紋切り型の挨拶が如何にも口をついて
出そうな状況で発話をせざるを得ない
場合に陥っても、そうすることを回避
しようと試みる気持ちが未だ抜けない
のは、若き日に幾らか時間を費やして
読みふけった蓮實重彦の著作の影響か
とも思われるが、そんな私的経緯には
全く関わりもなく、365、6日毎に
新年と呼ばれる多分に儀礼的な時間的
区分が天文学的な正確さを伴い律儀に
訪れてくる事実にはどうにも抗いよう
もないので、ふと抗うのを止めてその
紋切り型の挨拶を発してしまいそうに
なりながらなお一体何がめでたいのか
何の実感も無いことに内心抵抗を感じ
ていた年が長く続いた後、今になって
老いの入口を過ぎた自らの日々の実状
に加え、当然に自分より更に年老いた
親が日々生きながらえてくれることの
有難さを実感するようになって始めて
私が意義を実感しつつ口にすることが
可能となった紋切り型の新年の挨拶が
「新年あけましておめでとう」の挨拶
であり、今ここで皆さまにその一言を
お伝えできたことは非常に有り難く、
感謝の念に堪えません。