『①外圧で開国を迫られ、安政の大獄や将軍継嗣問題、攘夷運動等が高まる中で、幕府が威信低下し、そして、②最後の将軍”徳川慶喜”が大坂から江戸へ逃避していく、その間に起こった出来事に纏わる「お城」を採り上げる』シリーズの総集編です。

 

1858年頃から生じた「安政の大獄」や「将軍継嗣問題」では、幕府内で大きな権力を握っていた大老「井伊直弼」が強力なリーダーシップをとって推進しますが、「桜田門外の変」で「直弼」が暗殺されると、徐々に幕府の力が弱まる一方で、「尊王攘夷運動」が高まっていきます。

 

幕府の威信低下が進み、西国藩の中には「尊王攘夷」を打ち出しつつ「倒幕」も視野に入れた動きをして朝廷に近づこうとしたのが「長州藩」です。

 

「長州藩」藩庁だった「萩城」(山口県萩市、古写真)

 

将軍「家茂」は朝廷との融和を図るべく上洛しますが、尊王浪士達の過激な行動が目に余り「京都守護職」を置きます。そんな中、「長州藩」による天皇の拉致計画の発覚や御所内で武力を使ったことで、当藩は都落ちを余儀なくされます。

 

将軍「家茂」が上洛して入った「二条城」(京都府中京区)の二之丸御殿車寄と玄関

京都守護職に就任した「松平容保」の「京都守護職上屋敷」(京都市上京区)の移築門(京都市左京区)

各所の幕府代官所が襲撃された一つ「五条代官所門」(奈良県五條市)

 

その後不穏な動きを見せる「長州藩」に対して、「幕府」は二度にわたる「長州征伐」を実行する為に幕府軍を派遣しますが、二度目には各所で武力の差によって敗退します。

 

「長州藩」は「山口城」(山口県山口市)を築き藩庁を「萩城」から移設

「長州藩」グループが結束を固める長府藩の「長府陣屋」大手門二重櫓跡(山口市下関市)

「長府藩」の移転先「勝山御殿」(山口県下関市)の「二の丸」から「本丸表(中段)表門」へ登る階段石垣

「長州藩」グループの「清末陣屋」(山口県下関市)の藩邸第一裏門(現橋本家長屋門) 

長年の確執が解け「長州藩」グループ入りを果たした「岩国城(陣屋)」(山口県岩国市)の復興天守

幕府方の「浜田城」(島根県浜田市、CG復元絵図)は藩主が自焼し逃避

幕府方の「小倉城」(福岡県小倉市)も自焼して逃避

 

そのような中、「長州藩」と「薩摩藩」が急接近して「薩長同盟」が結ばれ倒幕活動が一気に強まると、15代将軍となった「徳川慶喜」は「大政奉還」によって朝廷に政権返上しつつ自身の保全と政権参加への期待をしますが、「王政復古の大号令」で徳川家からの政治参加は剥奪されてしまいます。

 

「薩長同盟」を結んだ「薩摩藩」の「鹿児島城」(鹿児島県鹿児島市)北東隅の厄除け「角欠」

「徳川慶喜」が「大政奉還」を宣誓した「二条城」(京都市中京区)の「大広間」

 

そして、旧幕府軍は「薩長」に対して戦いで挑みますが、特に新兵器を持つ「薩摩軍」から「鳥羽・伏見の戦い」で入「京」を阻止され攻撃を受けた「旧幕府軍」は、以降どんどん大坂城へ敗退していき、最後の砦である当城で戦う覚悟をします。

 

旧幕府軍が薩摩軍に攻撃された「伏見奉行所」(京都市伏見区)跡碑(「鳥羽・伏見の戦い」の場)

「鳥羽・伏見の戦い」後逃げる「旧幕府軍」が閉門された「淀城」(京都市伏見区)天守台

旧幕府軍が更に南下して辿り着いた「樟葉台場」(大阪府枚方市)

寝返った「津藩」が「樟葉台場」に砲撃を加えた「高浜砲台」(大阪府三島郡)

 

しかし「大坂城」に戻ると、総大将「慶喜」は江戸へ軍艦で逃避していて、「旧幕府軍」の敗退が決定的となったのが1868年1月でした。

 

「徳川慶喜」逃亡後、薩摩軍に悉く燃やされた「大坂城」(大阪市中央区)三重櫓群

「大坂城」で焼失を逃れた「千貫櫓」「大手門渡櫓門」、奥に復興「天守」

「慶喜」が江戸に逃避して上陸した徳川家別邸の「浜御殿」(東京都中央区)の正門櫓台

 

その後「慶喜」は寛永寺で謹慎し、「江戸城」は無血開城が行われますが、旧幕臣や旧幕軍の一部が「上野戦争」を起こします。それにも敗れた残党は北上し、旧幕府勢力が残っていた越後・奥羽・蝦夷の各藩に合流、幕府を守るべく「京」や「江戸」で駐在していた「会津若松」「庄内」各藩を守るべく立ち上がった同盟が結ばれて「戊辰戦争」の拡大に繋がっていくのです。

 

無血開城された「江戸城」(東京都千代田区)の富士見櫓

朝敵にされた「会津若松藩」の「会津若松城」(福島県会津若松市)の外観復興天守と走長屋

 

このような幕末・維新にかけた約10年間の時代の流れの中で、歴史に登場したり関わったりしてきたお城(陣屋、台場、砲台含む)をこのシリーズで紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。

幕末から徳川慶喜江戸へ逃避までのお城

 

直接戦闘に関わり戦場となったお城もあれば、城主が関わったお城、前線基地となったお城等をピックアップしてそのお城に関わる歴史や城主(藩主)やお城の特徴について写真を使用しながら深堀してみました。

 

主に、西日本(近畿、中国地方)がその舞台となっていましたので、西日本のお城が大半でした。前述した、その後約1年間、東北・北海道に拡大していく「戊辰戦争」に関わるお城と併せてご覧いただければ、幕末・維新の歴史についても理解が深まると思いますので、是非「戊辰戦争 奥羽越列藩同盟藩のお城と「箱館戦争(戊辰戦争)関連お城と出張陣屋」もご覧いただければ幸いです。

 

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