明治維新時に東北諸藩が結成した「奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟」藩のお城紹介をするシリーズです。
本日は、前回に続き「松前城」の後編をお届けします。前回は「本丸」「二の丸」を見てきました。
前編 https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12619902962.html
全体模型(城内で展示分)
「三の丸」は、土塁に沿って七基の「砲台」が海側に向けて据えられ、現在は「七番台場」跡の上に屋形が組まれ、「五番台場」の跡と共に目にすることができます。ここから眺める日本海は、非常に雄大に見えて美しいですが、明治初年の旧幕府軍艦が浮かんでいて、艦砲射撃を受ける側としては恐ろしい場所だったと思います。
三の丸七番台場
三の丸五番台場跡
三の丸土塁(六番台場跡方向)
三の丸五番台場跡から城下と海を臨む
「三の丸」から城下に出る門は、「馬坂門」と「天神坂門」など5か所あったようで、「天神坂門」は復元されています。
馬坂門跡(馬坂側から三の丸方向)
馬坂(藩士の登城ルート)
復元天神坂門(高麗門)
復元天神坂門(高麗門)
前編で触れました「大土塁」を越えた場所には、松前藩の始祖武田家を祀る「松前神社」が建っていて、真っ赤な銅板葺の屋根が目立ちます。そして、「松前神社」前を抜けると、左手には「本丸」の北西を守る外堀として「月琴(げっきん)堀」が掘られています。
松前神社
月琴堀
「内堀」から北側に進むと「寺町門」跡があり、そこを出るとお寺が集まる「寺町通り」となっていてお城の防御緩衝地帯です。
寺町門跡
寺町門跡と外堀跡(道路)
寺町通りには立派なお寺が並び、「龍雲院」の惣門は重要文化財で、このお寺は戊辰戦争で焼失しなかった唯一の寺です。藩政時代の伽藍が当時の姿を見せます。「法源寺」は曹洞宗のお寺で、山門は道内最古17世紀中期建築のもので重要文化財に指定されています。「光善寺」に植わっている「血脈桜」は、松前三大名桜の一つで有名です。
龍雲院惣門
法源寺山門
光善寺山門
「阿吽(あうん)寺」の山門には、「松前城」の「寺町門」が移築されて現存しています。「法幢寺」は「松前家」の菩提寺で、松前藩主松前家墓所55基が見事に立ち並んでいます。また、唐破風を持つ「墓所門」も格式を感じます。
松前城の寺町門(現 阿吽寺山門)
法幢寺山門
法幢寺内松前藩主松前家墓所入口(55基の墓群)
松前家藩主墓所門(唐破風)
墓所内の墓群
以上のように、「寺町通り」には、各々に特徴があるお寺が残されており、回遊してみるだけでも様々なモノに触れることができます。
最後に少し北東方向へ歩みますと「松前藩屋敷」にたどり着きますが、こちらは、藩政時代の松前城下を再現したテーマパーク的なエリアになっています。中は、復元「沖の口奉行所」から「武家屋敷」「廻船問屋敦賀屋」「藩屋敷近江屋」「自番所小屋」等が建ち並び、江戸時代の中へタイムスリップしてきた感じになります。
松前藩屋敷入口(14棟再現)
藩屋敷 武家屋敷門(藩士最末席士分110石)
藩屋敷 廻船問屋(敦賀屋、北前船の荷が揚げられた)
藩屋敷 近江屋
藩屋敷 旅籠(越前谷)
藩屋敷 番屋
藩屋敷 自身番小屋
藩屋敷 沖の口奉行所(蝦夷地に出入りする船荷人を検める)
沖の口坂役所跡
以上が「松前城」とその城下でしたが、日本では最後に建てられた天守や櫓を伴う「和式城郭」(長崎県の「福江(石田)城」の方が幕末に近いですが天守や櫓は建てず)です。
以前は、JRが木古内から走っていましたが、現在は、木古内からバス或いは函館からバスでの長旅(函館からだと3時間と少し)になります。しかし、最果て感を体験できる城下町で時間をかけて訪城したことに、満足感を得ることができます。
次回ブログでは、戊辰戦争時点では、幕領となっていた「白河小峰城」をお届けします。
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