「夏恒例のお城巡り一人旅」の報告ブログを投稿していますが、「岡崎城」(愛知県岡崎市)になり、アメブロの文字数制限にかかり、4回に分けてしか投稿できませんでした。(※原因不明です)

 

岡崎城復興天守と付櫓

 

 

1回目「前編」、2回目「中編」、三回目「後編①」、そして本日四回目「後編②」と、分断分断で見難いとは思いますが、どうかお付き合いください!

 

下に、上記「各編」のURLを貼り付けますので、どうぞ「岡崎城」を一気通貫でご覧ください。

前編   

https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12524251328.html

 

中編   

https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12524254690.html

 

後編① 

https://ameblo.jp/highhillhide/entry-12524264400.html

 

後編② 当ブログです。

 

「後編①」の続きです。

 

現在は、「岡崎公園」の中心的な敷地となっていて、売店の脇には「御殿」に併設していたであろう「二の丸井戸」跡が見られます。最も、大きな面積を占めるのが、「三河武士のやかた家康館」で、「松平家」の発祥から「徳川家康」の活躍に至るまでの諸資料が納められています。
 
二の丸大書院庭園跡
 
二の丸跡内 (二の丸御殿井戸)
 
二の丸跡内の「三河武士のやかた家康館」 と本多忠勝像

 
その他公園内には、「二の丸能楽堂」や「徳川家康公銅像」「松平元康像」「本多平八郎忠勝公銅像」「からくり時計」等が所狭しと飾られています。

二の丸能楽堂
 
徳川家康銅像
天守をイメージした「からくり時計」
 
「岡崎公園」の入口として建てられた復興「大手門」がモニュメント的に建ちますが、本来の場所ではないそうです。「櫓門」の櫓台は、地元産の御影石を使用して「切込接(はぎ)」で積まれ、脇には「土塀」も造られています。
 
復興大手門
 
東曲輪跡に建てられた復興大手門 から続く土塀

 
復興「大手門」の東側が「東曲輪」ですが、現在は駐車場となっています。その東隅には、2010年に木造で建てられた望楼型の「東隅櫓」があります。「松山城」(愛媛県松山市)の「野原櫓」を参考にして再築したそうです。
 
木造復興東隅櫓
 
木造復興東隅櫓1階
 
木造復興東隅櫓2階

 
更に「二の丸」の北側から北東方向には「北曲輪」や「三の丸」「浄瑠璃曲輪」「備前曲輪」等が置かれていて、「備前曲輪」には「馬出」が設けられていたそうです。
 
そして、北側から東側にかけて城下が拡がる「総構」の大城郭でありました。
 
今回、「三の丸」跡から東北方向の各曲輪跡や総構えは廻ることができませんでした。随分前に2回程訪問していましたが、当時は公園入口である「二の丸」から入り、途中にある曲輪を素通りして「本丸」に辿り着き「天守」を見ただけで、このような大城郭であったとの感覚をもたなかったことは勿体ない訪問だったなーと思いました。
 
2日目は以上です。3日目早朝の「苗木城」登城に備えて、岡崎市から岐阜県中津川市まで移動します。
愛知環状鉄道の「中岡崎」駅から、JR「岡崎駅」まで乗車して、名古屋経由で中央本線に乗って当日中に「中津川駅」へ向かう予定に沿って移動しました。
 
愛知環状鉄道の車両
 
本当は、愛知環状鉄道で「高蔵寺駅」まで乗車して、そこから「中津川駅」へ向かった方が近かったけれども、「青春18切符」を使用する為に、少し遠回りをしました。
 
次回ブログでは、3日目(苗木城、名古屋城本丸御殿)をお伝えします。
 

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