先日、燃えない怒りを笑いに変えるシステム~
『さまぁ~ず×さまぁ~ず』を観たテレビ

 

 

芸人は結婚すると丸くなる。嫁が歳下であればあるほど丸くなる。そして子供ができると更に丸く、子供が女の子だとMAX丸くなる。
嫁や家族が番組を観ていたら何を言われるだろうか?ましてや娘には、どのような影響を与えてしまうだろうか?
そう考えると萎縮してしまうのは寧ろ自然な心の動きだろう・・・

 

 

 


松本人志もホリケンもブラマヨ小杉も、明らかに丸くなった。原因はもっと複雑かも知れないが、結果として皆丸くなっているという現実がある。

 

 

 


そんな中、次に心配していたのはさまぁ~ず大竹である。産まれたのが男の子であった事には、正直少しホッとした。

 

 

 

「大竹はそんなにとんがっていない」

 

 

 

と思う人は、さまぁ~ずの本質が見えていない。そういう人はきっと、この番組を観ていないのだろう・・・

 

 

 


さまぁ~ずの笑いの根本は、大竹の怒りで出来ている。
コンビニ店員、カフェ店員、飛行機の客室乗務員など、大竹はとにかくあらゆる"員"に怒る。"員"なのにちゃんと"員"じゃないことに怒る。
"員"とはつまり"プロフェッショナル"という事であり、バイトでも契約社員でも、客からしたらプロはプロ。

 

 


出来ない事を出来ると言ったのに出来ない店員、逆に出来る事を出来ないと言い張る店員。そういうプロフェッショナルでない態度に出会う度、大竹は怒る。
その怒り方の説明が、精緻で面白いにひひ

 

 

 

相手の行動手順と自分が怒るに至る思考過程をシンクロさせて語るのは、案外難しい。

 

 

人が怒るには、「ここぞ!!」というタイミングがあって、そのタイミングがピンポイントで聴き手に伝わらないと面白くならない。全体にムカついたと言うのでは、どうにも共感できないシラー
その怒りの沸点のタイミングを伝えるには、その手前にあるここまでは許したという百歩譲ったラインの明確な線引きが必要になるパンチ!

 

 


大竹はその、ここまでは分かる→この辺りで『あれ?』と思いはじめたがまあ、百歩譲ろう→しかしここでついに許せなくて怒ったという心の動きを、的確に説明する能力が異様に高い合格
それは、感情の記憶というよりは理論立てて話しているうちに、ありもしなかった怒りの記憶までが立ち上がってくる感触があって、それが話を面白くするグッド!

 

 

 

つまり怒りを説明して笑いを取るには、かなりの根気を必要とする。そういうタイプの人は、実は短気というよりも、ある種の粘り強さを備えている。怒る人が必ずしも短気とは限らない。

 

単に短気な人は、その場で怒るとスッキリしてしまうので、その人の怒った話はつまらない。怒りを面白く話すには、精緻な理屈が必要である。

 

 

 

この日の大竹は、飛行機の中で乗り合わせた気に食わない女性客の話をしていた。
"員"ではなく客の話をするのは珍しいなと思って聴いていると、その女性客は、客室乗務員に「なんで和食が品切れなんだ!」とキレるタイプの、しかしその怒りの理由を滔々と説明し続けるタイプの、つまりは大竹と同種の客で、その客の声を大竹は、「俺こういう奴嫌いだわぁ」と思いながら聴いていたという。

 

 

 

 

"人のふり見て我がふり直せ"を地でいくような、一周回って自分にはね返ってくるような話だ!!
しかしこの女性客に単純に共感するのではなく、客観的に「俺こういう奴嫌いだわぁ」と突き放すことで、自己批評を試みながらも反省はしないというあたりに、関西芸人とは違う東京芸人の、情に頼らない理詰めの面白さがあるグッド!

 

 

 

芸人にとって丸くなるとは、結婚、子育て、加齢による後輩の増加など様々な要因により周囲に対し情け深くなるということなのかも知れない。
それは一般社会人であれば好ましい変化・成熟と捉えられるかも知れないが、世の中のあらゆる人や出来事を情け容赦して許していたら、芸人としては不感症に陥ることになる。

 

 

 

 

他の出演番組では、「最近やはり丸くなったのでは?」と感じさせるシーンも少なくない大竹だが、この『さま×さま』と『モヤさま』を観る限り、その矛先は依然として鋭い。

 

『モヤさま』で、店員がグイグイ何かをお勧めしてくるのを「あ、大丈夫です」のひと言で無残にも願い下げるあの非人情的な瞬間には、冷たさよりもむしろ率直な頼もしさを覚える。

 

 

 

 

 

I grow up every day