先日12月10日に「大和郡山城」を訪城し、その足でJR郡山駅から一駅大阪寄りの「小泉駅」で下車して、「小泉城・小泉陣屋」(奈良県大和郡山市小泉町)に向かいました。

 

こちらもだいぶ以前に訪れたことがありますので久々の訪城となります。駅を降りて、まずは「小泉城・小泉陣屋」の高麗門形式の城門が、神門として再利用されている「小泉神社」に向かい、もう一度写真を撮る為に伺いました。 

 

小泉城城門が移築された小泉神社神門 

小泉城城門(高麗門形式)が移築された小泉神社神門 

 

「小泉神社」は、「小泉陣屋」がこの地にできる前からあったようで、戦国時代に「小泉城」主であった「小泉家」を祀り農民の信仰の場として建てられたようです。

 

ここで少し「小泉城」「小泉陣屋」の変遷、城主について簡単に触れておきます。

 

元々は「小泉家」のお城でしたが、「筒井家」との争いの中で、その傘下に組み込まれ重臣として仕えます。その後「筒井家」の移動に伴い、この地域を「豊臣秀長」が統治してお城には「秀長」の家臣が城主として入ります。

 

関ケ原の戦い後、元々は「豊臣家」の家臣だったが中立を貫いたことで、「片桐且元」の弟「貞隆」が1万4千石で入城します。特に「且元」は、豊臣方のお世話係のような位置づけで大坂に近い「茨木城」に移ります。

 

「大坂の陣」でも兄「且元」とともに豊臣方の補佐を任せられますが、「且元」は徳川方と豊臣方の間の取次に苦労するとともに、「大坂城」にいた「淀殿」には疎まれて、結局は徳川方に付きます。

 

その結果、戦後は元の領地である「小泉城」に戻り、「小泉陣屋」を築いて統治し、幕末・維新まで続きます。

 

特筆すべきは、二代藩主「片桐貞昌」で、茶人であり茶道「石州流」の始祖となって、江戸時代通じて武士のたしなみの茶道として広まり、当流派は重んじられました。

 

現在、「小泉陣屋」跡地には、石州流茶道宗家の居宅「高林庵」が建っています。立派な「華頭窓」が付いた門の表札には「片桐家」と掛っているので、子孫の方が居住されているようです。

 

小泉陣屋跡に建つ石州流茶道宗家の居宅「高林庵」

小泉陣屋跡に建つ石州流茶道宗家の居宅「高林庵」

小泉陣屋跡に建つ石州流茶道宗家の居宅「高林庵」

 

その屋敷の南東側には、堀替わりだった「薙刀(なぎなた)池」が横たわり、それに沿った敷地も「高林庵」の庭園で、鯱が付いた平櫓風の建造物や、二層の模擬隅櫓が続櫓を伴って建っていて、いかにもお城跡であることを演出しています。

 

堀替わりの薙刀池

「高林庵」の庭園内の、鯱が付いた平櫓風の建造物

二層の模擬隅櫓と続櫓

 

特に、「薙刀池」の西側から池越しにのぞんだ「高林庵」は、前述の建造物群の壁や庭園に植わる紅葉に当たる夕陽によって映えた光景が、何とも素晴らしいものがありました。

 

夕陽に映える紅葉と城郭風建造物

夕陽が当たる模擬二重櫓

 

「薙刀池」の更に南東には「お庭池」が延びています。その東側の高台が「小泉城」であった場所のようで住宅街となっていますが、南北朝時代には「小泉家」が館を構えたと謂われている広場には、石造りの「小泉城跡」碑が立っています。

 

堀替わりのお庭池

高台の住宅街の中に立つ「小泉城跡」碑

高台の住宅街の中に立つ「小泉城跡」碑

 

その北側の階段で下に降りていきますと、道路の分岐点には「片桐城址」碑が立っています。

 

「小泉城」跡の高台からの階段

「片桐城址」碑

 

12月2日に「茨木城」を訪問したブログでは、「茨木城」の復元「櫓門」が、「茨木城」跡に建つ「茨木小学校」の校門に再建されていることを紹介しました。

 

「茨木城」跡の「茨木小学校」校門に建つ復元「櫓門」

 

その時に、「茨木城櫓門」は、大和郡山市の「片桐家」の菩提寺である「慈光院」山門に移築されているので、以前撮影した写真を掲載しましたが、今回折角近くまで来ているので、もう一度その山門を綺麗に撮りたいとの思いで、急いで向かいました。

 

「慈光院」は全体が茶室として造られているので、「一之門」から「山門」までの間は、茶庭の雰囲気を醸し出していて、「山門」は「躙り口」風の厳かな感じでもあります。訪れた時間も冬季にしては16時前と遅かったので、陽もだいぶ傾き、写真を撮るには光度が不足気味の状態でした。

 

茨木城櫓門が移築されている慈光院山門

茨木城櫓門が移築されている慈光院山門

茨木城櫓門が移築されている慈光院山門の門扉

茨木城櫓門が移築されている慈光院山門の門扉と階段

 

山門潜った右奥には、茅葺で重要文化財に指定されている「書院」も写真に納めることができ満足度を一層高めることができました。

 

慈光院の書院(重文)

 

「慈光院」からJR「小泉駅」まで徒歩で約20分、既に予定していた列車時間が迫っていましたので足早に歩きましたが、それには間に合わず12分後の「丹波路快速」に乗車し新今宮経由難波に向かいました。

 

冬にも拘わらず、必死に歩いたことで汗でベチャベチャ、喉はカラカラでしたが、辛うじて当日夜の部の宴会には間に合わすことができました。

 

12月10日は、“午前の部”の講義、“午後の部”のお城巡り、そして“夜の部”の忘年会の三部講演の非常に濃い1日となり楽しむことができました。

 

次回のブログからは、先日(12月12日)、青春18切符を使って「日帰りお城巡り」に行った「八上城」「篠山城」そして「柏原陣屋」を、「シロスキーのお城紀行」で順次お届けしたいと思います。 

 

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