姫路城」(兵庫県姫路市)の見た目の美しさとは別に、非常に守りを固めたお城であることが、現在でも目の当たりにできるのが、「中曲輪」周囲を取り巻く「中濠」沿い或いは「中濠」を埋め立てた道路(国道2号線)沿いに並ぶ11か所の「城門」跡です。

 

「姫路城」跡案内図(現地各所で掲出、白・茶色が「内曲輪」、黄色・桃色が「中曲輪」

 

「中曲輪」は、「天守群」「西の丸」「三の丸」を構成する「内曲輪」周囲を「内濠」で囲む外側を、北から東、南にかけて拡がるエリアで、武家屋敷が並んでいました。現在は、美術館、歴史博物館、医療センター等の公共・行政施設や学校、公園等が並んでいます。

 

更に「中濠」周囲は「外曲輪」が北から東、南にかけて取巻き、町家や寺町で構成され、更にそのぐるりを「外濠」で囲むというまさに「梯郭式」で三重構造の大城郭でした。現在「外曲輪」には、商業施設や住宅地が建ち並んでいます。

 

さて今回、前述の門跡を見るべく、「内曲輪」内の「上山里曲輪」下までに「内濠」が入り込み「内船場蔵」があった「船溜」から、「との四門」近くを通り、「喜斎門」跡の石垣を抜けて「中曲輪」に出ました。

 

「内船場蔵」があった「船溜」

「との四門」(現在、「との一門」から「との四門」までは入城できません)

「喜斎門」跡の石垣の「合坂」

「喜斎門」跡(「内濠」側より)

「喜斎門」跡前から見上げる「大天守」と「東小天守」(手前左は「帯の櫓」、真ん中下は工事中の「井楼櫓」

 

以前周囲の門跡巡りをしたことがありましたが、「久長門」跡と「野里門」跡を見ていなかったので、その方向にある「内京口門」跡から時計と反対廻りでスタートをしました。

 

各門跡には、丁寧な解説と当時の門の形が絵(イラスト)によって丁寧に描かれていますので、現在の石垣や櫓台の状態と照らせ併せて見ることができます。

 

内京口門」は、京都方面に向かって建っていた門なのでその名前が付いたそうで、この東側の「外曲輪」沿いの「外濠」には「外京口門」がありました。「内枡形」で高麗門の「外門」と櫓門の「内門」は南向きで「中濠」には「土橋」が架かっていました。

 

「内京口門」の解説とイラスト

 

現在は、学校の門となっていて、絵の通りにほぼ石垣が残っていますし、土橋や周囲の濠も水を湛えています。

 

学校門の左(西)側の「中濠」と「城門」石垣

学校門の両脇には「外門」の石垣、手前は「土橋」跡

学校門の右(東)側の「中濠」と「城門」脇の石垣

学校門の右(東)側の「中濠」と「城門」脇の石垣(北方向)

 

そこから「中濠」沿いを北側に歩いた所に「久長門」跡があります。当門も、「内枡形」で「土橋」が架かっていましたが、高麗門の「外門と櫓門の「内門」は東向きでした。

 

「久長門」の解説とイラスト

 

現在は、鯉が泳ぐ「中濠」に架かる「土橋」の両脇には、欄干を持つ瓦付の土塀を建てて雰囲気出しをし、石垣も当時の姿をある程度残しています。

 

「久長門」跡と土塀を建てて雰囲気出しをしている「土橋」(「外門」と「内門」の石垣が見える)

「中濠」で泳ぐ鯉

「久長門」跡(「外門」と「内門」の石垣)

「久長門」跡(「中曲輪」側から「外曲輪」方向)

 

そこから一旦バス道に出ると赤レンガで積み上げられた「姫路市立美術館」越しの「大天守」と「東小天守」が望めます。そして北方向に歩くと、バス停「野里門」で、丁度お城の北東隅に当たる所になります。

 

「姫路市立美術館」越しの「大天守」と「東小天守」

途中で見かけた「鷺」の絵入りのマンホール蓋

 

野里門」は、「内濠」が鍵型に屈折していてそこに土橋が架かり、高麗門の「外門」は東向き、櫓門の「内門」は北向きでした。従って、東から入って左折れする枡形でした。

 

「野里門」の解説とイラスト

 

現在は、東側からと西へ向かう「中濠」が残とその内側の土塁も残りますが、石垣は殆ど見られず、枡形内部の広場だけが残っているようでした。

 

「野里門」跡の東側の「中濠」(東方向)

「野里門」跡の東側の「土塁」

「野里門」跡の西側の「中濠」(西方向、少し削られている様子)

「野里門」跡の枡形部分の広場か?

 

当門から西側にかけて、我々お城ファンの聖地ともいえる「日本城郭センター」の敷地となっていて、その北側には高さのある「土塁」が続きます。また、「シロトピア記念公園」が拡がり、北側から見る「天守群」は、南側からと見る眺めとは全く違った様相を見せ、まるで軍艦が浮かんでいるようにも思えます。

 

「日本城郭センター」

「日本城郭センター」西側の「土塁」

「シロトピア記念公園」から見た「天守群」(左から「大天守」「東小天守」、「イの渡廊下」「乾小天守」、手前には左から「ホの櫓」「ニの渡櫓」「ハの渡櫓」「ロの渡櫓」「イの渡櫓」)

 

「土塁」の北西端まで行きそこから「土塁」上に上がる道を辿ると、北西からの「天守群」が望めます。またこれもあまり見ることがない光景です。

 

北西端の「土塁」

北西方向から望む「天守群」

 

そしてその下に見えるのが「清水門」跡です。

 

清水門」は、西側に流れる「外濠」を兼ねた「船場川」口にあり、「外門」前には橋が架かり高麗門の「外門」は西向き、櫓門の「内門」は南向きでした。従って、「外門」を入ると城内へは左へ折れる枡形になります。枡形内に「鷺の井戸」があったので、「清水門」と呼ばれたらしいです。

 

「清水門」の解説とイラスト(今回撮り忘れたので、以前のモノ)

 

現在は、内門の櫓台の石垣だけが残っているようで、立派な復元屋形が被せられた石組み井戸の「鷺の井戸」も残ります。この井戸水でお茶を点てたとそうです。

 

「土塁」上から見ろした「清水門」跡の櫓台

「清水門」跡の櫓台(枡形内から)

「清水門」跡の櫓台から続く枡形内の石垣(「間詰石」が非常に多く使用されている)

「鷺の井戸」の復元屋形

石組み井戸の「鷺の井戸」と復元屋形

「北勢隠(せがくし)門」跡から「清水門」跡

「北勢隠門」跡前から「清水橋」方向(「中濠」方向)

 

今回のブログでは「清水門」跡まで、次回ブログでは「市の橋門」跡から以降をお届けします。

 

 

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