明治維新時に東北諸藩が結成した「奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟」藩のお城紹介をするシリーズです。

 

本日は、「白河小峰城(後編)」(福島県白河市)をお届けします。前回のブログでは、主に「本丸」「二の丸」をお届けしましたが、本日は「三の丸」と城下等についてご紹介します。

 

 

前編  https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12620372507.html

 

「三の丸」は、「本丸」「二の丸」を東側から南側にかけて鉤の手状に囲む曲輪で、南側には「三の丸門」「化粧櫓」が、東側には「北小路門」が「堀」に沿って設けられていました。

 

 

更にその外側には「外曲輪」が置かれ侍屋敷が拡がっていました。北側から「尾廻門(搦手門)」「田町門」「横手門」「大手門」「道場門」が、「内枡形」の構造で門が構えていました。

 

築出櫓石垣

尾廻門(搦手門)石垣跡

花畠門付近の石垣と堀

 

JR白河駅の南側に拡がる広場には、外堀沿いの「石垣」の一部や「道場門」跡の石垣も発掘されてそれらを見ることができます。

 

外堀石垣跡(JR白河駅南東イベント広場内) 

道場門跡石垣

模擬城門と城壁(JR線潜り道路)

 

 その他城下町内には、数々の遺構が残っていたり、藩主の廟所があったり、更には少し離れますが、「松平定信」が藩主だった時に作庭された日本で最初の庶民の為の庭園「南湖公園」も美しい風情を残しています。

 

「白河小峰城」の唯一の遺構が、「二の丸」出入口の「太鼓門」西側にあった「太鼓櫓」で、「外曲輪」跡の郭内にある「A家」邸宅内に移築されています。二度の移築の間に、形がかなり変わっているようですが、案内板に掲出されている古写真を見ますと、昔の面影が残っていることがわかります。この「太鼓櫓」は、市の重要文化財に指定されています。

 

移築現存「太鼓櫓」(A家内)

紅葉土手に建っていた時の太鼓櫓(大正~昭和にかけて、案内板の古写真より)

 

「外曲輪」の南部分には、「外堀土塁」跡や「関川寺(かんせんじ)」の境内にも「土塁」や「空堀」跡の一部が残されていますので、訪ね歩くことができます。

 

外堀土塁跡が残る(大鉤型近く)

土塁と空堀跡(関川寺内)

 

「白河小峰城」は、数多くの各家の大名が藩主となり、この地で逝去していることもあって、「小南湖」の脇から登った場所に白河藩城主の大名墓地や廟所があります。「白河小峰城」では定着した大名家が殆どいなかったことから、菩提寺に大名家の墓標が並ぶという光景が見られない墓所でした。

 

小南湖(白河藩の城主の墓入口)

 

まずは、「丹羽長秀」の嫡子で10万石で入封した「丹羽長重の霊廟」が、鬱蒼とした森の中に一基だけひっそりと佇んでいます。こちらは、廟所門の中に墓が立ちます。

 

丹羽長重の霊廟

丹羽長重霊廟

 

次に、「徳川家康」の子「結城秀康」の嫡子である「松平直矩(なおのり)」(家康の孫)の墓もあります。「直矩」は父の時代から数えて、つごう7回の移封を経験したので「引越大名」と揶揄されましたが、最後の勤務地が「白河」だったことから、当地に墓所があります。

 

松平直矩の墓(家康の子結城秀康の嫡子)

 

因みに、本人はどこの大名だったかと言いますと、姫路藩→村上藩→姫路藩→日田藩→山形藩→白河藩です。

 

余談ですが、2019年に公開した日本映画ですが、「長矩」をモチーフにした「土橋章宏原作」の小説「引っ越し大名三千里」が映画化されました。「直矩」を「及川光博」が演じて「星野源」「高橋一生」「高畑充希」等の今が旬の役者たちが出演しました。

 

ある藩の大名を主人公にした映画が最近良く見られます。2016年に上映した「超高速! 参勤交代」は、福島県の「湯長屋陣屋藩主 内藤政醇(まさあつ)」をモデルにしています。

 

また、「家康」の子「亀姫」と「奥平信昌」との間に生まれた「忠明」の孫「松平清照」の墓もあります。神君「家康」との血の繋がりがある大名家のお墓が多いです。

 

松平清照の墓

松平基知(もとちか、直矩の子供)の墓を見下ろす

 

次に、白河の少し南にある「南湖公園」ですが、この公園は藩主「松平定信」が1801年に”庶民と武士が共に楽しむ”との理念で築造された公園で、日本最古の公園とも言われています。現在でも、壮大な池を中心に、四季折々に吉野桜や松、楓や雪景色などに彩られ素晴らしい眺めとなっています。

 

南湖公園 (南湖開墾の碑)

南湖公園 

南湖公園(南側より)

南湖公園(南側より)

南湖公園(松林)

南湖公園(茶室 共楽亭)

 

因みに、「松平定信」は、八代将軍「徳川吉宗」の孫であり、白河藩主から十一代将軍「徳川家斉」の時に幕閣として老中に抜擢されて「寛政の改革」を推し進めました。

 

次回からは、「奥羽越列藩同盟」に少し遅れて参加した北越6藩のお城を見ていきたいと思います。まずは、もっとも激戦した「長岡城」からお届けします。

 

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