、真ん中に広い道路が通るので、櫓台の一部のような石垣が残る程度しかありません。

 

「好古園」入口前に残る「市ノ橋門」跡石垣

「市の橋」から望む「市ノ橋門」跡(北側)

「市の橋」から望む「市ノ橋門」跡(南側)

「市の橋」脇に立つ「史跡姫路城」碑

 

ここからは、「清水門」跡から続いていた「千姫の小径」を散策していきましたが、少し南下した所に「車門」跡があります。

 

「千姫の小径」を挟む外濠代用の「船場川」(右)と「内濠」(左)

「千姫の小径」から「中濠」越しに「中曲輪」石垣を見る

 

車門」は、「外濠」代用の「船場川」を木橋で渡った所に第一門の「車道門」があり、左折れで高麗門の「第二門」が南向きに置かれ、更に櫓門の「内門」が南向きに構えるという二重枡形になっている堅固な門でした。

 

「車門」の説明とイラスト

 

現在は、第一門、第二門、櫓門の石垣がほぼ完全な姿で残っていて、その間から天守群を望むことができます。

 

「車門」跡枡形の外側の石垣

「車門」跡の枡形内(左折れ)

「車門」跡の櫓門(内門)方向から望む「天守群」、手前は第一門の「車道門」跡から二つ目の枡形に入る第二門跡

「車門」跡 木橋前にあった第一門の「車道門」跡

 

更に直ぐ南側には「埋門」跡があります。「埋門」は、二重の「南西隅櫓」の脇に設けられた出枡形の門で、「外門」「内門」ともに南向きで、門形式はいずれも「埋門」でしたので、このような命名となりました。また、「外門」前の「中濠」には「土橋」が設けられていました。

 

「埋門」の説明とイラスト

 

「内門」の石垣と「南西隅櫓」台は良く残っていて、枡形を構成する「外門」の石垣も一部残ります。また、中に入って東側と南側にかけて見ると「土塁」が続いているのが良く解ります。ここから東に向けて高さのある「土塁」が続き、「内濠」であった所は現在車通りの多い「国道2号線」(東方向の一方通行)として埋め立てられています。

 

「中曲輪南西隅櫓」跡と「埋門」門跡

「中曲輪南西隅櫓」跡と「埋門」門跡、外枡形部分が残る

「中曲輪南西隅櫓」跡(右側)と「埋門」門跡(内側より)

「埋門」門跡内側から北方向へ延びる「土塁」

「埋門」門跡内側から東方向へ延びる「土塁」

 

ここからほぼ等間隔に門が置かれ、次には「鵰(くまたか)門」跡があります。

 

鵰(くまたか)門」は、内枡形で高麗門の「外門」と櫓門の「内門」ともに南向きで、「内濠」に「土橋」が架かっていました。

 

「鵰門」の説明とイラスト

 

現在は、「外門」「内門」の両脇の石垣と櫓台が良く残りますが、「内濠」跡の本通りから信号が付いていて枡形内の道路を車が行き来する光景が見られます。

 

「鵰門」の「内門」跡石垣

「鵰門」の枡形内と櫓門台

 

次にあるのが「中ノ門」跡です。「中ノ門」は当時、北にある「大手門」に繋がる門で「内枡形」、高麗門の「外門」は南向きで「土橋」に繋がり、櫓門の「内門」は東向きでしたので、入ると左に折れ曲がります。「内門」の南側上には「平櫓」が配置されました。

 

「中ノ門」の説明とイラスト

 

現在、JR「姫路駅」から「姫路城大手門」に繋がる南北に走る広い「大手道」一本西側の細い道脇に案内板が立っているのでそこが門跡のように思えますが、両脇は「土塁」を切っただけのようで、その右側に「櫓台」らしき石垣が残ります。

 

案内板の絵図によると「平櫓」が建っていたのは、「外門」の左側(西側)になっているので、現在残っている「櫓台」とは逆になります。現在の「大手道」の少し西側であるので、その辺りが「中ノ門」跡のようでもありますが、どちらか私には判りません。

 

「中ノ門」跡の左手にあった「平櫓」台(?)

「中ノ門」跡の左手にあった「平櫓」台(?)とすると左側の土塁の切れた所は門ではないのか?(現在の「大手道」から)

 

「大手道」を越えて、少し東側に進んだ所に「総社門」跡があります。

 

総社門」は、総社の西門筋にあったのでこの名前が付いたとか。内枡形形式で高麗門の「外門」は南向き、櫓門の「内門」は東向きで、「内濠」は「土橋」で渡りました。

 

「総社門」の説明とイラスト

 

現在は、石垣が一部残り、横向けに見えるのは「外門」の正面の枡形石垣ではないかと思います。

 

「総社門」跡

「総社門」跡に残る一部石垣

「総社門」跡脇の「土塁」

 

「内曲輪」をくまなく歩き、「中濠」沿いにもほぼ1周を徒歩で廻ったので非常に疲れ、また次に「飾磨」に行く予定もあったので、そこから少し東南東の所にある「鳥居先(搦手)門」跡は今回パスをしてしまいました。

 

次回はそこに加えて、「外濠」沿いに並ぶ「外京口門」「竹之門」「備前門」「飾磨津門」「北条門」の各門跡にチャレンジしたいと思います。レンタサイクルがあることを後から知りましたが、次回はそれを使用しようと思います。

 

「内濠」跡の「国道2号線」から「姫路駅」までの間は、「外曲輪」跡です。百貨店を始め多くの商業施設や商店街が縦横にありますが、駅前の再開発で「piole」や「VERRA姫路」等の商業集積ができた影響で閑散としています。

 

JR「姫路駅」の西側に建つ「山陽百貨店」は、「山陽電鉄」のターミナル百貨店ということで辛うじて存続しているようですが、「大手道」東側に面する「ヤマトヤシキ」は営業時代は「髙島屋」が運営していた「ハイランドグループ」の一員でしたが、昨年1月に111年の幕を閉じたと、建物の外壁に貼られたままでした。

 

「外曲輪」内大手道沿いにある2020年1月に閉店した「ヤマトヤシキ」の建物

「外曲輪外濠」出入口「飾磨津門」跡付近に建つ現在営業中の「山陽百貨店」

「外曲輪」内大手道沿いにある「ヤマサ蒲鉾」

 

次のブログでは、「飾磨」に寄りたいと思います。

 

 

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