少し前、バンドマン時代の記事を書いて思い出しました。
『そうだ!!自分はバンドマンだったんだ!!』と。
今でこそ、アコースティックギターを抱えてジャらら~んワーイと、かき鳴らしていますが・・・
ついこの間まで、FLYING Vを腰に落として約20人の観客の前で演奏していた、一端のバンドマンだったのです感動
右矢印20人集まるだけでも苦労するんです…ホントにあせ


人生で初めて組んだバンドは中学1年の時---
小学校からの同級生と『放課後電磁波クラブ』という名前のバンド・・・といっても、ただの音楽バカの集まりでした。(バンド名は、当時全盛だった『ダウンタウンごっつええ感じ』に登場する今田・東野ダブルコージによるコント名そのまま)これまた大人気だったGLAYのコピーをやろう!!というコンセプトの下で、放送委員によるお昼の放送をいかにジャックするか、そればかり話し合っていました。
右矢印約1年の話し合いの末に結局、放送室ジャックに成功したのは中2の2学期・たった1度だけでした。放送室に乱入して、『いぬのおまわりさん』を全教室のスピーカーで大音量で流す・・・今まで生きてきた中で、最もキツイお灸を据えられました。


中2のほろ苦い思い出から遠ざかること6年---
大学入学と同時に、本格的にバンドを始めました。右矢印『放課後おまわりさんクラブ』(なんか違う気がする)とはわけが違います。大学のバンドサークルに入って正統派ロックバンド『友とジュエリー』を結成。基礎を学ぼうむーというコンセプトで、ラルク、LUNA SEA、GLAYなどを片っ端からコピーしていました。まるで筋トレをしているみたいな感じで、日に日に上手くなっていくことだけが心の支えでしたガクリ


そろそろ演奏も板に付いてきたかな・・・という時---
プログレ、アヴァンギャルドに傾倒していた大学2年の時のことです。自分がギターを教えていた女の子と、ステージの上で悪ふざけをしよう!!というコンセプト(打ち上げの2次会で話まとまる)の下、『アヴァンギャルズ』を結成。フィッシャーマンズパンツ+サイケシャツ+インド雑貨に身を包んで、前衛ロックを広めていました。ステージ上でフルーチェを作ってみたり、全篇英語の漫才をやってみたり・・・。極めつけは、平日の昼間っから大学・講堂前の広場で、オーバードライブサウンドを大音量でならす・・・これが理学部教授の逆鱗にふれて、21歳・春、久しぶりに大人に思いっきり叱られましたきゃっ


恋の終わりはバンドの終わり---
なんだかんだがありまして、『アヴァンギャルズ』は破局、いや・・・解散。しばらくバンド活動を避けるようになって、サポートにまわる大学2年の冬スナフキンメンバーが足りないバンドにサポートギターで参加するだけ、という味も素っ気もない時期でした。


時が経つと人は立ち直れるものです笑
落研のメンバーと『犬之躾(いぬのしつけ)』を結成。ボブ・ディラン的ロックをやろう!!という、久しぶりにまとまったコンセプトで発足したバンドでした。


P.S.---大学に入ってバンドをやって、いろいろなことを学びました。
・焼酎はストレートで
・ステージ上ではタバコを吸わない(ギターは燃えるのです)
・ピックのストックを考えてピック投げをすること

バンド初心者の方の参考になれば(ならないわな・・・まっくろくろすけ)、幸いです。