読書感想文 #50 凶弾 | 故ヴログ

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『凶弾-瀬戸内シージャック事件』 福田洋

 

 

1970年に発生した瀬戸内シージャック事件を元にした小説。小説という形を取っているが、フィクションなのは登場人物の名前、台詞や心情の描写といった点で、事件の発生、経緯、結末、反響といった部分は事実の通りに書かれている。

 

元々知っている事件ではあった。犯人を逮捕するために銃撃という手段が取られたこと、その映像がテレビで流れたこと、最終的に犯人が死亡したことなどの点で有名な事件ではある。一方で事件の全体像を把握している人はそう多くない気もするし、私もそうだった。

犯人の荒木英夫(本当の犯人は川藤展久だが、読書感想文なので設定上の名前である荒木で統一する)の家庭環境がかなり悪かったこと、粗暴な父親が家を出て行った後に母親は新興宗教にハマったなどの話を聞いて、この本を読んでみようと思った。

 

事件の大まかな流れとしては荒木ら3人が乗った車が、警察が検問を張っている場所で交通違反を犯して停められ、刑事に負傷を負わせて逃走したところがスタートで、本作もその部分から話が始まる。

後先を考えずに行き当たりばったりな逃避行をしているうちに、逃げる荒木の側も追う警察の側も焦燥感を募らせていった互いの心情がこの事件をここまで大きくしてしまった一因なのではないかと感じた。

 

事件解決のために銃撃という手段が取られたことについては当時もかなり賛否両論あったようだが、その背景にはもっと早くに事件を解決できるチャンスがあったにも関わらず失敗を続けた警察の焦り、人質を取って銃をぶっ放しまくる割にこれといった目的が見えない荒木の不気味さ(というか未熟ゆえの怖さ)などの他に、同年によど号ハイジャック事件が起きており、それを後追いするように連続して乗っ取り事件が起きていたことなど、社会的な背景もあったようだ。

 

荒木を狙撃した警官はその後マスコミに身元を突き止められ、上司共々人権派の弁護士から殺人罪で告発されているが、これも事実である。その告発の内容が一字一句同じものかはわからないが、少し引用してみる。

荒木は一言でいうなら、社会の底辺に生きる人間であった。彼はなんの組織にも属さず、なんの社会的保護も受けていない。つまり荒木は、名もなき庶民の1人だった。そのせいで、警察が彼の存在や生命を、虫けらのように軽く考えていたことは確かでしょう。もし荒木が、自民党の代議士の息子だったら、あるいは、一流銀行頭取の息子だったら、絶対に射たなかっただろうし、もっと慎重に対処されたはずなのです。

(中略)

いろんな状況はあったと思いますが、荒木は正式の法律の手続きによらず、自由のみならず生命まで奪われてしまったことは確かなのです。

(中略)

かかる警察権力の横暴はますますエスカレートし、将来、未組織の大衆は、いつ、いかなる場所で、冤罪を着せられたり、死傷させられたりするかわからないということになる。これはただ一人、射殺された二十歳の若者の問題のみならず、国民全体の基本的人権に関わる重大問題なのです。

本書は事件の資料に基づいて書かれているので、この人権派弁護士たちの告発は最終章で少しばかり描かれるシーンに過ぎない。途中まで荒木、警察、人質(主に船長)たちの心情を追ってきた後だと、この弁護士たちの告発はいかにも後から出てきて安全なところから物申している感が否めないが、荒木が代議士や頭取の息子だったらもっと慎重に対処されていただろうという主張には賛成する。

一方で人質の生命を損なうことなく、事件を無事解決するには狙撃以外の手段がなかったのか?撃つにしても致命傷にならないところを狙えなかったのか?という疑問に対しては、あったかもしれないが責任のない立場での気楽な指摘とも感じた。

方法や可能性があることと、実際にできるということには大きな隔たりがある。

 

話を大きくすれば戦争にも応用できると思うが、ミサイルを撃ち落とす装備があったとしても、より確実なのはミサイルを撃たせないことであり、「いい方に転ぶ」ことを前提とした作戦の立て方は戦争や秩序維持や防災においては悪手なのだ。

ミサイルを撃たせないためには武力を使用しない形で問題の解決を図ることは大前提であり、そのために最大限の努力をしなければならない。(その努力を払わなければ相手からもその努力をしてもらえない)そうした上でなお解決できなかった時のために武力は存在しており、それが実際に使用されてしまった時には批判が起こるのはむしろ当然のことと思う。

 

ただ現実問題として、一部の統制国家を除いて社会はその多くの部分に善意に基づくシステムが組み込まれており、それは少数の悪意によって容易に破壊される脆弱性を抱えているということは言えると思う。

ちょっと前に飲食店での迷惑行為がやたらと流行ったが、あれだってその一例である。極端なことを言えば、あの回っている寿司に唾をつけていた子たちは、その気になればあの店で大量殺人事件を起こすことだってできたのだ。

実際にその脆弱性が暴露されるまで気がつきにくいのだが、我々が当たり前に生きている世界は思ったよりも簡単に壊すことができてしまう。

 

荒木が政治犯でもヤクザでも活動家でもなく、ただの無軌道な若者であったこと、それこそが警察が荒木を撃った最大の要因だったのかもしれない。人権派弁護士の言う後ろ盾のない名もなき庶民だったからではなく、損得ではなしにその場の勢いでシステムを破壊する危険のある異端者。警察の目にはそういう風に見えたのかもしれない。

政治犯や活動家なら交換条件を出して譲歩することもできただろうが、荒木にはそもそも主張と呼べるほどの主張もなかった。システムを守るために異端者は排除するしかない。

警察も人間であり、実際にはそう簡単に結論付けられるような話ではないのだが、この事件は人間が自分を守るために作ったシステムを守るためにああいう結末を迎えたのかなというのが私の感想。