愛する事って案外難しいよね?
でも本来、愛する事はシンプルなんだよね。
今の世の中の愛はちょっとずれてしまっただけ。
だから人に何かをした時に必ずと言ってよいほど見返りを
求めてしまうもの(もちろん全員ではないです(笑))
だから見返りがないと
「何よ。あれだけやってあげたのに、何の返事もお礼もないじゃない」
となってしまうのです。
さもすれば、「裏切られた」という思いも抱くことでしょう。
確かに今の人間社会はこれは至極当たり前であり当然な事だと思います。
ですが、これは真実の愛かといったら残念ながら答えは〝NO〟であります。
真実の愛は見返りを求めない愛、つまり無償の愛こそが本当の愛の形なのです。
これこそが利他愛の純粋な形であります。
真実の愛はただ与える事。
与えたらそれでおしまい。
つまり与えたら見返りも何も期待せずに良しとする行為です。
だけど心配しないでください。
例え、その人から何も返ってこなくても別の所から意外なご褒美だったり
ラッキーな事が返ってきます。
これは宇宙の法則なのです。
〝良い種を蒔けば良い種が返ってくる〟という法則が働きます。
だから何も期待しなくてもいいんです。
与えるだけ与えてしまいましょう。
何より自分が気持ちいいはずです。
人に親切にすると相手も必ず笑顔を返してくれます。
これだけで気持ちもホッコリして幸せな気分になりますよ。
もう、これだけでも十分なはずなんです。
多くを求めてはいけませんね(^_-)-☆
〝期待しない〟
〝惜しみなく与える〟
〝赦す〟
以上の事が出来て初めてスピリチュアリズムに乗っ取った
真実の愛に目覚めた状態だと言えると思います。
3つのブログランキング参加してます
1日1回ポチッと押してくれたら
とってもうれしいです
“人生なんて苦しい事の方が多いものよ”
なんて良く悟ったようにおっしゃる方がいらっしゃいますが、
最近の私は「それってどうなんだろう?」って思うことがあります。
確かに以前の私も
「現実は楽しいことより苦しい事の方が多いのが人生」
だと思っていましたし日記にも書いた事があります。
でも最近思うのは楽しい事も絶対に多いという事。
ここからはあくまでも自分の考えなのですが、
人間は楽しい事より辛い事の方がより魂に刻まれる為にいつまでも
色濃く残ってしまうのではないか?と思い始めました。
そしてやはり人は何もない日常が幸せだと思えない所にも、辛い事の方
が多いという錯覚を起こしてしまっているのではないか?と思うのです。
つまりなんでもないこの日常が幸せなら、毎日がハッピーなはずなんです。
それはすべての事に感謝する心がその人を幸せの境涯に導いていると思うのです。
だけど、人は苦労自慢や不幸の数を数えるのが得意な所がある。
だから人に苦労の自慢で例えば
「この間、マジでやばかったし~、死ぬと思ったよマジで」
という会話は良く聞くけど
「毎日毎日が幸せでもう胸が苦しくなっちゃう」
って言う幸せ自慢ってないでしょ?(笑)
大概、幸せ自慢の場合って彼氏さんや彼女さんが出来た時や新婚当時やお子さん誕生の
時に聞くけど、日常ではやはり愚痴や不満の方が多いのが目立つのです。
だから私が言いたいのは人生は苦しい事ばかりではなくて、ちゃんと楽しい事も
平等にあるって事。
つまり単に見逃してるだけじゃないかって思ったの。
だって、今こうしてネットしてブログ読んでこうやって出来るのもやはり健康だからでしょ?
