「夏恒例のお城巡り一人旅」の二日目は、「新城城」→「長篠城」→「吉田城」を廻り、「岡崎城」(愛知県岡崎市)へ参ります。

 

JR「豊橋駅」から「岡崎駅」までは東海道本線で20分あまりですが、「岡崎城」がある「岡崎公園」に行くには、JR「岡崎駅」からはかなりの距離がありそうでした。地図を見て検討した結果、JR「岡崎駅」で「愛知環状鉄道」に乗換え「中岡崎駅」からであれば徒歩でも行ける距離でしたので、それを選択しました。

 

「岡崎城」の歴史と城主については、古くは「西郷家」が築いた中世城館でしたが、「徳川家康」の祖父である「松平清康」が1531年に入城した後は、「松平家」の居城となり「徳川家康」もこちらで産まれました。それ以降も「徳川家」のお城となり、「家康」自身も思い入れのあるお城でした。

 

岡崎城復興天守

 

しかし、「豊臣秀吉」によって、「家康」は関八州へ移され、「秀吉」の臣下であった「田中吉政」が入り、「近世城郭」に改修します。

 

関ケ原の戦いの時には「田中吉政」は東軍に加わったので、戦功によって「柳川城」へ替わりますが、その後は「家康」の支配下のお城となり「本多康重」が入城し、以降も譜代大名の「水野家」「松井松平家」そして「本多家」(最初の「本多家」とは違う系統)と替わって幕末・維新迄続きます。

 

「家康」誕生のお城ということで、お城自身は「三重天守」を始め、「二重櫓」が19基、多聞櫓と櫓門が42基もある大城郭であったそうですが、城主(藩主)の石高は5万石前後であったので、お城の維持管理は大変だったと思われます。

 

岡崎城の模型

 

縄張り」は、南側に「菅生(すごう)川」を天然の要害として、その北側に「本丸」を置き、それを中心に複雑且つ多くの曲輪を設けて拡がっています。

 

「本丸」の東北隅には、三重三階で地下一階の「天守」と東側に渡り櫓で繋がる「井戸櫓」が建ちます。また、南側には、二重の付櫓、更に一重の付櫓、更にもう一段下に付櫓が段々に建ちました。現在は、「天守」「渡櫓」「井戸櫓」が復興再築され、南側には二重「付櫓」ではなくて一重の「付櫓」が復興されています。

 

持仏堂曲輪から見上げた復興天守と復興井戸櫓

本丸跡内の龍城神社前から見る復興天守

復興天守と付櫓 (付櫓は二重櫓と平櫓2基が付く複合型だったが、現在の復興付櫓は単層)

本丸内に建つ 龍城(たつき)神社

 

「天守」の特徴は、望楼型で地下一階から入城します。地階の入口が通常の倍くらいあります。一重目には南北が「入母屋破風」、東西は「千鳥破風」で壁いっぱいの大きな破風が付いています。また最上階には「高覧廻縁」を持ちます。

 

隠居曲輪から天守を見る(東面)

投稿するのに、文字数制限がかかりましたので、次のブログで「中編」を掲載します。

 

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