今日は、茨城県石岡市にある「石岡(府中)陣屋」に行って見よう!

 

ここは、御三家水戸系松平家の石岡(府中)藩2万石の居城です。

 

徳川家康の十一男頼房の五男頼隆が、関ケ原の戦いの結果国替えとなった佐竹家の後に入った六郷家、続いて皆川家そしてその後天領となったこの地へ、1700年に入封してきました。

 

御殿中心の陣屋構えでありましたが、本丸、二の丸、三の丸と3つの出丸を持った構えで土塁が巡らされていたようです。

 

一部石岡小学校に残る土塁

現在では、陣屋跡は石岡小学校の敷地になっていて一部土塁が残ります。また、元々は市民会館正面にあった陣屋門が同敷地内に再移築されているようですが、私が訪れた時は石岡小学校敷地内にありました。陣屋門の割には、高麗門という立派な門が使われています。

 

陣屋門があった場所を示す碑(市民会館正面付近)

陣屋門(石岡小学校敷地内にあった時の様子)

高麗門の陣屋門

また、城下町には、染物屋「丁子屋」の木造2階建ての商屋建築が江戸時代の姿で残ります。1929年(昭和4年) の大火で焼失を免れた現存する唯一の建物だそうで、土蔵も残っているそうです。

染物屋「丁子屋」で江戸時代の木造建築

古い建物が残るが昭和4年の大火以降のもの