一昨日投稿した「水城(みずき)」西側の山並み山中にある「大野城(おおのき)」、こちらは、天智天皇が築城を指示した古代朝鮮式山城の一つです。

 

「大野城」は、福岡県糟屋郡、太宰府市、大野城市の広範囲にまたがる標高410mの大城山(おおきやま)に築かれた山城です。山頂を中心に、約6.8㎞の距離の尾根から谷を巡る土塁や石塁で外周を取り巻いています。

 

百間石垣(180mの距離がある)

大野城跡全体図

「百間石垣」「水ノ手石垣」「屯水石垣」などの7か所の石垣が、外周とこどころに残ります。特に、180mの距離がある「百間石垣」は、メイン道路に沿ってうねりながら横たわっているので、見学しやすいしかなり上までも登って見ることが可能です。これが、1,350年前の古代人によって築かれた石垣だと、手で触れれば感激です。

 

百間石垣

百間石垣(上のほうでうねっている)

百間石垣

百間石垣

さらに、南側と北側の土塁は二重にして防備を強化し、城門は「大宰府口城門」など9か所の門がありました。「大宰府口城門」は、最も身近で見ることが可能で、門の両脇の土塁、門扉を支えていた石垣、門の礎石などに触れることができて、門跡を実感できます。

 

「大宰府口城門」の全体図

「大宰府口城門」の土塁

「大宰府口城門」土塁片側

「大宰府口城門」門扉を支える石垣

「大宰府口城門」の礎石

 

その門の正面に向かって左手には、「水ノ手石垣(石塁)」が残り、その前は濠のようにくぼんでいます。

 

「大宰府口城門」の左脇にある「水ノ手石垣(石塁)」

倉庫などの建物も各所に点在していたようで、現在でも、「主城原礎石群跡」「尾花礎石群」「御殿場礎石群」など8か所に礎石群が残り

ます。

「尾花地区」の倉庫について

倉庫の礎石群

「尾花地区」は、倉庫があった場所であることがわかる礎石群が並んでいます。また、この地区には土塁が蛇のように横たわっていて、その上からは遠望でき、大城山の南側にある「大宰府」を防衛すべく、敵陣の動向を把握できる絶好の場所だったと思われます。

 

「尾花地区」の土塁

「尾花地区」の土塁

尾花地区から大宰府方向の眺め