「永山城(日田代官所)」(大分県日田市)は、1601年に「小川光氏」によって築城されたお城で当初は「丸山城」と呼ばれていました。
1616年に譜代大名の「石川忠総」が移封されて改修を行い「丸山城」から「永山城」に改称し、城下町も現在の「豆田」に移転を行いました。
しかし1633年に「中津藩」の預かりとなった後、1639年には幕府直轄地となって「日田代官所」が築かれ初代代官に「小川家」が入城したので、「永山城」は廃城となります。
その後は、1682年から一時、「松平直矩」が7万石で入城して陣屋の改築を行っています。この「直矩」は、幕府から6回も転勤をさせられ引越大名として有名な大名で、「村上城」の後に、一旦「姫路城」の城主に返り咲きましたがその後に「日田」へ入城しました。
「直矩」の統治期間はわずか4年で今度は「山形城」へ移封となり、再度幕府直轄領となります。更には1767年に「西国筋郡代役所」として幕末・維新迄続きます。
「永山城」跡の石垣
「永山城」跡の石垣
「丸石垣」の櫓台?
城跡
城跡の「大隈公園」
「永山城」の堀
「永山城」跡の堀に面する石垣と模擬「土塀」
「永山布政所」跡(日田陣屋跡、幕府直轄西国郡代15万石相当あり)
「日田」は、幕末まで幕府領、「西国筋郡代役所(永山布政所)」としてこの地が治められましたが、この時の遺構として、現在は、「豆田町」の「重要伝統的建造物群保存地区」として酒蔵あり、土蔵あり、長屋あり、また私塾までも残る江戸時代の雰囲気が色濃く残った街並みとなっていています。
「薫長酒造」(江戸~大正間に建築された酒蔵群)
「草野本家」(草野家住宅、重文、元禄年間から建築9棟)
「日本丸館」(安政2年開業明治後期改築、万能薬で昭和40年迄製造)
「天保年間の建築の長屋」
「広瀬資料館」(天保~慶応年間に建築)
「咸宜園(かんぎえん)の遠思楼」(昭和29年に民家から戻る)
「咸宜園(かんぎえん)の遠思楼」2階内部
「咸宜園の秋風庵」
この街並みから少し離れた場所には、先程見てきました「郡代役所跡」や「永山城」の石垣、堀も残っているので、城下町であった証しでもあります。
郡代役所や代官所、陣屋など、お城に似た施設特集として、私のホームページ「城をしろう・城はおもしろい」の「お城に似た施設いろいろ」で紹介していますので是非ご覧くださいね。
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