あけましておめでとうございます!

 

コロナ禍の最中(さなか)、初登城は近場の「大坂城」(大阪市中央区)となりました。

 

「大坂城千貫櫓、天守、大手門渡櫓」

 

というのも、昨年の「姫路城」「赤穂城」に続き、以前から「今年の冬休みにはお城巡りをしよう!」と孫君と約束していましたが、この大変な時期下で遠距離にも行けず、また昨春、小学校の長期休業の影響で冬休みも4日で終了とのこと、手近なお城でしかも登城しがいのある「大坂城」を選びました。

 

孫君は、まだ3歳くらいの時でしょうか、ママ達が「大坂城ホール」の催しでお買物の間、私と一緒に「大坂城」天守前まで散歩に行った時以来の登城です。

 

小学校3年生(9歳)の孫君にその時の記憶があるのかな~と思って聞くと、意外にも覚えていました。嬉しいですね~(親ばかチャンリンならぬ、爺ばかチャンリンです)

 

さて、本日も定石の天満橋から官庁街を通って「乾櫓」を見ながら「大手門」からの入城です。

 

孫君には、カシオの「EXILIM」を貸してあげていましたので、外堀越しに「乾櫓」の写真を撮りながら進みました。「乾櫓」の大きさに驚いていましたが、内側はL字型になっていることを説明すると、「大きく見せているだけか~」と模範解答が帰ってきてニンマリしました。

 

乾櫓(重文)

 

「お城って何か」とか「堀の役割」を簡単に説明しながら進んでいくと、「千貫櫓」と「大手門渡櫓門」が見えてきて、孫君は益々テンションが上がってきて写真を撮りまくりでした。

 

「千貫櫓」と「大手門渡櫓門」(いずれも重文)

 

「大手門」前の土橋を渡る前に、少し南側に連れて行くと「南堀」に並ぶ「六番櫓」からの横矢掛りの石垣を見て、これまた大興奮!でした。

 

「六番櫓」(重文)と「横矢掛り」(ここは大人でも興奮します)

「大手門」前の「土橋」(「南堀」付近から見る、左端は「千貫櫓」)

「千貫櫓」を撮る孫君

 

「大坂城」は「豊臣秀吉が造って、徳川家康が大きくしたんやで」と少し歴史を語りましたが、まだ歴史には興味なく「ふ~ん」の一言でした。

 

さて、「大手門高麗門」を潜りそこに広がる「枡形」内にある「渡櫓門」と裏側から見る「高麗門」の写真を撮るとともに、城内四番目の大きな巨石他二つの巨石にも目を見張り、「これは人が運んできたんやで! まだもう少し行ったらこれより大きな石があるんやよ」と言うと、驚き早く見に行こうと先を急ぎました。

 

「大手門渡櫓門」(重文、枡形内から)

「大手門高麗門」(重文、枡形内から)

 

「切手門」を通り二の丸跡に入って、先程「南堀」越しに見た「一番櫓」の内側からの写真を撮り、本丸の入口である「桜門」前まで辿り着きました。

 

「一番櫓」(重文)

 

その南側に建つのが「豊臣秀吉」を祀る「豊国神社」で、孫君に「パパとママはここで結婚式をしたんや」と言うと興味を示し、その前に立つ「秀吉像」を撮り、奥にある本殿で初詣をしました。

 

普段のお正月であれば満員なのでしょうが、コロナ禍なので非常に空いていてゆっくりお参りができました。孫君は「パパとママがずっと仲が良いようにと拝んだ」と優しいことを言ってました。

 

「豊国神社」の「秀吉像」と「本殿」

 

「桜門」を入った正面の「蛸石」がジイのマンションの部屋の大きさの80%もあって(小学3年では80%と言っても判らないだろうけど)、石の幅は70センチもあると説明すると非常に驚きを見せていました。また、左端の「蛸」の形のシミもシッカリと写真に納めていました。

 

「桜門」(重文)

本丸跡の入口「桜門」(重文)から見える復興「天守」

城内最大の巨石「蛸石」(蛸の形のシミもシッカリと見える)

 

先ほど来、金色に輝き緑色した屋根を持つ「天守」の頭部分がチラチラと見えて、それが見える度に写真を撮ってきましたが、いよいよ真正面で「天守」の姿を拝める絶好のポイントに到着しました。

 

「本丸」跡外からチラチラ見えていた「天守」の上部

 

今日は天候にも恵まれ、真っ青な青空に映える「天守」の姿に興奮気味の孫君は、パチパチと写真を撮りまくっていました。

 

復興「天守」

南西隅から見上げる「天守」

 

3歳の時に孫君を撮ったポイントは、「秀吉」の石垣が埋もれている「井戸」前でしたので、今回もそのポイントで孫君を撮りました。当時の写真と並べてみました!

