本日よりNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の放送が始まりました。

 

放送早々から、美しい「美濃明智荘」のシーンがドラマ的に描かれていましたが、この「明智」は、「岐阜県可児市」の方なのか、「岐阜県恵那市」の方なのか興味あるところでした。

 

「明智光秀 生誕の地」弾幕(可児市)

 

第一回目は1時間15分の拡大版で、当時「明智城主」だった叔父「明智光安」の下で青年時代を養育される頃のお話から、諸国(特に堺と京)を訪ねて鉄砲と、「斎藤道三」の側室だが病気気味の「光秀」の叔母の病を治せる医者を探しに国元を出ます。そして、京での「麒麟=世の中の安寧をもたらす動物=が早く現れて欲しい」との農民の声に身が引き締まる思いにかられるというお話だったと思います。

 

そして大河ドラマの最後を飾るのは、本日ドラマの背景となった場所の紹介で、「明智荘」がこのお話では「岐阜県可児市」の「明智城」であることが判明しました。

 

ということで、「青春18切符」使用期限最終日の1月10日(金)に訪城したのが、「犬山城」と可児市の「明智城」だったので、「青春18切符」で昨年末から訪城していたお城紹介ブログを一旦お休みにして、本日のブログはこの「明智城」を描きたいと思います。

 

前置きが長くなりましたが、当日名鉄「犬山駅」から名鉄広見線「新可児駅」経由で「明智駅」で下車しました。もう既に「明智駅」前から、「明智城址」への桔梗紋付表示板、「麒麟がくる ぎふ可児 大河ドラマ館」の幟が至る所に立ちます。

 

名鉄広見線「明智駅」

 

 

まず城址までの道のりの途中には「明智光秀誕生の地」で「光秀産湯の井戸跡」が、色々な資料や古写真、幟で場所の提示があります。「光秀」が30歳頃まで過ごした家もこの辺りだったとか。昭和の初め頃までは、井戸跡も盛土になった場所で良くわかったようですが、その後宅地造成がされ今やその址碑のみになっています。

 光秀産湯の井戸跡地

光秀産湯井戸跡地の古写真

「麒麟がくる」の幟

 

少し山に進んだ麓に「大手口」なるところがありますが、そこを左に曲がって少し行った所には、明智一族と関わりの深いお寺「天龍寺」があります。こちらの売りは、「180cmもの高さの日本一大きな明智光秀の位牌」があるとのことで、本堂の少し開けられた扉の間から拝むことができました。

「天龍寺」山門

「日本一大きな明智光秀の位牌」

 

また、この寺の裏手には、「明智氏歴代の墓所」ということで沢山の小さい墓石が並んでいました。

 明智氏歴代の墓所

 

「大手口」に戻ると、「明智城」の縄張り図が掲出されていて、城内の曲輪が非常に解りやすく表示されています。ただ、「明智荘 散策マップ」は「本丸跡」近くに置かれていましたが、その曲輪が記載された紙があれば、それを見ながら歩けてより分かり易かったと思います。

 

城内の曲輪が解る散策路マップ

 

「明智荘」散策マップ

「明智荘」散策マップ

 

「大手口」からの道は石が張り詰められ整備されているので歩きやすく、すぐ左手の高台は「大手曲輪」跡です。少し進んだ所が「大手門」跡で、模擬の「冠木門」が建っています。

大手口

「大手曲輪」跡

模擬冠木門の大手門

 

そこから、「桔梗坂」と呼ばれる「大手道」がしばらく登り坂で続き少ししんどいです。左手の土手上は「東出丸曲輪(一の曲輪)」、右手の土手上は「中ノ曲輪(二の曲輪)」の森林が続いています。

石畳に整備されている桔梗坂

 

「大手道」を上りきった曲輪が「二の丸曲輪」で馬の背となった長い平べったい土地で、「馬場」とも言われた場所です。そこには模擬なのか「逆茂木」が並べられていて戦国時代の城的な風情を出しています。この場所にある小屋内に先程の「マップ」が置かれていました。

「二の丸曲輪」跡と「馬場」跡 

模擬の逆茂木と柵

 

真っすぐ進むと「西出丸曲輪」で、大きな土塁になっています。そして戻った所の北側に「本丸跡」が配備されていて、そこには「本丸跡碑」と刻まれた大きな石が置かれています。

西出丸曲輪跡

搦手曲輪跡

本丸跡

本丸跡に立つ「明智城址」碑

 

今回のドラマスタートを前にして創られたであろう「展望台」からは、先ほど歩いてきた「明智荘」や、「斎藤正義」が築城し「織田信長」に仕えた「森蘭丸」が産まれた地である「美濃金山城跡」の山も見えます。

 

本丸跡に新たに組まれた展望台

展望台からのぞむ「明智荘」

展望台から見える「美濃金山城」跡

 

「本丸」跡の脇からは、やはりこのドラマに合わせて整備された「十兵衛坂」があり、「台所曲輪」「水ノ手曲輪」へと下って行きます。この辺りは、湧き水がわき出ているのかジットリとした湿っぽい土地です。

新たに整備された「十兵衛坂」

台所曲輪跡方向(立入禁止でした)

水ノ手曲輪跡

 

道を更に下っていくと、右手に上り口があり左に折れる虎口となり「西大手曲輪」があります。その上には、明智一族の供養塔と伝わる「六親けん属幽魂塔(ろくしんけんぞくゆうこんとう)」が祠の中でひっそりと立ちます。そしてその奥が「乾曲輪」となっていてその先には「見張り台」がありました。

西大手曲輪跡への虎口

「六親けん属幽魂塔(ろくしんけんぞくゆうこんとう)」の祠

「六親けん属幽魂塔(ろくしんけんぞくゆうこんとう)」

乾曲輪跡方向

見張り台跡(搦手門跡付近から見上げる)

 

「見張り台」の下が「搦手門」跡で、そこには杖が用意されていたので、こちらからも上れるようにしています。

搦手門跡

 

丁度、男女6~7名が同じ黒色の「明智紋」が付いてポロシャツを着た市の職員風の方が、翌日11日から近くにオープンする「大河館」と併せて、「明智城」の準備状況の点検に来られていたようでした。

 

大河ドラマ「麒麟がくる」で早々に、先日訪問した地が紹介されているのを見て興奮し、慌ててブログに投稿してみました。

 

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