(だけど今、病気を抱えてる方はごめんなさい
)
つまり健康な精神と体を持つその日常がすでに幸せの中にいるって現実に気付いていないだけではないか?と。
だから苦しい事や辛い事があるとそっちに意識が大きくいってしまうから、
結果、記憶にも残りやすい。
で、後々になってそういう幸せだった時期を忘れてしまって辛い時期だけをチョイスする結果、
「人生なんて苦しい事の方が多いものよ」
なんていうセリフが口をつくのではないか?って思うんです。
だから、ちょっとこんな事を言いたくないですけどその考え方自体が
“感謝不足”
からくる思考であり、セリフであると思ってしまいます。
やっぱり日頃の感謝って大事だと思う。
だって、そういう人って日頃から不平不満は一言も言わないし、
何より輝いているんだよね。
ま~私がこんな風につべこべ言わなくても
そういう方々が何より、生き証人になっていると思います。
心身共に健康ってだけで実は毎日ハッピーなんだな~
(みつを風(笑))
追伸:苦労する事は人を成長させる事だと思っています。それは今でも変わりません。ただ楽しい事にももっとスポットを当てても良いのではないか?って思った次第なんです。そうすると結局、平等なのではないか?と思うようになったんです。そして苦労する事態が起きたら辛いかもしれない。けどそれは試練である場合が多いので試験というか問題を解く感じに受けて経つ姿勢でもっとそれをネガティブに捉えるのではなく自分を成長させる為の試験だと思ってポジティブに捉える事は必要なのでは?と思うようになりました。
3つのブログランキング参加してます
1日1回ポチッと押してくれたら
とってもうれしいです
なんて良く悟ったようにおっしゃる方がいらっしゃいますが、
最近の私は「それってどうなんだろう?」って思うことがあります。
確かに以前の私も
「現実は楽しいことより苦しい事の方が多いのが人生」
だと思っていましたし日記にも書いた事があります。
でも最近思うのは楽しい事も絶対に多いという事。
ここからはあくまでも自分の考えなのですが、
人間は楽しい事より辛い事の方がより魂に刻まれる為にいつまでも
色濃く残ってしまうのではないか?と思い始めました。
そしてやはり人は何もない日常が幸せだと思えない所にも、辛い事の方
が多いという錯覚を起こしてしまっているのではないか?と思うのです。
つまりなんでもないこの日常が幸せなら、毎日がハッピーなはずなんです。
それはすべての事に感謝する心がその人を幸せの境涯に導いていると思うのです。
だけど、人は苦労自慢や不幸の数を数えるのが得意な所がある。
だから人に苦労の自慢で例えば
「この間、マジでやばかったし~、死ぬと思ったよマジで」
という会話は良く聞くけど
「毎日毎日が幸せでもう胸が苦しくなっちゃう」
って言う幸せ自慢ってないでしょ?(笑)
大概、幸せ自慢の場合って彼氏さんや彼女さんが出来た時や新婚当時やお子さん誕生の
時に聞くけど、日常ではやはり愚痴や不満の方が多いのが目立つのです。
だから私が言いたいのは人生は苦しい事ばかりではなくて、ちゃんと楽しい事も
平等にあるって事。
つまり単に見逃してるだけじゃないかって思ったの。
だって、今こうしてネットしてブログ読んでこうやって出来るのもやはり健康だからでしょ?
(だけど今、病気を抱えてる方はごめんなさい
)つまり健康な精神と体を持つその日常がすでに幸せの中にいるって現実に気付いていないだけではないか?と。
だから苦しい事や辛い事があるとそっちに意識が大きくいってしまうから、
結果、記憶にも残りやすい。
で、後々になってそういう幸せだった時期を忘れてしまって辛い時期だけをチョイスする結果、
「人生なんて苦しい事の方が多いものよ」
なんていうセリフが口をつくのではないか?って思うんです。
だから、ちょっとこんな事を言いたくないですけどその考え方自体が
“感謝不足”
からくる思考であり、セリフであると思ってしまいます。
やっぱり日頃の感謝って大事だと思う。
だって、そういう人って日頃から不平不満は一言も言わないし、
何より輝いているんだよね。
ま~私がこんな風につべこべ言わなくても
そういう方々が何より、生き証人になっていると思います。
心身共に健康ってだけで実は毎日ハッピーなんだな~
(みつを風(笑))追伸:苦労する事は人を成長させる事だと思っています。それは今でも変わりません。ただ楽しい事にももっとスポットを当てても良いのではないか?って思った次第なんです。そうすると結局、平等なのではないか?と思うようになったんです。そして苦労する事態が起きたら辛いかもしれない。けどそれは試練である場合が多いので試験というか問題を解く感じに受けて経つ姿勢でもっとそれをネガティブに捉えるのではなく自分を成長させる為の試験だと思ってポジティブに捉える事は必要なのでは?と思うようになりました。
とってもうれしいです
今の学生さんは目的意識を持って生きている人は果たしてどのくらいいるのでしょうか?
