前回のブログでは、「津和野城(前編)」の山頂部分をお届けしました。本日「後編」では山麓部分をお届けします。

 

津和野城」(島根県鹿足郡津和野町)は、山麓に藩邸である居館を置き、それを中心に城下町が発展しました。そして、現在でも街並みは、特に「殿町」通りや「本町」通りで藩政時代のころの面影を多く残しています。

 

山麓部分に横たわる重文「物見櫓」

前編はこちらからご覧ください

 

「本町」通りから「殿町」通りにかけての海鼠壁塀と鯉が泳ぐ小川

 

「旧藩邸」は、「津和野高校」周辺にあり、藩邸内の庭園跡が「嘉楽園(からくえん)」として残っています。「嘉楽園」の道沿いには、麓に残る二つの櫓の内の「物見櫓」(重文)が横たわっています。

 

藩邸内の庭園跡「嘉楽園」

最後の藩主「亀井茲監(これみ)」の銅像(喜楽園内) 

「永明(ようめい)寺」(県指定有形文化財、歴代藩主の菩提寺)

 

居館の「物見櫓」であって、外観は一重ですが、内部は一部二階になっている大きな長屋です。二階は畳敷きになっていて、藩主が「弥栄神社」の「鷺舞(さぎまい)」等の祭礼を上覧する際に使用されたようです。諸藩の江戸藩邸周辺には、必ず築かれていた長屋ですが、この形式の長屋が現存しているのは珍しいとのことです。

 

「物見櫓」(現存重文、南北13間=25m、東西2.5間=5m、内部の一部が二階建て)

「物見櫓」の下部は海鼠壁

「物見櫓」の裏側

 

「津和野高校」の土塀沿いに進むと、重文の「馬場先櫓」があり、藩邸馬場の隅に建てられた「二重隅櫓」として、幕末に再建されたものです。一階は厩番役人の詰所、二階は飢饉用に穀物を備蓄した倉庫として使用されていたようです。石落しなどの装備もないので普通の民家のように佇んでいます。

 

藩邸跡に建つ「津和野高校」の塀は城郭風

「馬場先櫓」(重文、「馬場」の隅にあった隅櫓、二層二階)

「馬場先櫓」(重文、普通の民家と見間違いそう)

 

城下町の中には、古い建物が数多く残っています。「亀井家」時代の家老邸である「多胡家の番所付表門と土塀」、「大岡家家老門」などが通り沿いに建ち並んでいます。

 

「多胡家番所付表門」 (番所と土塀付、県指定文化財)

「多胡家表門」(県指定文化財)

「多胡家表門」脇の「番所」(県指定文化財)

「大岡家家老門」(現在 津和野町役場の門)

「大岡家家老門」の門扉

門の中は「津和野町役場」(「旧鹿足郡役所」、大正8年築)

 

「殿町」通りには、8代藩主「矩賢」が天明6年創設した「藩校養老館」(現建物は安政2年再建)が現在「民族資料館」として使用されています。当時の建物だった「長屋門」を始め「武術教場」や「書庫」等も並び、藩校の姿を知ることができます。

 

そして、「養老館長屋門」前のせせらぎには、鯉が清流の中を泳ぎ回り、6月になると花菖蒲が咲き乱れる美しい光景を目の当たりにできます。

 

「藩校養老館」(8代藩主「矩賢」が天明6年創設、現建物は安政2年再建)

「藩校養老館長屋門」(現 「津和野町民族資料館」)と清流

「藩校養老館」の「武術教場」と「書庫」(手前)

 

その他にも、「藩筆頭大庄屋屋敷」が現在「杜塾美術館」として再利用されたり、亀井家一族の「草刈代官」の屋敷門だった門を「郷土館」の門に使用されたりしています。

 

藩筆頭「大庄屋屋敷」の門(現 杜塾美術館の門)

 

亀井家一族の「草刈代官」屋敷門(現在「郷土館」の門)

 

「本町通り」や「今市通り」には登録文化財の邸宅や商家が多数軒を並べていますので、江戸時代にタイムスリップしたような感覚になる素敵な街です。

 

「本町通り」の登録文化財邸宅 

「本町通り」の登録文化財邸宅 

「本町通り」の酒屋

「今市通り」の街並み

 

藩校「養老館」に入学し洋学を極めて啓蒙学者となった「西周(にしあまね)」の旧宅や、こちらも「養老館」に入学した秀才でその後文豪になった「森鴎外(もりおうがい)」の旧宅も残されています。

 

「西周」旧宅(国指定史跡) 

「西周」旧宅(国指定史跡)

「森鴎外」旧宅(国指定史跡) 

 

次回のブログでは、「津和野城」下を悠々と通行した「長州軍」が、隣国の「浜田藩」に攻め入って攻撃をしかけようとした「浜田城」をお届けします。

 

 

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