昨日、実家の用事で京都髙島屋で買物があったので、京都から少し足を延ばして琵琶湖沿岸のお城巡りもしようと、昨日急遽計画を立てました。

 

というのも、

来年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公「明智光秀」の居城であった「坂本城」(滋賀県大津市)の最新写真を撮ること

「膳所城」(滋賀県大津市)では、周辺の移築門には良く訪れましたが、「本丸」跡をじっくりと見ていなっかったので最新写真を撮ること

の目的があったからです。「坂本城」は3回目、「膳所城」に至っては移築城郭建造物が多く残っているので5回目なのですが、ここ暫く訪問していませんでした。

 

坂本城曲輪図(坂本城址公園内に掲出)

坂本城址公園内に立つ「明智光秀」像など

 

 

わが居住地池田市内からのアクセスルートは、阪急で「十三」乗換え京都線で「烏丸」へ、「烏丸」から京都地下鉄烏丸線で一駅「烏丸御池」で乗換え、京都地下鉄東西線が京阪京津線に乗り入れているので「びわ湖浜大津」で乗り換えて京阪石山坂本線で「松ノ馬場(ばんば)」で下車しました。

 

ということで、本日は「坂本城」を取り上げたいと思います。

 

京阪「松ノ馬場(ばんば)」駅から琵琶湖に向かって下っていきます。まずは腹ごしらえを、少し早かったのですが、その道の突き当りにあった「マクド」へ入り、「エグチ」を食べてすぐに「坂本城址公園」に向かいました。

 

坂本城址公園内の正面に立つ「坂本城址」碑

 

 

公園手前の閉鎖となっている建物敷地前に、気が付かなかったらそのまま通り過ぎてしまうような赤っぽい大理石風の石に見ずらい彫りで「坂本城本丸跡」碑を見つけました。たまたま、前日の予習時にネットの中で見た赤い石が脳裏にあったので気が惹かれたのでした。

 

 坂本城本丸跡」碑(城址公園の少し手前)

本丸跡

 

閉鎖建物の敷地部分が、「本丸」であったようです。「坂本城址公園」内に立てられた「解説板」に「坂本城縄張り」が掲出されていましたが、その「本丸」は「琵琶湖」を背にして、西側に向けて「二の丸」「三の丸」と拡がる「梯郭式縄張」であったようです。

 

各郭の間は、「内堀」「中堀」「外堀」で区切られていたようです。

 

城址公園に立つ幟

 

 

「坂本城」は、「織田信長」による「比叡山延暦寺」の焼き討ちの後も、「明智光秀」に監視をさせる為に比叡山の麓に領地を与えお城を築かせましたが、更には、「信長」の「京都」への水運ルートを確保する為にも役割を果たしていたお城であったようです。

 

イエズス会の宣教師「ルイス・フロイス」が書いた「日本史」の中には「坂本城」の記載があり、当時最大規模の「安土城」に次いで二番目に大きな「お城」であり、最古級の「天主」を備え、「小天主」も持っていたようです。

 

「明智光秀」にとっては、本拠地のお城であったと言えます。「光秀」の養子となっていた城主「明智秀満」は、「本能寺の変」後に当城に戻りますが、「秀吉」方に取巻かれたことから、自害してお城も焼失してしまいました。

 

現在、「坂本城址公園」には、まだ新しい「明智光秀」像と説明書き等が並んでいますが、「光秀」像はちょっと可愛い感じがする姿でした。

 

可愛い感じの「明智光秀」像(城址公園内)

 

 

お城の石垣は、「本丸」跡東側の湖面の中に沈んでいて少し干潮になれば石が見られるとのことです。「城址公園」の付近はお城の敷地内ではなさそうなのですが、公園と湖面の間には石塁のような石が並んでいます。これは、後から築かれたモノではないかと思いますが・・・

 

城址公園と湖面の間には石塁のような石

 

城址公園前の湖面(対岸の近江富士が見える)

 

しかし一応、「坂本城」の石垣と信じることにしました。

 

そこから、少し西側に入った所に「東南寺」というお寺があります。以前はここに「坂本城址」碑が立っていましたが、現在はそこから約20m西側を通る旧「北国街道」(大道)沿いに移されていました。大きな番傘を立てた下に「碑」が立ち雰囲気を出しています。

 

東南寺(以前は、この寺院内に「坂本城址」碑があった、二の丸跡)

「坂本城址」碑(二の丸跡、奥に東南寺)

以前の写真では「坂本城址」碑は、東南寺内に)

 

旧「北国街道」(大道)は、元々は「坂本城」が廃城となって「中堀」を埋めてできた道とのことです。また、更に西側に通る細い道は「外堀」の跡とのことです。

 

中堀跡(旧「北国街道」)

外堀跡

 

現地には、遺構といわれるものは、その位しかありませんが、「坂本城」の「城門」や「城郭建造物」と伝わる建物が近くの寺院に移築現存しています。

 

昨日は、足を伸ばさなかったですが、比叡山山麓の「西教寺」と下阪本から北に約1.5㎞の「聖衆来迎寺」には、それぞれ「坂本城」の「総門」と「城門」が移築されています。「西教寺総門」には、以前見に行ったことがあり下記に写真を掲出しますが、いかにも大きなお城の城門と謂わんばかりのかなり立派な「高麗門」でした。

また、「西教寺」内の「大本坊(庫裏)」も、坂本城内の建物を「明智光秀」が「西教寺」の火災後に寄進したものと言われています。

 

西教寺総門に移築された坂本城門

西教寺総門に移築された坂本城門

「西教寺」内の大本坊(庫裏)」も坂本城内の建造物とか

「聖衆来迎寺」(この写真は、城址公園内で掲出されていたモノです)

 

さて、京阪「松ノ馬場駅」まで戻り、京阪石山坂本線で「膳所城」がある最寄駅「膳所本町」へ向かいます。

 

ここで電車を待っていると面白い2両連結で”おでんの絵”がペインティングした車両「おでん電車」なるものを見ました。これから冬に入り比叡山からの冷たい吹きおろしに備えたキャンペーン列車なのでしょうか。

 

次回ブログでは、「膳所城」を報告します。

 

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