なんだか目的意識を持っている人が昔より少なくなっている気がして少し危惧しています
以前にもテレビで小学生のお受験の内容がやっていましたが、なんていうかちょっとお子さんが気の毒でしょうがない感情がわきあがりました
なんていうのか・・・
あれは単に親御さんが有名校にいれたいというエゴが前面に出てしまっている感じがしてならなかったのです。
子供さんの中には遊びたくてヒステリックになっている子もいました
実は私の親戚の子もお受験で勉強を日々強制的にやらされていました。
その子は家に遊びに来るたびに「家に帰りたくない。家に帰ったらまた勉強地獄。たまには普通の子のように外で遊びたいよ」って嘆いていたのがとても印象として残っています。
その子は結局、有名校には入れました。
しかし現在30歳以上ですが、携帯やデート費用などすべて親に支払って生活しています。
本人曰く「自分には青春時代がなかったら今、それを取り返しているんだ」
と言って仕事につかずに遊んでいました。
やはり大事なのはお子さんが将来何をしたいか?だと思うのです。
大学に行くのがゴールと考え、その先の事を考えていない人が実は多いような気がするんです
私の大学でも将来する事が決まっていなくてただ遊んでいた人がとても多かったのです。
私の場合は親のエゴで私を弁護士にさせたくて大学へ通わせてくれました。
(ですが実際に学費を払っていたのは親でしたから大学へ通わせていただけた事はとても感謝しています)
そんな私はポケット六法片手に毎日大学に通いました。
しかし、司法試験に落ちて弁護士の道を諦めることになります。
それもそのはずです。
私は弁護士ではなく、昔から芸能界の道に進みたかったので法律には全く興味がわかなかったのです。
かと、言ってサラリーマンにもなりたくありませんでした。
子供の頃からなんかあのネクタイに違和感を感じていて、どうしてもネクタイがワンちゃんにつける首輪やリードにしか見えなかったのです。
こう言ってはサラリーマンの方には大変失礼ではありますが(汗)国がご主人様ならサラリーマンが国に飼われているワンちゃんにしか見えなかったのです。
(サラリーマンの方すみません(汗) 別にサラリーマンやネクタイを否定している訳ではありません。サラリーマンあってのこの国だと思って私はとても尊敬と感謝をしています。私が言っているのはただの妄想ですからどうぞスルーしてくださいねσ(^◇^;))
そして私としては法律より心理学の方が好きでそちらの方が成績も良かったです。
昔から人の心理を読むのが好きだった事も影響してるのかもしれません。
そして芸能界は場の空気や人の心を読む人がとても多い世界で私はだんだんその世界に惹かれていきました。
ですが芸能界に入るにあたって学歴はなんの役にも立たなかったのです。
そして驚く事に東大などすごい名門に受かったにも関わらず、中退してまで
芸能界に入ってくるツワモノもいました。
だから本当に目的意識というは大事だと思うのです。
私が知っている美容師の方やネイリストの方は最初からその道を志していて
専門学校へ行き今では立派に成功なされています。
だから大学へ行くことがゴールではありません。
その先のヴィジョンの方が大事なのだと思います。
「大学に行って何になりたいのですか?」
きつい事を言うようですが、この問いに答えられないのなら学費の無駄ではないかと思います。
それより早い段階で自分のやりたい道をみつけ専門学校なりに通った方が良いと私は思うのです。
以前にも友人から「自分は何をやりたいのかわからない」と何人の方から相談を受けた事もありました。
その時は「なんでも良いからチャレンジしてみなよ。自分には不向きと思っても実は得意分野かも知れない。食わず嫌いになってるだけだからなんでもいいから挑戦してみなよ。その内に自分の中で見えてくるものがあるから」とアドバイスしていました。
何をしてよいのかわからない方の特徴としてはいろんな所にアンテナをはっていないので自分で自分の可能性を閉じてしまっている人が多かったです。
私自身も芸能界に入ったとしても最初は漠然としていて果たして自分には何が向いているのかわからない状態でした。
それこそ、クラシックダンス、ヒップホップダンス、タップダンス、漫談、漫才、コント、演劇、芝居、歌、などなど一通りやってきました。
その中で見えてきたのが“自分は歌が好きだ”という事でした。
それからは歌一本に絞りました。
このようになんでも始めてみないとわからない事がたくさんあります。
とにかく初めの一歩が肝心です。
それには勇気が必要です。
それさえあれば自ずと道は開かれてくると思います。
そんな訳でこれからの未来を担う子供達の将来が明るいものとなりますように
3つのブログランキング参加してます
1日1回ポチッと押してくれたら
