先週、とある人のことが気になりtwitterを検索しました。
その結果の中に目を疑う内容が。
「神無小春さんが2016年4月24日に亡くなった」
というものでした。
本人もtwitterでバンドに参加していたことを公言していたので、私のtwitterやブログで書く決断を致しました。
当時使っていたSNSやホームページ、ブログ等がサービスを停止したり、消えてしまっているため時期や記憶に曖昧なところがありますがご了承ください。
神無小春くんはHIGH-FLYERのドラム「リョー」として2001~2004年、2005~2007年の2期参加してくれました。
出会いはそこからさかのぼること2年。1999年の秋だったと思います。バイトの先輩のバンドのベースとして彼は参加していました。
印象はジャニーズ系のイケメンだな!と思いました。
ベースも始めたばかりといいますが、既にバンドの曲を弾きこなしており、センスがあるなと驚いたことを覚えています。
やがてHIGH-FLYERでドラム問題が勃発すると、上記の先輩バンドで叩いていたY君にサポート依頼、サポート終了するとスライドするようにリョー君に加入してもらいました。ドラム経験無しなのに1か月ほどでライブができるぐらいうまくなりびっくらこきました。
しばらく一緒にライブをこなしていきますが、ボーカルがしばらく決まらず、コンスタントに活動できなくなったHIGH-FLYERは解散を決定。
2年後に復活宣言をした際はリョーに再び声をかけ、二つ返事でOKをもらい再活動をします。
そして「Road to freedom」のレコーディングに入り、いよいよ販売というところで彼とまったく連絡が取れなくなります。
(この時のことは5年後再会した時に語ってくれましたが、心身ともに疲れ果ててしまったようです)
5年後、15周年の活動報告を関係者に連絡して回っていると、彼と奇跡的に連絡が取れ、再会して話をすると同人サークルの運営や仕事で忙しいとのことでバンドをやるのは難しいとのことでした。
そこで彼にはジャケットのデザインという形で15周年活動に参加してもらおう考え「戦いの果てに」のジャケットを描いてもらいました。
それからもtwitter上やコミケ会場でほそぼそと交流を続けていましたが、2016年3月ぐらいから彼のツイートが不穏になり始め身を案じておりました。同年4月を最後に全く連絡が取れなくなり、どうなったかと検索をかけたらこのようなことになっておりました。
本当にショックでこの1週間眠れない日々が続きました。
彼と知り合って18年。こんな形で別れがくるとは夢にも思っていませんでした。
そして彼の人柄を知っているが故に、その胸中が伝わってくるようで私自身も胸が締め付けられるようで辛いです。
亡くなった状況はわかりませんが、本当に苦しんだんだろうし、辛かっただろうなと思います。残念でなりません。
彼の笑顔や口癖の「いいんじゃないっすか」という言葉しか浮かんでこない。本当に「いいやつ」でした。
twitterでも書きましたが、彼のために何かできることを模索中です。ただこれは自己満足かもしれない。また、ただ祈り終わるだけかもしれません。ただ音でつながった仲間だから、音で何かできないかと思っています。
今年はHIGH-FLYER20周年です。彼のために1度でもいいから集まれないか。そんな風に思っています。全く白紙ですし、私個人で何かやるかもしれません。何かするときはHPやSNSで発表したいと思います。
最後に
リョーくんへ
今までHIGH-FLYERを支えてくれてありがとう。
楽しい思い出をありがとう。
君が参加した音源や描いたジャケは永遠に残ります。
そして俺の記憶にも。
疲れたでしょう?つらかったでしょう?
ゆっくり休んでね。
そしてまたいつかどこかで一緒にHIGH-FLYERの曲やベイビーストマックの曲、好きなバンドのコピーでもやろう。
さよならは言わないよ。いつも別れ際にいっていた言葉を
「お疲れ!」