昨日の続きで「岩国城」ですが、本日は山麓にある「御土居(居館)」跡とその周辺を訪ねます。
「一国一城の令」以降の江戸時代通じては、この場所で、政務と行政が行われていました。現在は、堀に囲われた敷地内には、藩主だった「吉川家」を祀った「吉香神社」(重要文化財)や、矢倉台の跡に建てられた「錦雲閣」があります。
吉香神社の絵馬堂 (御土居 矢倉跡に建てられた)
吉香神社 (吉川家を祀る神社、重文)
「錦雲閣」は、藩政時代の矢倉跡に矢倉に似せて建築された「絵馬堂」です。
吉香神社の絵馬堂
「御土居」という名称は、1698年に5代藩主だった「吉川広遼(ひろみち)」の幼少時の居所として「仙鳥館(せんちょうかん)」が建てられた時に「御館(おたて)」という名前に替え、更に1868年に12代藩主「吉川経幹(つねまき)」が正式な大名として城主格となったので、「御城(おしろ)」と呼ばれるようになったそうです。
前術の説明は、「御土居」の絵図が立てられた中に掲出されていますが、敷地一杯に「御殿建造物」が描かれ、南東隅には二層の「矢倉」とその北側にも二層の「矢倉」が描かれています。更に正面には、枡形の「櫓門」もあったようです。
居館であるお土居の絵と解説
日常の居館であるお土居御殿の絵図
堀の西側は現在、「岩国美術館」「ロープウエイの山麓駅」「岩国シロヘビの館」などの建物が建っている他に、重要文化財に指定されている土壁の黄色っぽい色が目に映える「旧目加田家住宅」があります。そこは、藩御用人を務める中級武士の邸宅でした。
旧目加田家住宅
旧目加田家住宅
更に西側には、「吉香公園」として市民に開放された広場となり、現在紅白の梅が開花して甘い香りが周辺に漂っていました。
吉香公園
吉香公園内の白壁
「吉香神社」の南側の堀を越えた所には、「旧吉川邸厩門」が横たわっています。その東側には、藩校「養老館」の跡地で、現在も引き続き教育関係の建物として「岩国市教育センター」が建てられています。
旧吉川邸厩門
藩校「養老館」跡に建つ岩国市教育センター
その南西側に建つ「昌明館付属屋と門」は、7代藩主「吉川経倫(つねとも)」の隠居所として建造され、廃藩置県の際には岩国県庁舎が置かれて岩国の政治の拠点となりましたが、現在は長屋と棟門が現存して市指定有形文化財になっています。
昌明館付属屋と門
更に西側にある「香川家長屋門」も立派で、岩国藩の五家老の一家の武家屋敷門で、こちらは県指定有形文化財に指定されています。
香川家長屋門
「錦帯橋」のお城側入口近くに立っている銅像ですが、初代藩主「広家」像かと思っていましたが、帰って案内絵図を見ると「広嘉」像で、「広家」の孫にあたる藩主でした。これは、「錦帯橋」を創建した偉業を湛えて、岩国藩主3代目の「吉川広嘉(ひろよし)像」を立てたそうです。
吉川広嘉(ひろよし)像
「錦帯橋」は何度見ても美しいフォルムで、渡り切ってから再度写真に納めました。昼前には、霧も完全に払しょくされて、「錦帯橋」と「岩国城」のコラボは最高の見え方をしていました。
錦帯橋と岩国城
山頂の岩国城(山麓より)
「新岩国」までの岩国バスの時間を待つ間、岩国を代表する商家で鬢付け油の製造販売をしていた「本家 松がね」に立ち寄り、商家の建造物の中を見学した後、腹ごしらえに「岩国寿司」と「レンコンコロッケ」を出してくれる「パンサー」で昼食をとりました。
本家松がね
「岩国寿司」は、大阪でいう「ばらずし」を何段かに重ねて四角形にしたお寿司で、卵焼きの刻みの黄色やでんぶの桃色、野菜の緑色など様々な具材が詰まった豪華なお寿司で美味しいでした。
岩国寿司とレンコンコロッケ
岩国は二度目でしたが、前回は山麓だけで帰りましたが、今回は山頂の南蛮造りの天守を見て大変満足して、次の行程に進みました。
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