熊本来訪の為に、暫く中断していた「譜代大名のお城シリーズ」を再開します。

 

本日は、「黒川陣屋」(新潟県胎内市黒川)と「三日市陣屋」(新潟県新発田市上館)の両陣屋を訪れます。

 

胎内市黒川付近の城郭建築(廃業レストラン) 

 

両陣屋の領主(藩主)は、五代将軍「徳川綱吉」の下で側用人であった「柳沢吉保(よしやす)」の長男「吉里」が、「甲府城」から「大和郡山城」へ移封された1724年に、「柳沢吉保」の四男「経隆」が「黒川」の地を、また、五男「時睦」が「三日市」の地を与えられて、いずれも1万石の所領でした。

 

どちらの「柳沢家」も、幕末、明治維新まで領主として統治しましたが、いずれの家も財政面で厳しい運営を求めら本家「大和郡山藩」からの支援を受けていました。

 

「三日市陣屋」は、手書きの「陣屋図」が残されてはいますが詳細はあまり判らず、堀と石垣で囲われたスクエアな敷地であったようで、正面には「陣屋門」を構え、その南側には「八幡宮」を建てて、藩主の「柳沢家」も併せて祀っていました。  

 

「三日市陣屋」の現在は、「七葉中学校」の敷地になっていて、その正門前には「史跡 陣屋跡」の案内板が立てられています。また、国道7号線を越えた場所には「八幡宮」が残っていて、その屋根には「柳沢家家紋」の「花菱」が飾られています。

 

三日市藩の解説

陣屋跡(七葉中学校校門)

陣屋跡(七葉中学校校庭)

七葉中学校から国道7号線越えの八幡宮

陣屋内にあった八幡宮

陣屋内にあった八幡宮の屋根に付く柳沢家家紋(花菱)

八幡宮裏の石碑(最後の藩主徳忠の書「真趣賞心」の文字)

藩士の墓が多く立つ常勝寺山門(中学校の西側) 

 

「黒川陣屋」は、周囲を杉木立で囲んだ敷地内に「厩」「馬場」「矢場」「稽古場」「蔵」「稲荷神社」等が置かれ、土塁で横矢を設けた「大手門」を南東に置き、北西には「裏門」が置かれていたようです

 

「黒川陣屋」の現在は、「黒川小学校」の敷地になっていますが、周辺には殆ど遺構らしきものを見つけることができません。

 

黒川陣屋跡に建つ黒川小学校

陣屋跡の黒川小学校校庭

 

しかし、「黒川陣屋」から少し山に入った所に、日本最古の油田である「黒川油田」跡が存在していて、その遺構である「油壺」を見ることができます。

 

そこは、明治6年にイギリス技師の「シンクルトン」が石油採油法を指導したことから、その名前が冠せられた「シンクルトン記念館」があります。その前には「石油掘削櫓」が残ります。

 

「シンクルトン記念館」前に建つ「石油掘削櫓」

油壷跡

英人シンクルトンの指導(明治6年)により竪穴式の井戸で採取

油壷

 

日本書紀には、天智天皇の時代である668年に、「燃ゆる土、燃ゆる水を献ずる」との記述があり、それ以来毎年、大和朝廷に献上していたそうです。

 

石油は、くろい水=臭い水=くそうず と言われていて、地名の「黒川」も「くそうず」から命名されたものらしいです。

 

「黒川のくそうず」の碑

 

「記念館」の職員の方が、館前の水溜まりに火を近づけると、発火する実演をしてくれましたが、いまだに「天然ガス」が僅かですが湧き出ているようで、水溜まりはブクブクと泡立っていました。

 

天然ガスが湧き出ている

天年ガスに火がつく

 

「黒川陣屋」は、何も遺構がなかったけれども、近くの油田跡に足を運んで見学をしたことで、非常に興奮をしました。

 

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