会津若松城(中編)」(福島県会津若松市)では、本丸に入城できる「鉄門(くろがねもん)」からお届けしていきます。

 

「天守」は巨大ですので、三の丸跡や二の丸跡からも見えていましたが、本丸に入ると真ん前に迫ってきます。

 

この「天守」ですが、野面積みの天守台の上に、1965年に復元されたものです。皆さん良く御存知の、戊辰戦争で大砲が撃ち込まれ傾きかけた写真の外観に基づき再築されました。

 

戊辰戦争後の天守閣

 

「天守」自体は五層七階でありますが、南東方向から見ると六層にも見えます。これは、天守台の南東に土塀が取り巻いていることから、その屋根部分が「天守」の屋根の一部のように見えるからであります。また、切妻破風の屋根までも数えると七層にも見えます。

 

復元天守(天守台の北側に天守が建ち、南側は土塀が囲む、南東方向より)※現在は「赤瓦」に取り換えられています。

復元天守(本丸から、東側面)

 

「天守」入口は、石垣に開けられた出入口からの入場となります。「天守」の内部の写真を私自身は全く撮っていませんが、多分内部は資料館となっていて撮影禁止だったからだろうなーと思います。

 

そして、写真の瓦の色は黒瓦ですが、現在は、元々が雪による凍結防止の為に導入された釉薬が施された赤色だったことから、近年赤瓦に葺き替えられています。

 

「天守」の南側に、「走長屋」が伸びてその先に扉や柱に鉄板で巻かれた「鉄門」となっています。戊辰戦争の時には、藩主と重臣たちは「鉄門」で指揮を執っていたとのことです。更に南側には、「南走長屋」が伸びてその先に「干飯櫓」が1990年に木造復元されています。

 

手前から走長屋、鉄門、南走長屋、干飯櫓

 

「干飯櫓」は本丸と帯曲輪の周辺を取巻く土塁と石垣上にありますが、この北側には「塩蔵之内櫓」そして時計回り順に「鐘之櫓」「北西櫓」「弓櫓」「茶壷櫓」「月見櫓」の七基の櫓が取り巻いていました。因みに、あと西出丸に二基、北出丸に二基の合計十一基の櫓がありました。

 

塩蔵之内櫓跡

鐘之櫓(北西櫓)跡石垣

月見櫓跡(白壁総塗り込めの櫓・常に武器が保管、搦め手の物見櫓としても機能)

東櫓(弓櫓)跡

茶壷櫓跡(草が生えている所)

西出丸北西隅櫓跡

北出丸(西北櫓跡)と大手前西堀

 

本丸に戻りますが、「天守」の東側には「本丸御殿」が建ち並び、その東側にある本丸書院庭園には、藩主のご休息所であり客用の「御亭(おちん)」である「御三階」と庭園がありました。

 

本丸御殿跡(鉄門前から)

本丸内走長屋下の井戸

表御座跡(奥に走長屋と南走長屋)

 

現在では、「御三階」の櫓台石垣が残っています。また、その「御三階」は、城下の阿弥陀寺に本堂として移築されていますので、一見の価値があります。

 

御三階(現 阿弥陀寺本堂、本丸南東の正方形の石垣に建っており、物見や展望の役割)

 

本丸にはまだ見所があります。「茶壷櫓」跡の前に、「千少庵」が造った茶亭「麟閣(りんかく)」が現存再移築で残されています。

 

麟閣の表門(戊辰戦争後に城下へ移築、平成2年に元の場所へ移築)

麟閣内 蒲鶴亭

麟閣 蒲鶴亭 鎮<くぎり>の間(平成2年に森川家から移築)

麟閣内寄付(茶室に入るまでの待機、身支度の場所、森川家から移築)

 

「少庵」は、「千利休」の子供で、「利休」が追放された後に「蒲生氏郷」に保護されて、この地で茶の湯三昧の生活を送ることができたようです。この茶室は、1871年の廃城令時に「石州流」の茶人が自宅で保存していたものを1990年に本丸内で再現したものです。

 

因みに、その後「千少庵」は子供の「宗旦(そうたん)」とともに京都に帰り、「千家」を再興。更に、孫の「宗左(そうさ)」は「表千家」を、「宗室」は「裏千家」を、「宗守(そうしゅ)」は武者小路家」を興しました。

 

本丸・帯曲輪の中心地からは、西側と北側へ各々馬出に当たる曲輪が延びています。

 

西出丸へは「西中門」を通り抜けて「梅坂」を下ると大きな「西出丸大手門」の枡形が入口となり、北出丸へは「太鼓門」の枡形を通り「椿坂」を下って右に折れると「大手門」の枡形に出ることができます。

 

西中門(弓門、この向こうに梅坂がある)

時撞堂(帯曲輪 西中門虎口石垣上に残る)

西出丸大手門跡(枡形)

太鼓門跡枡形(椿坂から)

大手門跡(枡形の外門跡、雁木)

 

「蒲生家」「上杉家」時代は、連郭式縄張りだったものを、「加藤明成」が西出丸と北出丸を設けて北西の守りを固めました。その後、「保科正之」が入城して一部修築があったものの、ほぼそのままの形で使用されました。

 

「会津若松城」は、三の丸から二の丸、帯曲輪、本丸経由で各出丸まで歩を進めました。次回(後篇)では、総構えを持つ城下を見ていきたいと思います。

 

 

 

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