赤穂城」(兵庫県赤穂市)の続き、「中編」です。

 

前編 https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12572422048.html

 

星形に近い縄張りの「本丸」跡

 

広々とした「三の丸」跡の遠く向こうには、「二の丸堀」に沿った石垣や櫓台が見えますので、その入口である「二の丸門」跡を目指します。

 

「二の丸門」は、切妻の「櫓門」が建っていました。「甲州流」軍学の「近藤正純」によって縄張りされましたが、1653年に「山鹿流」軍学の「山鹿素行(やまがそこう)」が手直しをした門だそうですが、変更点が今一つよく解らずじまいでした。

 

「二の丸門」跡(正面に向かって東側)

「二の丸門」跡 (二の丸堀の西側と二の丸石垣に続く「北櫓」台)

「二の丸門」跡から「二の丸堀」の東側を見る

「二の丸門」の古写真(城内説明板に掲出写真)

 

「二の丸」は、「本丸」の周囲を取り巻く「輪郭式」曲輪となっていて、非常に広い敷地を使用しています。

 

その中に造園された「二の丸庭園」は、現在発掘調査に基づいて復元整備中ですが、広々とした敷地内には大きな池とそこに浮かぶ2つの中島、東屋や舟倉を設け、周囲は「二の丸堀」側は土塁上に櫓も置かれ、平地側には「仕切土塀」や「仕切門」が備え付けられています。

 

復元「二の丸庭園」内の「東屋(あずまや)」 

復元「二の丸庭園」を取り巻く土塁と「北櫓」台

 

「二の丸門」跡すぐ右側の「二の丸庭園」入口には、「大石頼母助屋敷門」が移築されています。

 

復元「二の丸庭園」入口(「大石頼母助屋敷門」)

 

「二の丸門」跡正面で、「本丸堀(内堀)」の向こうに大きな復元「本丸門」が建ちます。

 

「本丸跡」(右側)、「本丸内堀」と「二の丸跡」(左)

「本丸内堀」と奥に「本丸東北隅櫓」台

 

「大手門」は、「高麗門」と「櫓門」で、「高麗門」右手には雁木が設けられ、右手に折れる内枡形を形成しています。

 

復元「本丸門」(平成8年復元、明治10年代まで存在、高麗門と櫓門との桝形形成、石垣は赤穂産の花崗岩) 

「本丸門」の古写真(城内説明板に掲出写真)

復元「本丸門」の桝形内から高麗門を見る 

復元「本丸門」の桝形内から雁木を見る

復元「本丸門」の桝形内から櫓門を見る 

復元「本丸門」の櫓門(本丸内から見る)

復元「本丸門」の櫓門(本丸御殿跡から見る)

 

「櫓門」を潜ると拡がる広場が「本丸御殿」跡で、正面には立派な「天守台」が鎮座します。

 

「本丸御殿」跡と「本丸庭園池泉」の平面図

 

「本丸御殿」は、藩政庁である「表」、藩主公館である「中奥」、藩主私邸である「奥」から構成され、現在はその跡に平面表示が施されています。

 

「本丸御殿跡」(平面表示)

 

復元「本丸庭園」と「本丸御殿」平面表示(天守台より)

 

「天守台」ですが、天守は当初から建造されることなく「天守台」だけがいざという時用として積まれていました。17世紀中盤の築城ですので、「天守台」の隅の算木積みも完成された積み方です。また、「矢穴」が多数見られました。

 

天守台(南西面=本丸庭園側から)

天守台(南面から)

天守台の上部

天守台の矢穴

 

「天守台」は高さ9mありますので、そこからの眺めは全方向見渡せます。特に、手前は「本丸御殿」に併設されていた「本丸庭園」が発掘調査に基づいて修復整備されているので美しいです。

 

復元「本丸庭園」

 排水溝跡(池泉脇の) 

「本丸跡」内側の土塁

 

また、「本丸」の外形が横矢掛を意識し屈折させた星形に近い形を実現させているので、そのラインが良く解る上に、その端に復元整備して設えされた櫓台もよく見えました。

 

「本丸東南隅櫓」台(天守台より)

「本丸南西隅櫓」台(手前は「刎揚門」、天守台より)

「本丸北西隅櫓」台(天守台より)

 

「天守台」から下りて、「刎橋(はねばし)門」跡を覗きに行きそこから見える堀と両脇の屈折する石積みを確認できました。

 

「刎揚門」跡(「本丸」跡側から)

「本丸刎揚門」前の渡り橋(向こうは「二の丸跡」) 

「刎揚門」跡(「二の丸跡」側から)

「本丸刎揚門」跡から「横矢掛り」の石垣

「本丸南東隅櫓」台から「刎揚門」跡、「本丸南西隅櫓」台にかけての横矢掛り(「二の丸跡」からのぞむ)

 

「本丸」跡の東側に開いている復元「厩口門」は「高麗門」形式で、「浅野家」時代は「厩口門」と呼ばれていましたが、「森家」時代には「台所門」と名称変更されたようです。

 

 復元「本丸厩口門」(高麗門、天守台より)

復元「厩口門(台所門)」と土塀と橋 (平成8~13年にかけて復元) 

復元「厩口門(台所門)」と土塀と橋 (「二の丸跡」から)

 

「厩口門」から橋を渡ると「二の丸」跡で、そこから振り返ると門脇の石垣の向きが各々違う方向に向かっているという此処でも屈折が見られます。

 

 復元「厩内門」の右側の土塀と「本丸堀」、奥には「本丸東北隅櫓」台

復元「厩口門」左の曲線土塀

 

こちらの「二の丸」跡の東側は、土塁が南北に長く続きます。というのも、元々はこの土塁の東側が海に面していました。

 

土塁に上りそこからの眺めは、海鼠壁の土蔵造り4棟が並ぶ「赤穂市立歴史博物館」の敷地が堀越しに見え、その堀が「舟入」であったと思われます。

 

「赤穂市立歴史博物館」と「二の丸東北隅櫓」台の間には「船入り」跡

 

「博物館」方向には、「二の丸東北隅櫓」台が見えます。一方、眼を南側に転じますと、海岸沿いの石垣がずっと続くのが見られますが、元々海だった所は住宅街となっています。

 

「二の丸東北隅櫓」台

 

本日はここまでで、次回のブログは旧海岸線沿いと「舟入」、「水手門」跡などを見ていきます。

 

 

 

「ポチ」をどうぞよろしくお願いいたします。

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ
にほんブログ村

 

「フォロー」の方もどうかよろしくお願いいたします。

シロスキーのお城紀行 - にほんブログ村

 

もしよろしければこちらにも「ポチ」をお願いいたします。


お城巡りランキング

 

PVアクセスランキング にほんブログ村