敦賀方面の「日帰りお城巡り」二番目の訪城は「玄蕃尾(げんばお)城」(福井県敦賀市)で、ここも続・日本百名城に指定されています。

 

事前に「敦賀観光協会」からパンフレットを取り寄せて中に道路マップも入れていただいて確認はしていましたが、「柳ケ瀬トンネル」前から林道に入る所が不安でした。

 

「玄蕃尾城」の平面図(パンフレットより)

 

そのトンネルと思われる手前は信号による一方通行で、丁度信号手前から車が数台止まっていて、表示標識が見えなかったので左折を見落とすところでした。幸いにも直前に、林道に入る標識を確認でき、そこから2㎞は対向車が来ないことを祈りながらの凄く細い道を上がって行きました。

 

駐車場は、車6台も止まれば満杯の広さで、既に2台だけの駐車でしたので、早々に簡易トイレで用を済ませ、前に置かれていた杖を手にしてスタートしました。

 

暫くは、「久々坂峠」を経てからも上り坂が続き、そして平坦な場所に出てきました。そこから馬の背のような平坦な所を歩いた先に、モミジが黄色に紅葉している場所がありその傍に「玄蕃尾城の解説と郭図」が立っていました。

 

馬の背のような平坦地を進みます

モミジが綺麗な「大手虎口」手前

「玄蕃尾城の郭図」(前掲載のパンフ内”郭名”と若干異なる)

 

「玄蕃尾城」は、「織田信長」が亡くなった後、「織田軍勢」の中で「信長」.の跡目を決める「清須会議」が開かれましたが、主導権を握った「羽柴秀吉」とその結果に不満を持っていた「柴田勝家」が、「秀吉」との間で起こした「賤ケ岳の戦い」において、「勝家」の本陣となった山城です。

 

しかし「勝家」は、このお城で戦わずして撤退したことから、山城の構造が合戦当時のまま良好に保存されているそうです。

 

初冬でもあり、また管理もされているので、土塁や空堀、馬出し等の形が凄く良く解り、また各郭内や虎口には標識が立てられているので、駐車場脇に置かれていた縄張り「平面図」パンフを見ながら各々を確認するのが非常に容易でした。

 

ただ若干残念だったのは、パンフの郭の表現と、前述の現地に立つ「玄蕃尾城の解説と郭図」との表現が違うので、少し戸惑う所もありました。

 

郭は、最南端の二つの「虎口郭(パンフでは“郭1”と“虎口郭”)」から「(南)馬出郭」、「主郭(本丸)」、「(北)馬出郭」、「虎口郭(パンフでは“郭2”)がほぼ北にむかって繋がる「連郭式郭」となっていて、その脇に「腰郭」や「張出郭(見張台)」が配置されています。

 

まず最初にあるのが「虎口郭」の「大手虎口」で、少し見上げた所にありますが、進行方向に向かって左側は「空堀」になっているのでそのまま進むと迷い込んでしまします。

 

「大手口(南虎口)」

 

「大手郭=虎口郭(パンフの“郭1”)」は、先細りになっていて「土橋」に向かいます。「土橋」を渡る敵に対しては、二つ目の「虎口郭」正面の土塁上からと左側の土塁上から攻撃ができます。

 

「大手郭(虎口郭)」

「東虎口」から二つ目の「虎口郭」を見る

「大手郭=虎口郭(郭1)」から二つ目の「虎口郭」に渡る「土橋」

 

二つ目の「虎口郭」は、ほぼ長方形で、左奥には一段低い「腰郭」に口を開け、ここから「北国街道」へ出ることができます。当郭の北端では、「主郭(本丸)」南側の虎口機能を持たせる「(南)馬出郭」があり、三方の横矢を利かせています。

 

二つ目の「虎口郭」

二つ目の「虎口郭」の土塁

二つ目の「虎口郭」から一段低い「腰郭」に口を開ける

「腰郭」

 

出枡形で「主郭(本丸)」の喰違い「虎口」を隠す役割も持たせた「(南)馬出郭」は、「主郭(本丸)」の「虎口」内から見ると、その形が良く解ります。

 

二つ目の「虎口郭」から「(南)馬出郭」を横から見る

「腰郭」から見上げる「(南)馬出郭」

「主郭(本丸)」の「虎口」内から見る「(南)馬出郭」

 

「主郭(本丸)」は、45mの方形で、高い土塁や西側と東側の空堀で守られています。東側の土塁の切れ目からは、見張り台の役割を果たす「張出郭」への出入口にもなっています。

 

「主郭(本丸」の南側虎口

「主郭(本丸)」(奥に櫓台が見える)

「主郭(本丸)」東側土塁の切れ目から「張出郭」へ出る

「張出郭」(見張り台の役割)

 

更に東北隅の少し高い所が「櫓台」となっていて、現在でも礎石を見ることができます。

 

「櫓台」(主郭北東隅) 

「櫓台」上の礎石

 

北側の喰違い「虎口」の前にも「(北)馬出郭」が置かれていて、北側から西側にかけてかなり深い空堀となっています。

 

「主郭(本丸)」北側の喰違い「虎口」(主郭方向)

「(北)馬出郭」(主郭側から)(左へ入ると「虎口郭(郭2)」)

「(北)馬出郭」の周囲の空堀

「(北)馬出郭」周囲の空堀

 

「馬出郭」から「土橋」で最北端の「虎口郭(パンフでは“郭2”)」に繋がります。城内で最も広い面積で、ここには兵を集め、物資の集積地になっていたそうです。この郭も周囲を土塁で囲い、その廻りに東から北、西側にかけて空堀があります。特に、南側の土塁の下は絶壁となっていました。そして北東隅には搦手口にあたる「北虎口」がありました。

 

「虎口郭(郭2)」への土橋

「(北)虎口郭(郭2)」全景

「(北)虎口郭(郭2)」周囲の土塁と空堀

「(北)虎口郭(郭2)」周囲の土塁と空堀

「(北)虎口郭(郭2)」周囲の土塁と空堀

「(北)虎口郭(郭2)」周囲の土塁と空堀

「(北)虎口郭(郭2)」南側の断崖絶壁

「北虎口」(外側から)

 

比較的コンパクトで大きなアンジュレーションもなかったので、サッと見ることができ、土塁上からや、虎口手前からもそれら立体的な姿を動画に納めることができました。

 

半時間位見た後は一気に駆け下りて駐車場まで辿り着きました。途中で登城者に会いましたので、駐車場も満杯となっていました。

 

次の訪城地である、日本三大陣屋と言われている「敦賀(鞠山)陣屋」にナビ設定をしようとしましたが、電話番号検索が出来ず、目的地を「敦賀陣屋」で打ち込んでも反応なし、仕方なく「鞠山」とつく「鞠山シーサイドパーク・・・だったか?」に目的設定をして13時45分発進しました。

 

 

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