本日は、月に1度の天満橋での用事が12時に終わって、OMM地下の食堂街で食事をとってから、「大坂城」城下であった西側エリアの城下町文化を探索しました。

 

今回は、お城写真はなく「大阪市のマンホール内の大坂城」

以前「大阪市中央区」が発行している「中央区わがまちガイドナビ」というパンフに記載されているポイントを巡ろうと、昨晩チェックしました。

 

「中央区わがまちガイドナビ」というパンフ

 

その中でも最も見たかったのが、「豊臣秀吉」が「大坂城」下に町民の為に施設した下水道「太閤下水」を見ること、それから「徳川時代」になって築かれた「大坂城」下を、江戸幕府から派遣されてきた「大坂城代」の下に置いて、「大坂」を治める役所・警察・裁判機能を持った「東町奉行所」と「西町奉行所」跡地、その二つを確認して碑の写真を撮る事でした。

 

前述のマップでは、「太閤下水」の場所のマーキングは、「谷町筋」と「本町橋」の交差点北西角になっていたのでその廻りを探しましたが、それらしき表示もなく二周廻ってそれらしき空間があったので、そこだと自分の中で確信して写真を撮りました。溝のようなモノもなく、多分下水道なので覆いをしているのだろうと思っていました。

 

私が勘違いした「太閤下水」跡

 

しかし、帰宅してネットで見ると「太閤(背割)下水」は、「農人橋」の近くの「南大江小学校」付近に標識も説明書きも設備されていると投稿されていましたので、折角行ったのにとガッカリしました。

 

そらそうですよね~  そんな有名な遺構であれば、絶対に標識と説明板がありますよね~

 

ここは、次月の天満橋に行った時に再挑戦することにします。

 

「東町奉行所」碑は、現在「大阪府合同庁舎1号館」の高麗橋線沿いに立ちます。この辺りから北側に建つ「大阪歯科大学」敷地が、元々の「東町奉行所」跡だったようです。

 

「東町奉行所」碑

「東町奉行所」碑

 

そして「西町奉行所」碑ですが、そこへ行くのに色々と見てから辿り着きましたが、先に紹介しておきますと、現在「大阪商工会議所」の北側に建つ「大阪産業振興機構(通称:マイドームおおさか)」の前に碑は立ちます。「西町奉行所」碑は、北側の道沿いにも建てられています。

 

「西町奉行所」碑(マイドーム東正面の方)

「西町奉行所」碑(マイドーム東正面の方)

 

「西町奉行所」は、明治時代になると廃止となりますが、その後は、下記のように次々と用途が替えられて使用されています。

※軍司令部→大阪裁判所→初代大阪府庁→府立博物館→隣地を取り込み美術館と動物園

 

「西町奉行所」碑(マイドーム北側の方)

「西町奉行所」碑(マイドーム北側の方)

 

この「東町奉行所」が、天保年間にクローズアップされたのが、「大塩平八郎の乱」です。奉行所の元与力であった「平八郎」とその門人達が決起して江戸幕府に対する反乱です。

 

当時は、天保の大飢饉の為に各所で農民一揆が多発していて、大坂でもコメ不足が起こっていたので、陽明学者でもある「平八郎」は、「奉行所」に対して民衆の救援を提言しましたが却下されました。しかしコメ不足に絡む色々な不正等もあったので、彼は武装蜂起を行いますが半日で鎮圧され、彼は焼身自殺をしました。

 

この事件は、幕府のお膝元で幕府の役人が起したことで、非常に幕府失墜のきっかけとなりました。

 

この「西町奉行所」があった場所は、前述しましたが、「マイドームおおさか」と「商工会議所」が繋がりますが、「商工会議所」の入口には大阪の商工業や文化産業の生みの親でもある初代会頭「五代友厚」や他二会頭「土井通夫」「稲畑勝太郎」の銅像が立ちます。

 

左から「五代友厚」「土井通夫」「稲畑勝太郎」の銅像

 

この西側には「大坂城」の外堀であった「東横堀川」が流れ、その真上には「阪神高速道路環状線」が通っているので、暗くて鬱陶しくなっています。

 

「東横堀川」

 

近くの「本町橋」は、1913年築の大阪市内で現存する橋の中では最古の橋です。親柱(というのか?)には、古さを感じる「ひらがな書き」と「漢字」の両方で橋名を明記しています。またその土台もレンガのようなもので積み上げています。

 

「本町橋」

「本町橋」

「本町橋」

 

「本町橋」から少し西側に行った道沿いには、創業以来104年の「ぜー六(ぜーろく)」という昔ながらの喫茶店とアイス最中を売っている店舗があります。ここのアイス最中は、夏でも新聞紙で包んでしか持ち帰れないので、店で食べるしかないのです。

 

「ぜー六(ぜーろく)」

 

「本町橋」東側からは、展望がある「シティプラザホテル」が美しいです。

 

「シティプラザ」(奥に「マイドームおおさか」)

 

「東横堀川」を北上していくと「井原西鶴文学碑」が綺麗になって立っています。「東横堀川」を渡る橋には特徴があり。「大手橋」は、そこから東方向に行きますと「大坂城」大手門に辿り着きますが、橋を渡って西側は突き当りになります。突き当りになるので、右か左かどちらへ行こうかと思案するので「思案橋」とも言われているそうです。

大阪らしいな~と思います。

 

「井原西鶴文学碑」

「大手橋」から東方向の「大手通」

「谷町筋」から東方向からの「大手通」

「大手橋」の西方向は突き当りで左右に曲がる

 

更に北には、「高麗橋」が架かります。朝鮮国使来朝の為に架けられたのでその名前が残る等諸説ありますが、1872年に朝鮮使節団を迎える為に鉄橋になったようで、現在は1929年築のコンクリート製になっています。また橋の東側には西日本の距離のスタート点となる「里程元標」が立っています。

 

「親柱」「欄干」に付く、コンクリート製の家の形をした宝珠(と呼ぶのか?)は、朝鮮風のようにも見えます。

 

「高麗橋」の親柱

「高麗橋」の親柱と「里程元標跡」碑

「里程元標跡」碑

 

かなり歩き疲れ、「高麗橋」を西に進むと「堺筋」に出ます。丁度「御菓子司 菊屋」や道路を挟んで1927年築の「高麗橋野村ビル」、また「GOKAN(五感)本店」が入居する古風な建造物が非常にいい雰囲気を出していました。

 

「御菓子司 菊屋」

「高麗橋野村ビル」

「GOKAN(五感)本店」

 

天満橋を出て約1時間20分、少しいい汗をかきながらの歴史探訪ウオーキングとなり、今まであまり知らなかった「大坂城下」を堪能することができて良かったです。ただ、「太閤下水道」だけが心残りでした。

 

 

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