8/1(水)5時10分に、「スターライト釧路号」は、釧路駅前に到着しました。車内で羽織った長袖シャツは、気温16度の車外に出ても心地良く感じました。

JR釧路駅

バスから降りたお客様は、三々五々いなくなり、私は釧路駅をブラっと散策した後、早い日の出で既に晴天になった青空の下のベンチで、札幌で購入した菓子パンと缶コーヒーで朝食を済ませました。気持ちの良い朝です!

 

同じ釧路駅前バスターミナルから乗車した、6時5分発根室行「特急ねむろ号」には、私含め2人の乗客しかおらず、清々しい空気とともに、平原と湿原の中を、約2時間40分かけて根室まで黙々と運んでくれました。

 

ねむろ号からの車窓(牧場)

特急ねむろ号車内

8時50分前に、JR根室駅に到着し、ニコニコレンタカーの営業所迄、若いお嬢さんが迎えにきてくれました。車内では、食事は根室など道東名物の「エスカロップ」を、お土産は根室しかないという「オランダせんべい」がいいですよーと、親切に教えてくれました。

また、営業所での注意事項は、根室には信号が少ないので信号無視はないけれど、鹿などの動物との衝突事故や、単調な道のりによる脱輪が多いので気を付けてくださいとのことです。

 

との注意事項があったので、気を引き締めて、いざ出発!

 

根室駅前の温度計は、9時過ぎで22度。大阪では、この時間では既に30度は越えているだろうなーと、少しここに居ることの優越感を感じる一瞬でした。

根室駅前の温度計は22.8度(9時頃)

納沙布岬に向けて走る道すがら、大草原や沼などが点在、友知(ともしり)から歯舞(はぼまい)辺りでは濃霧が発生して、これからの天候を危惧しましたが、納沙布岬に着くころには、霧も晴れました。

 

納沙布岬は、本土最東端で日本で一番早く朝日が見れる場所のウリで、1872年に設置された道内初の洋式灯台下の崖にぶつかる波を背景に灯台の写真を撮りました。

 

納沙布岬灯台

「納沙布岬」碑前には、北方領土の島々の形とそこまでの距離がペイントされていましたが、最も近い貝殻島までが3.7㎞、水晶島でも7.0㎞にも拘らず、オホーツク海の向こうの方は濃霧なのか、島影がなんとなくわかる位しか見えず、非常に残念でした。

 

「納沙布岬」碑前には、北方領土の島々までの距離がペイント

「北方館」と「根室市北方領土資料館」を見学して、今回の「北海道お城巡り一人旅」のメインディッシュに当たる「根室半島チャシ群」の「ヲンネモトチャシ」に向かいます。車で数分の所ですが、まずは温根元漁港から遠景写真を撮り、その後日本100名城に指定された後に整備されたと思われる小さな駐車場に止めて、崖上の高台に向けて歩きました。

 

温根元漁港から見る「ヲンネモトチャシ」は重ね餅に見える

ちょっとここらで「チャシ」についておさらいをしてみます。

「チャシ」とは、元々はアイヌ民族が戦闘用や見張り場用としてや、神や英雄を祀る聖域とする場であったり、集会場として造られたそうですが、特に江戸時代に入り、北海道へ進出する和人との戦いに使用されるお城的な場に進化していったようです。

 

「チャシ」は、基本的には高い場所に築かれ、壕や崖などで周囲と切り離された施設であったようです。

チャシの形状の分類法には、

①平坦地や湖の中に孤立した丘や島を利用したもの。

②山や尾根の頂の部分を利用したもの。

➂突出した台地(丘や岬など)の先端を利用したもの。

④崖地の上に半円形の壕を築き、その内部を利用したもの。

 

根室半島にはチャシが32箇所あり、その内24箇所が「根室半島チャシ群」として指定されています。因みに、北海道全体では約500箇所あるそうです。

「ヲンネモトチャシ」は、崖の上に盛土をして更に頂上部に重ね餅のように盛土をしています。そして頂上部は平坦面が二箇所あります。そこからの納沙布岬方向の海と崖の眺めは素晴らしいでした。また、温根元漁港から見たチャシは、「お供え餅」のように見えます。

 

ヲンネモトチャシについて

ヲンネモトチャシ

ヲンネモトチャシの碑

ヲンネモトチャシの壕跡

ヲンネモトチャシの盛土部分から海を見下ろす

ここから、また数分で「ノツカマフチャシ1号・2号」があります。

こちらのチャシは、駐車場から海方向に、ミズナラ林を抜けて自然に生えたアヤメの群生を見ながら、少し足を進めた先のオホーツク海が一望できる崖上に、半円形の壕が二つ連結して壕の内側には盛土がある1号、半円形の浅い壕がある2号が横たわっています。

夏草に覆われていますので、しっかりとは形が判りずらいですが、壕跡と中心部分の盛土は何となくわかります。

 

ノツカマフチャシの解説板

ノツカマフチャシの説明

ノツカマフチャシの碑と風車

ノツカマフチャシの半円形の壕と盛土

ノツカマフチャシの円形盛土

ノツカマフチャシの碑

ノツカマフチャシの盛土周辺

ノツカマフチャシの盛土と壕

「ノツカマフチャシ」には、歴史が刻まれています。というのも、和人とアイヌ民族との間で双方の勘違いによって勃発した「クナシリ・メナシの戦」の結果、このチャシでアイヌ人が処刑された場になったこと、また1778年にロシア商人のシャバーリンが来航して交易を求めたのがこの場所であり、「日露外交交渉発祥の地」と言われています。

 

寛政の蜂起和人殉難墓碑(納沙布岬に立っている)

根室十景と言われる見所がありますが、この後も大草原の中をレンタカーを走らせて巡ってまいります。

これ以降は、次回のブログにてお話をさせていただきます。

 

本日のブログを掲出するにあたり、この根室シリーズは一昨日から3回目の挑戦です。

どういうことかと言いますと、昨日、一昨日にこの根室シリーズのブログを記載して投稿しようとしたところで、PCの調子なのか、アメブロの調子なのか解りませんが、固まってしまい、復元不可能に2度も陥ってしましました。

少し、心が折れてかけましましたが、再々度挑戦しています。1回目も2回目も根室駅まで辿り着き、釧路迄の紀行を記載していましたが、本日はここまでにしておきます。

 

また、固まって再々々挑戦となるのが嫌ですので・・・・

暫く、ブログ更新ができていなかった理由は以上の通りです。