「力」VS「権限」
集団的に付きまとう
囲い込む
言葉をかけ続ける
音響/電子機器を悪用する
不条理にいじめ抜く
妨害
脅迫し続ける
これらの被害において
私のケースでは
この被害が
一切
解消されない
無法
治外法権かのように...
実際は
脱法的であったり
ネットワークで
加害者・加担者と
場面・場所を
小分けにして
バケツリレーのよう
特定個人を限定させない
集約させない
更には
人の弱みにつけこみ
加担させる
解決させない
ユスリ型
の可能性も考えられ
また
弱みが無ければ
無理にでも作ろうとする
のではないか
と言った背景も伺える
...16年間に渡って
繰り返され続けている
そして
解決出来ない理由を
「力がない(から)」
「力をつけろ」
と
声をかけ
結論付けられる場面(被害)
があるのだが
この被害において
私が常々
感じている事の一つに
とにかく
何の
権限も得ず
知識
経験
情報
資格
も無く
首を突っ込んでは
口をはさみまくる
酷評しまくる
要は
妨害活動
を行っており
その行為を
とにかく
図々しく
あさましい
極端な乱し方
と感じており
その行為は
極端で
類を見ず
無茶で無謀
また
解決できない
解消されない性質からは
異様な
目的以上
必要以上の
破壊性がある
さて
こう言った被害を
一方的な
当り屋の因縁のように
受け続けていると
ふと
気づくのだが
「力」
と言った要素と
「権限」
と言った要素は
ある意味
相反している
のではないだろうか
と
つまり
「力がない(から)」
と言った言い草は
裏を返せば
「力」があれば
違法
違反
人権侵害
の
何を
好きなだけ
行ってもよい
とも
解釈でき
いや
「権限」が無ければ
何一つ
話は通せず
アクションも起こせない
勿論
違法
違反
人権侵害に関する事ではないが
更に
「力」が強調された場合
パワハラ
果ては
昨今立て続いた
パワハラ自殺
と言った
現象をも想起
連想し
反して
正当に
「権限」が効いていれば
秩序が保たれやすく
問題も抑えられやすい
のではないだろうか
ならば
問題を
「力」の問題
と結論付ける
その言いぐさの
周辺では
自殺の可能性が
高まるのか
と
考えた時
この被害ケースでは
極端な
囲い込み
極度の
拷問
虐待に
たまりかねて
自殺を図るのか
と言うと
(私は
自殺のじの字も考えた事はなく
よぎりもしないが)
恐らく
「自傷他害の恐れのあるものは拘束できる」
と言った
法制度を逆手に取り
拘束させ
自殺はさせない
のではないだろうか
特に
その周辺で
自殺の可能性が高まるわけではない
のではないだろうか
と
推測もされる
その先には
生活保護のあてがい
保護費を吸い上げ
また
封殺
隠蔽の成立
と言った
目的
メリットが伺える
それにしても
集団で
特定個人を
囲い込むことが出来れば
それを良しとするならば
対象を
何とでも
フルコントロールできるため
何とか
禁止を促せないかと
思わずにはいられない
いやはや
間違いや
違反
果ては
業務上過失を
誘発する
やり口だなと