とってもうれしいです
なんだか目的意識を持っている人が昔より少なくなっている気がして少し危惧しています
以前にもテレビで小学生のお受験の内容がやっていましたが、なんていうかちょっとお子さんが気の毒でしょうがない感情がわきあがりました
なんていうのか・・・
あれは単に親御さんが有名校にいれたいというエゴが前面に出てしまっている感じがしてならなかったのです。
子供さんの中には遊びたくてヒステリックになっている子もいました
実は私の親戚の子もお受験で勉強を日々強制的にやらされていました。
その子は家に遊びに来るたびに「家に帰りたくない。家に帰ったらまた勉強地獄。たまには普通の子のように外で遊びたいよ」って嘆いていたのがとても印象として残っています。
その子は結局、有名校には入れました。
しかし現在30歳以上ですが、携帯やデート費用などすべて親に支払って生活しています。
本人曰く「自分には青春時代がなかったら今、それを取り返しているんだ」
と言って仕事につかずに遊んでいました。
やはり大事なのはお子さんが将来何をしたいか?だと思うのです。
大学に行くのがゴールと考え、その先の事を考えていない人が実は多いような気がするんです
私の大学でも将来する事が決まっていなくてただ遊んでいた人がとても多かったのです。
私の場合は親のエゴで私を弁護士にさせたくて大学へ通わせてくれました。
(ですが実際に学費を払っていたのは親でしたから大学へ通わせていただけた事はとても感謝しています)
そんな私はポケット六法片手に毎日大学に通いました。
しかし、司法試験に落ちて弁護士の道を諦めることになります。
それもそのはずです。
私は弁護士ではなく、昔から芸能界の道に進みたかったので法律には全く興味がわかなかったのです。
かと、言ってサラリーマンにもなりたくありませんでした。
子供の頃からなんかあのネクタイに違和感を感じていて、どうしてもネクタイがワンちゃんにつける首輪やリードにしか見えなかったのです。
こう言ってはサラリーマンの方には大変失礼ではありますが(汗)国がご主人様ならサラリーマンが国に飼われているワンちゃんにしか見えなかったのです。
(サラリーマンの方すみません(汗) 別にサラリーマンやネクタイを否定している訳ではありません。サラリーマンあってのこの国だと思って私はとても尊敬と感謝をしています。私が言っているのはただの妄想ですからどうぞスルーしてくださいねσ(^◇^;))
そして私としては法律より心理学の方が好きでそちらの方が成績も良かったです。
昔から人の心理を読むのが好きだった事も影響してるのかもしれません。
そして芸能界は場の空気や人の心を読む人がとても多い世界で私はだんだんその世界に惹かれていきました。
ですが芸能界に入るにあたって学歴はなんの役にも立たなかったのです。
そして驚く事に東大などすごい名門に受かったにも関わらず、中退してまで
芸能界に入ってくるツワモノもいました。
だから本当に目的意識というは大事だと思うのです。
私が知っている美容師の方やネイリストの方は最初からその道を志していて
専門学校へ行き今では立派に成功なされています。
だから大学へ行くことがゴールではありません。
その先のヴィジョンの方が大事なのだと思います。
「大学に行って何になりたいのですか?」
きつい事を言うようですが、この問いに答えられないのなら学費の無駄ではないかと思います。
それより早い段階で自分のやりたい道をみつけ専門学校なりに通った方が良いと私は思うのです。
以前にも友人から「自分は何をやりたいのかわからない」と何人の方から相談を受けた事もありました。
その時は「なんでも良いからチャレンジしてみなよ。自分には不向きと思っても実は得意分野かも知れない。食わず嫌いになってるだけだからなんでもいいから挑戦してみなよ。その内に自分の中で見えてくるものがあるから」とアドバイスしていました。
何をしてよいのかわからない方の特徴としてはいろんな所にアンテナをはっていないので自分で自分の可能性を閉じてしまっている人が多かったです。
私自身も芸能界に入ったとしても最初は漠然としていて果たして自分には何が向いているのかわからない状態でした。
それこそ、クラシックダンス、ヒップホップダンス、タップダンス、漫談、漫才、コント、演劇、芝居、歌、などなど一通りやってきました。
その中で見えてきたのが“自分は歌が好きだ”という事でした。
それからは歌一本に絞りました。
このようになんでも始めてみないとわからない事がたくさんあります。
とにかく初めの一歩が肝心です。
それには勇気が必要です。
それさえあれば自ずと道は開かれてくると思います。
そんな訳でこれからの未来を担う子供達の将来が明るいものとなりますように
とってもうれしいです