「飯盛城」②からの続きです。

 

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「高櫓郭」跡と「千畳敷郭」を結ぶ道には、両側が「堀切」となった間を「土橋」が架かります。一旦降りて再度上った所に「千畳敷郭」があります。こちらは、三段構えとなっていて、最上段には「FM大阪の電波塔」とその建物が建ちます。

 

高櫓郭と千畳敷郭を結ぶ土橋で両側は堀切.

千畳敷郭跡の高台にFM大阪電波塔が立つ 

千畳敷郭跡の高台にFM大阪電波塔が立つ (南側から)

千畳敷郭跡(北側から)

 

千畳敷郭跡(南側から)

 

「千畳敷郭」の最南端には、「虎口」跡が見られます。そして、「虎口」の両脇は「土塁」と思われるモッコリした小山が認められます。

 

千畳敷郭の虎口 (南側から)

千畳敷郭跡の土塁 

千畳敷郭の虎口に至る道(石垣が見える)

 

ここから、「野崎観音」に至る山道をひたすら下りました。四条畷からのコースに比べればまだマシでしたが、連続しての下り道なのでフクロハギは悲鳴をあげているようでした。途中、二股になった山道で案内表示がなく迷い、とりあえず進んだ道がドンドン深い所へ入り込んでいくようで非常に不安を感じました。

 

少し離れた所からバイクの音を聞いてやっと安心はしましたが、遭難する時はこのように奥へ奥へと入っていくんだと思いました。「野崎観音」に行きつく筈でしたが、そこに至らず住宅地へ下山してJR「野崎駅」へ辿り着きました。

 

帰りの鉄道コースは、今年3月に開通した「おおさか東線」の北線部分に始めて乗ろうと、「放出(はなてん)」で乗換して「新大阪」経由で大阪へ戻ることにしました。「おおさか東線」は、元々が「城東貨物線」でしたが旅客専用線として整備され、既にJR「平野駅」から「放出駅」までの旅客線は開通していました。

 

朝夕には、各数本ずつ「奈良駅」から「関西本線」と「おおさか東線」経由の「快速」運行もあって、奈良方面から「新大阪駅」へのアクセスが凄く便利になりました。

 

おおさか東線車両(201系、放出駅)

おおさか東線車両(201系にデザインされた奈良のイメージ)

 

車両は草色の201系で、先般「大阪環状線」で働いていたオレンジ色の201系が引退して最新鋭の323系に置き換わったとの記事を見ましたが、201系はその後も「おおさか東線」や「関西本線」でも活用されているそうで、新線の割には、旧型が導入されていることに驚きました。

大阪環状線の新型車両323系(京橋まで乗車)

 

「続日本100名城」に指定されているので、「飯盛城址」碑や説明板がある頂上部分「高櫓郭」以外の各所に案内や表示板があると思って来城しましたが、途中全くなかったので、出かける前にコピーして準備した「縄張図」と「見所写真」を持参してきた良かったと思いました。

 

全くのハイキングコースのままでしたので、文化財を管理するのが「市」が二市(四条畷市と大東市)に跨っているからなのでしょうか、途中の案内や史跡(郭跡や石垣)の場所表示などをしていただいたら、もう少し登城者が増えるのではないかと思いました。

 


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