自分の意識はどこからくるのか、いつも考える。
最近感じるのは、川とにているような気がする。
みんなが川と言っているのは、そこに
水の流れがあるから、川と認識している。
もし、その川に水の流れがなくなれば
川とは呼ばなくなるだろうし、水があっても
流れがなければ、池とか水たまりとかに
なるんだろう。
流れがあるから、はじめて川になる。
何とか川と名前をつけて呼んでいるけど
いつもちがう水が流れている。
流れを見て、認識もできるのに
流れを取り出すことはできない。
人間も、細胞が生まれて、死んで
常に流れている。
同じ名前の人間でも本当は
毎日違う自分なのに、同じ人と呼ばれる。
昔の自分と話すことができたら
きっと他人と話している感じになると思う。
それは同じ名前の人間だけど
流れている水と同じで、その時の細胞は
もう流れの中でいなくなっている。
流れることで、意識が生まれ
自分があるんじゃないかって
考えるようになってきた。
流れの中の瞬間瞬間に
自分がいるんだろう。
でも、よく調べてみると何百年昔の人も
同じことを言ってることがわかった。
鴨長明の方丈記です。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし」
昔の人も同じようなことで悩みながら
いろいろ考えていたのかと思うと
ちょっと面白い。
やはり、諸行無常なんだとあらためて感じた。
