「金沢城」二の丸跡から「鶴丸倉庫」の脇を通ります。「鶴丸倉庫」は、幕末に造られた凄く大きく外壁に石板が貼られた倉庫で重要文化財に指定されています。そこから本丸跡に登っていきますが、脇にある本丸東の丸の野面積みの石垣が拡がっています。

 

「鶴丸倉庫」(石板を貼った外壁)

 

本丸東の丸の野面積み石垣

 

本丸跡は鬱蒼とした森になっていて、散策路を歩きますとその端三箇所に礎石など櫓跡が残ります。

 

本丸跡

 

 

「戌亥櫓」台は少し石垣を積む程度のもので、そこからは「五十間長屋」が見下ろせます。「丑寅櫓」台からは、百間堀越えに「兼六園」が眼下に拡がっています。

 

「辰巳櫓」台は、下から見ると三段の石垣が築かれ、先日も記載しましたが、長屋を伴う特異な形をした櫓でした。その櫓台からは、石川県庁や県立博物館の建物が見渡せます。

 

戌亥櫓台跡

 

丑寅櫓の礎石

辰己櫓台跡(長屋を伴った立派な櫓、1759年の大火で焼失)

 

本丸跡の遊歩道を歩き、本丸付壇の入口には「鉄門(くろがねもん)」跡があります。この石垣は切込ハギの櫓台です。付壇には、現存で重要文化財の「三十間長屋」が横たわっています。

 

切込ハギの美しいそんなに高くない石垣の上に、鉛瓦で海鼠壁の二重長屋が建てられていて、内側は格子窓と入口が並びますが、「玉泉院丸」側には格式高い出窓が三つも並んでいます。

 

鉄門跡

 

三十間長屋 (鉛瓦、海鼠壁)

三十間長屋(海鼠壁と出入口)

三十間長屋 (海鼠壁、出窓あり)

 

本丸付壇から坂道を登った所には二の丸に続く「坂門」跡があり、「極楽橋」を渡ると二の丸跡へ戻ります。二の丸と本丸付壇の間には堀切のような空堀が掘られています。

 

坂門跡(上は二の丸)

 

本丸付壇(左)と二の丸の間の空堀

 

「三十間長屋」の裏から覗き込んだ「玉泉院丸」は、回遊式庭園の復元と御殿風の建物が建築されています。

 

庭園の壁面には、この周辺土地から算出される戸室石による「色紙短冊積石垣」が復元されていて、長方形や正方形などの短冊に模したカラフルな色の石を積み上げた光景には、さすが前田100万石!と絶賛せざるを得ないです。

 

玉泉院丸庭園の玉泉庵(三十間長屋 より見下ろす)

 

復元玉泉院丸庭園

戸室石の色紙短冊積石垣(玉泉院丸庭園内)

戸室石の色紙短冊積石垣(玉泉院丸庭園内)

 

「玉泉院丸」には御殿が建っていて、その入口には「鼠多門」と呼ばれる立派な二重櫓門がありました。現在発掘調査と併せて復元工事が進められていますので、完成が楽しみです。

 

鼠多門(玉泉院丸)と二の丸御殿の古写真-金沢城内掲出分

 

鼠多門の復元発掘調査(2017年8月の写真)

 

坂を上る壁面には、金沢城で唯一黒色の坪野石を使用した石垣があります。「玉泉院丸」の中で見てきたカラフルな色から一転した黒色は、良く引き立ちます。そして登り切った所に藩主の側室が住んでいた「数寄屋」がありましたが、そこの石垣は、直方体に切られた「切石積み」(切込ハギ)の「布積」で見栄えが凄く素敵です。

 

金沢城で唯一黒色の坪野石を使用

数寄屋敷石垣(奥方が居住した数寄屋周辺で、切石積み、文化期1808年修築部分)

 

 

次回ブログは、旧第六旅団司令部が置かれていた曲輪を通り抜けして「新丸」方向に進みます。

 

昨日は、台風21号の影響で、15時から停電、そして断水となり、夜は久しぶりにロウソクの光で夕食をとりました。

勿論、パソコンもルーターの電源ダウンでネット発信ができず、パソコンの蓄電分だけで、とりあえずワードで本日のブログ原稿を作成しましたので、本日それをアメブロにコピーで反映させました。

 

台風では、我が家は上記のような影響だけでしたが、それ以上の障害を受けられた方やケガをされた方も多数いらっしゃると思います。

お見舞いを申し上げます。

 

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