北海道お城巡りから帰宅した8/2(木)の翌々日8/4(土)、炎天下の中、今度は「吉野ヶ里遺跡」へ行きました。

 

吉野ヶ里遺跡の「南内郭」

九州熊本へ孫のお宮参りに出かける途中、18時頃には熊本の平成駅近くの焼肉店「龍門」で合流する約束をして、我が奥方と博多で別れ単独行動となりました。

 

博多から在来線で、鳥栖乗換え吉野ヶ里駅へ、そこからレンタサイクルで「吉野ヶ里遺跡」へ到着しました。北海道の心地よい温度から一転、灼熱の太陽の下、多分37度はあったと思われるさ中での単独行軍は、入り口付近にあったミストや無料貸し出しの麦藁帽子をものともせずに、汗を留めもなくかかせるものでした。

「吉野ヶ里歴史公園」全体図

「南内郭」の物見櫓群

「吉野ヶ里遺跡」(佐賀県神崎郡吉野ヶ里町から神埼市にかけて)についてですが、我が国最大の遺跡で約50haにわたって残り、弥生時代における「クニ」の中心的な集落の全貌や、弥生時代700年間の移り変わりを知ることができる環濠集落群です。遺構や遺物が沢山発掘されていて、建物穴の遺跡から建物復元が多数行われています。

 

こちらは、日本100名城の88番目のお城に選定されています。古代よりまだ前の、村ができてそれが集まりクニになっていく過程に造られたお城ということで、周囲を環濠という壕で囲い、逆茂木(さかもぎ)で他の族から侵入を阻止し、物見櫓を各所に設けて外部からの侵入を監視し、櫓門で侵入者を攻撃するという、お城の機能を備えた構えとなっています。

 

逆茂木

このエリアの王たちが居住した「南内郭(みなみないかく)」、まつりごとが行われた「北内郭(きたないかく)」、王やそれに近い身分の人が埋葬された「北墳丘墓(きたふんきゅうぼ)」、甕が並んだ「甕館墓列」、交易の中心地の「倉と市」などで構成されていて、かなり見る所が多いですが、滞在時間約1時間余りしかなかったので足早に行動しました。服やスラックスが汗でボトボトに滲むなど、半分熱中症になりながらの強行軍による見学でした。

 

本日は、「南内郭」を紹介したいと思います。

「南内郭」説明と絵図

「物見櫓」が4棟もあり、王やその親族達、リーダー層の住まいを敵からの侵入を監視しています。王たちの家のほかに、煮炊き屋など22棟の建物が復元され、その周囲には柵が施されています。この郭では、当時一部の有力者しか所有できなかった鉄製品の発掘があったことから、王などの居住郭とされています。

 

「南内郭」入口に櫓台

「南内郭」の物見櫓

「集会場」

「物見櫓」の一部は、二階に登れるようになっています。また、王や、王の妻、大人たちの家は、藁葺で竪穴住居となっていて、中に入れる形式です。中には、それぞれ、生活感が出るように土器などが置かれ、人形も展示されています。

 

「王たちの住まい」

「王のすまい」

「王のすまい」の内部再現

「王の妻の住まい」

「王の妻の住まい」の内部再現

次のブログでは、「北内郭」を紹介します。