「新発田城」下にある「清水園」は、三代藩主「溝口宣直」が下屋敷を造営したもので、御殿を置きました。四代藩主「重雄(しげかつ)」の時に、江戸の庭師「縣(あがた)宗和」を招いて、近江八景を採り入れた京風の池泉廻遊式庭園を作庭させました。中央には、草書体の「水」の字を描いた大泉池が配されています。現在は、国指定名勝となっています。
清水園(園門、新発田藩下屋敷庭園)
清水谷御殿の式台
清水谷御殿内の上段の間(国指定の名勝)
清水谷御殿(書院への廊下)
庭園内には、寄棟造杮葺平屋建ての書院「清水谷御殿」が現存するほか、池の周りに5つの茶室も点在しています。茶室は、「桐庵」「夕佳亭」「翠涛庵」「同仁斎」「松月亭」で、それぞれの趣きが異なります。昭和20年代に、荒廃した庭園の修復工事と併せて、茶人の田中泰阿弥が、「清水谷御殿巻物」や古記録に基づいて築造したものだそうです。
清水園 池泉回遊式庭園 全景
清水園 回遊式池泉庭園(「水」の草書体を表す大池泉)
清水園 茶室(夕佳庵)
清水園 茶室(同仁斎)
清水園 茶室(翠涛庵)
清水園 茶室(松月亭)
清水園 茶室(桐庵)
また園内にある100年以上も前に建てられた「米蔵」は、且つては1万俵が積まれたという蔵で、私が訪問した時はまだ郷土資料館として使用されていて、天井の高い建物でありました。現在は「米蔵ココロ」というレストランとなっています。
清水園内 米蔵(現 レストラン)
清水園内 米蔵(郷土資料館当時の内部)
「清水園」の入口付近には、茅葺平屋建で八間長屋の「旧新発田藩足軽長屋」が建っています。1842年に建てられた、足軽長屋としては非常に貴重な建物です。
新発田藩足軽長屋(重文、1842年築、往時は北長屋と称していた)
足軽長屋(畳二室、板の間一室、踏込み土間、炊事場)
足軽長屋(表側、三×二十四間、茅葺)
また、三の丸にあった江戸後期の武家屋敷「石黒家」は、近くに移築復元されていて、上記下屋敷、庭園、足軽長屋とともに、この界隈は江戸時代の歴史を感じられる一帯となり、閑静なエリアになっています。
武家屋敷「石黒家」(市指定文化財、三の丸近くにあった、石黒家70石の居宅)
そしてもう一か所江戸を感じることができる国指定名勝の「五十公野(いじみの)御茶屋」は、ここから少し離れていますが、五十公野公園の中に遺ります。ここは、藩主「溝口家」の別邸で茶寮として使用されていました。
初代藩主「溝口秀勝」は新発田城に入るまで、ここで居城していました。また、「溝口家」が参勤交代をする際には、新発田城内からここまでは盛装して行列を整え、ここで旅支度をしてから出立したそうです。庭園もあり、こちらは「心」の字の池が横たわっています。
五十公野御茶屋(数寄屋造りの建物、全般に木柄が細く簡素繊細)
五十公野御茶屋(歴代藩主は、江戸参勤交代の行き帰りにここで休息と旅装を整えた)
五十公野御茶屋の庭園(池泉回遊式、心字の形の池)
五十公野御茶屋 座敷棟内
五十公野御茶屋 控えの間の床の間
「新発田城」は、天守に鯱が3匹乗っていたり、現存の下屋敷御殿があったり、国名勝の庭園やら茶室や茶寮があったりと、興味をそそる物件が豊富にありますので、凄く魅力的でワクワクできる城下町であると思います。