 

今の孫君と「天守」

3歳の時の孫君と「天守」

 

「天守」入城の為に、アルコール消毒、検温、連絡先記入を済ませて階段を上ります。「天守」南側にある「金銘水屋形」に覆われた井戸中を、二人で覗き込みましたが暗くて水は見えませんでした。

 

その場所から見上げる「天守」は恐ろしいほどの迫力とともに煌びやかさで目がくらみそうな輝きを見せていました。

 

「天守」の真下から見上げて撮る孫君

覆いかぶさる「天守」

 

私も「天守」入城は久々で、まずは一気にエレベーターで五階まで上がり、そこから八階展望台までは階段で上がります。途中各階では、「大坂夏の陣図屏風の世界」「豊臣秀吉の生涯」の展示・映像がありました。

 

「大坂夏の陣図屏風の世界」では、戦に参加した代表の武将たちの顔絵を一人ずつ写真を撮っていました。それぞれ特徴ある顔が並んでいるのが気に入ったのかもしれません。

 

「豊臣秀吉の生涯」では、「からくり太閤記」という小さな画面の中で「日吉丸」から「藤吉郎」、「秀吉」と物語風に出世していく姿が映し出されていくジオラマを一コマ一コマ非常に熱心に見ていましたので、私もそれに付き合いました。「織田信長」の名前を覚えたようでした。

 

ジオラマを真剣に見る孫君

 

8階展望台からの東西南北の眺めは、少し寒かったですが最高でした。先ほど来撮ってきた櫓や門が俯瞰できたので、上からの撮影も楽しんでいました。また、下から見上げていた「金の鯱」や壁に描かれた「鷺の姿」も間近に見られて大興奮でした。

 

「千貫櫓」と「大手門」(左)

先ほどは見ていませんが「西の丸」跡の「焔硝蔵」(重文)も見えました

先ほどは見ていませんが「一番櫓」(重文)も見えます

「梅田」の大観覧車も見えて大喜びでした

パパとママが披露宴をしたホテルも教えてあげました

「金の鯱」

「天守」の壁に描かれた「鷺」

 

もう12時になっていたので、朝が早かった孫君はお腹が減ってたまらないようで、1階まで階段で下り、ミュージムショップでお土産を買いました。今人気の「鬼滅の刃」「煉獄杏寿郎」と「たこ焼き」が描かれたキーホルダーを選んでいました。

 

「鬼滅の刃」といえば主人公「竈門炭治郎」だけど、映画を見て「杏寿郎」に憧れたとか私には物語自体が解っていないので「ふ~ん」としか言いようがありません。

 

「天守」を出て、「姫門」跡下の枡形周囲の銃眼から覗き、「山里丸」跡に散らばる「刻印石」を撫でながら、「極楽橋」を渡って「大阪城ホール」脇を通り、そして最近新しくできた「JO-TERRACE OOSAKA」というショッピングモールの中のレストランでランチをしました。

 

「銃眼」を覗く孫君

「山里丸」跡に置かれた「刻印石」

「大阪城ホール」も素晴らしい石垣で「算木積み」まで採用

 

まだ時間があったので、そこから「尼崎城」(兵庫県尼崎市)へ行くことにして、JR環状線「大阪城公園駅」から「大阪駅」まで乗り、「大阪梅田駅」から阪神電車で「尼崎駅」に到着しました。

 

駅のホームからは、平成31年に復興した美しい「天守」の姿が見え、既に孫君はワクワクムードでした。

 

駅方向(北西側)からの復興「天守」

北西側から

 

徒歩で5分もかからない所に建つので、市民のシンボルになっています。ただ、本来の「天守」の位置は、もう少し南東方向の「明城小学校」の敷地内に建っていましたが、そこでは再築できないので、図書館等があった脇の敷地で「西三の丸」跡地に建っています。

 

縄張り図と現在地図と併せたモノ

 

「天守」から「付櫓」が南側と東側に向かって触手のように延びているので、特に南西側から南側、南東側から見る「天守」の姿は綺麗です。

 

南西側から

南側から(孫君が私のカメラで撮ってくれました)

南東側から

 

各所から孫君と一緒に写真撮影会をした後に、それでは「天守」に入城しようと玄関前に行きますと、「な・なんと!」本日休館日の貼り紙があり門が閉ざされていました。1・2日はコロナ禍で臨時休館、3日は開館していたようですが4日月曜日は定休日でした。

 

折角「天守」に上がり「尼崎市内」を一望した後に、各階の展示物を孫君に説明しようと張り切っていましたが、残念でした。

 

閉ざされた玄関

東側から

 

「天守」北側の城址公園内にある城郭風遊具でひと汗をかいた孫君は、帰りの電車の中で、撮った写真を使って冬休みの自由研究にすると言い、我が家で自分の撮った写真のプリントを頼まれました。

 

城郭風遊戯具

 

昨年に続いて2度目となる、孫とともに訪れる初登城は、コロナ禍で近場でのお城巡りになりましたが、楽しい一日を過ごすことができました。

 

 

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