年老いた両親を時々に見守る為に実家へ行きますが、先日二階に置いているモノを取ってきて欲しいとと頼まれ、二階に上がった時の話です。

 

二階の一室に置かれている本棚の本を何気なく見ていると、1冊の古いアルバムを見つけました。

 

それは、私が以前から実家の何処かに保管しているならもう一度見てみたいなーと思っていた写真アルバムで、見つけた時の喜びは“ひとしお”でした。

 

アルバムの中は、私が小学校の4・5年生くらいの時に、両親に連れてもらい訪問したお城の前で撮ってもらった写真を張り付け、そこに、当時の自分ながらにできるお城についての情報を記載したモノです。

 

「写真」と「入場券の半券」を貼り、「城名」「建物名(天守中心)」「すんでいた人」そして「そこまでの鉄道沿線図」を記載した簡単なモノです。

 

これはいつ頃なのだろうかと思い、「入場券の半券」をよく見ると入場日スタンプが押されていて昭和40年頃のように見えます。

 

写真からすると、私と弟の姿から想定すると、1~2年の間に、10城のお城に連れてもらっているのが判ります。勿論写真は、父が写してくれたものです。

 

このアルバムに掲載しているお城は下記の通りです。

「姫路城」「明石城」「大坂城」「和歌山城」「名古屋城」「犬山城」「彦根城」「二条城」「伊賀上野城」「伏見桃山城」で、「伊賀上野城」と「伏見桃山城」だけが天守の写真が剥がれて紛失していました。

 

「姫路城」へ行った時

 

 

「明石城」へ行った時(私の服が同じなので、多分、姫路城の帰りに寄ったんでしょう)

「大阪城(大坂城)」に行った時

 

これだけ短期間にお城を訪ねたのは何故だったのだろうか? 

 

私は、NHK大河ドラマを見ることが好きで、それに触発されてお城を見たいと言い出したのではないかと推測、それでネットで年代別タイトルを探してみると、昭和40年(1965年)に「緒形拳」の「太閤記」が放映されていました。

 

多分この放映をキッカケにお城に興味が湧き好きになったので、お城巡りを両親におねだりしたのではないかと思いました。

 

当時は、マイカーはないし、鉄道だけ、しかも昭和39年(1964年)に新幹線が開通したところでしたので、「名古屋」「犬山城」へは「新幹線」で行った記憶はありますが日帰りだったと思います。

 

「名古屋城」へ行った時(住んでいた人が「織田信長」というのが、そんな知識がなかったんでしょうね)

「犬山城」(名古屋城とセットで行ったと思います、入場日スタンプに「40」?の数字が見えるような)

 

そして名古屋では、東山動物園内にも入場し、当時ではここに初めて導入された「懸垂式モノレール」に乗った記憶があり、今思えばかなりの強行軍だったんだろうなーと両親には感謝しています。

 

「彦根城」へ行った時

「和歌山城」に行った時

「二条城」に行った時

「伊賀上野城」に行った時(写真が剥がれてしまっています)

「伏見桃山城」に行った時(天守前で撮った写真が剥がれてしまっています)

 

このアルバム以降は全く更新されていません。「太閤記」も終わってしまったこともありますが、中学生、高校生となりクラブや学業や折々の受験勉強等もあり「お城」への注目度は減少していったと思いますが、「日本史」と「地理」は、その後もずーと興味ある好きな科目でした。

 

これが、再び燃え出すは、30年後の「名古屋転勤」とその時に放映されたNHK大河ドラマ、「竹中直人」演じる大河ドラマ「秀吉」を見たからです。

 

名古屋での2年間は単身赴任生活を癒すべく、名古屋を中心に紹介されるお城や戦場地を休みの日に訪問することで、再び「お城巡り」をしたいという気持ちが沸々と湧き上がってきて復活するようになった訳です

 

この「お城好き・お城巡り好きの原点」と「お城巡りの復活」のどちらもが、NHK大河ドラマ、しかも名古屋を中心に始まるドラマの主人公“秀吉”がキッカケとなったのは何かの因縁のような気がします。

 

前述しましたが、このアルバムは簡単なモノですが、当時としては、このくらいしか得られる情報源も無かったので、現在の小学生が作成するモノからすれば、陳腐かもしれません。

 

しかし、これは私が「お城好き」になり、また現在、実践している「私のお城巡り」と帰宅後のブログやツイッター発信をしている「原点」でもあろうと思い、このアルバムの発見には感慨深いものがありました。

 

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