「八上城」(前編)からの続きです。

 

「本丸」跡の東側から「南曲輪群」「東尾根曲輪群」を通って前述した「藤木坂口」へ下りるルートがありましたが、悪路となっているとのことでしたので、「南曲輪群」へだけ下りることにしました。

 

急な坂を下りた所には「蔵屋敷」跡が通路に沿ってあり、更に下った所には「東池番所」跡があります。その南西真下辺りに「朝路池」があり、山城の生命線である水の確保ができる重要な場所を守備する役目を担っていました。

 

蔵屋敷跡

東池番所跡

 

 

「朝路池」に下りて見てみたいとの思いで下った所には「大竪堀」が横たわっています。

 

大竪堀跡

大竪堀跡

 

 

「朝路池」は、飲料用水用の池で、周囲を高い山で囲われた底地で非常に神秘的な場所、というよりも何か薄気味悪い位置です。「朝路池」の謂れを立て看板で読むと一層寒気がしてきました。というのも、落城の際に「朝路姫」が入水自殺したとか、また財宝を埋めたとの伝説があるそうです。

 

朝路池跡

 

 

この池の脇には「池東下の番所」跡で、「堀切」に突撃してくる敵を掃射した場所だったようです。

 

池東下の番所跡

 

 

その「大堀切」跡が、この場所から対面の山上に、V字カットした状態で見えます。

 

奥に大堀切跡

 

 

この山底からできるだけ早く抜け出して「本丸」跡に戻りたいとの思いでかけ上りました。

 

再度「本丸」跡に立って周囲を見回すと、460mの高さの実感を得ることができます。「篠山城」の天守台を始め「本丸」「二の丸」跡の石垣も良く見えました。

 

本丸跡から見下ろす篠山城

 

 

下城は、やはり早く25分位で麓の「春日神社」まで戻り、レンタサイクルで麓の「播磨街道」沿いの旧「八上城下町」を走りましたが、特に城下町独特の武家屋敷等の遺構は見当たりませんでした。

 

しかし、旧家が所々にあったり、旧「山陰街道」と旧「播磨街道」との分岐点辺りには「重兵衛茶屋」という江戸時代に参勤交代の大名や旅客の休憩所になった建造物が残っていて、丹波篠山市の指定文化財になっています。

 

重兵衛茶屋(市指定文化財)

 

 

また、篠山城下の「青山歴史村」の敷地内には、元「八上城」城門だった門が「八上城下」の屋敷に移築され、それがこの「青山歴史村」へ再移築されて現存しています。

 

元「八上城」城門(現 篠山城下の「青山歴史村」の敷地内)

 

元「八上城」城門(現 篠山城下の「青山歴史村」の敷地内)

 

 

 

それでは、次回のブログでは、「篠山城下」に入っていきたいと思います。

 

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