インタビュー | 髭モダン Talkin'

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仙台在住のMOD音響職人が綴る気ままなブログ。
GROOVE COUNCIL及びvo'groove主催のイベント情報なども。

ここ数年、密に仕事をさせてもらっている、おおはた雄一くんのライヴがきっかけで知り合った吉田さん。関東圏にお住まいの彼女は以前照明の仕事なんかもしていて、今はインタビュアーの勉強をしているのだという。

昨秋、学んでいる講座の課題としてインタビュー原稿を書くにあたり、ぜひヒロさんにインタビューしたいと連絡があった。

おれなんかの話でいいの?と思いつつも、クローズドなものだし自分の仕事を整理する意味でも悪くはないかと引き受けたが、一番の理由は、どういう想いでインタビューをしたいかという吉田さんの真っ直ぐな気持ちが綴られた文章に心を動かされたからである。

 

せっかくの機会なので、吉田さんの了承を得てそのインタビューをここに掲載することにした。

面白いかどうかは別として、自分の信念みたいなものは表現できているような気がしている。

 

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佐藤ヒロユキさんインタビュー

 

 音に興味を持ったのはすごくシンプルなことで、元々音楽は子供の頃から好きで聴いていたのだけれど、中学校ぐらいになるとコンサートというものにちょこちょこ行くようになった。最初はもちろん好きなミュージシャンを、ただおぉーって思って観てたんだけど、ある日客席後方を見たら、すごいでっかい機材に囲まれてなんかいじくっている人がいて「これって何だろう?」と思ったのがきっかけかな。

 自分で色々調べたら「音響」と言われるもので、いろんな音をそこでまとめてお客さんに聴かせているんだということがわかった。元々裏方に興味があったんだろうね。

 

 あとはやっぱり男子だから小さい頃は、宇宙船とかバスとかメーターがいっぱいある物ってカッコイイなって思って、音響の機材もすごいメーターがうわーってあって、これを操作したら面白そうっていうのも半分はあったかな。

 高校のとき西武球場にQueenのライブを観に行ったのね。その時のライブの音がレコードと一緒だったのよ。それがもう驚愕で、それまではそういう「音」を操っている人がいるっていうのは知っていたけど、「レコードみたいな音」を再現できるんだと思ってすごい感動した。それが本格的に音の世界に引っ張られた瞬間だった。

 

 実はもう親に内緒でね、勝手に東京の専門学校に願書出して、自分の中だけでは行くことに決めてた。でも一悶着あって、うちはサラリーマン家庭だったんだけど、当然子供には安定してほしいという気持ちがあるから「大学に行って学校の先生になったら?」と小さい頃から言われてて、願書を出した後に大喧嘩して半分勘当というか家出みたいな感じで東京に行った。

 専門学校は2年課程だけど、入学した時に全国から200人ぐらいいて、たぶんみんな音楽に携われるみたいな簡単な気持ちで来たけど、実際は機材のことはもちろん音楽や電気のことも覚えなきゃいけないということで、1年で半分脱落。結局卒業したのは40人ぐらいで、レコーディングスタジオとか音響会社に就職したのは2~3人しかいなかったかな。

 当時は音響芸術科って今みたいに細分化されてなくてライブもレコーディングもやって、音に関わることすべてだったから逆にそれがよかった。今があるのは、始まりがどっちも学べたのが大きいかもしれない。

 

 ライブでは音響が役目だけれども、照明もすごい気になる。あとは会場の装飾とか見栄えとか。コンサートって視覚的要素が強いから、いくら音が頑張っていても照明が良くなかったり、会場の雰囲気が悪いと半減しちゃうんだよね、伝わりづらいというか。全体が良くないと何かこうはまらないっていうか、ちょっと違う。

 ツアーに行くと音響スタッフは付いて行くけど、照明スタッフは現地でというのはよくある。ちゃんと照明をやってくれる所もあるけど、適当な所もあって、そうすると俺が照明スタッフにこの曲はこういう感じの色にしてほしいとか、ミラーボール回してほしいとか、ここはちょっとアンバー系の色でいってほしいとか全部指示出しちゃう(笑)。

 

 

 仕事はとにかく所構わずやらせてもらえそうな所に連絡したりして、今みたいに求人募集もなかったから、自分で強引に飛び込んで行くしかなかった。そのくらいの勢いがないと続かない世界でもあるなと後から気づくのだけど、今はもう専門学校に求人がきて条件も出てて、あぁ全然時代が違うんだなというのは感じる。

 専門学校を卒業して東京にいる時は、バイト半分みたいな感じで現場に行ってたんだけど、とにかく何も触らせてもらえないのよ。教えてももらえないし。ケーブル巻くだけみたいな。これはもう何年かかるだと思って、小ちゃい現場なども手伝いながら独学である程度覚えて、その時点で仙台に帰ってきちゃった(笑)。仙台にはまだ音響会社はそんなに無かったからチャンスだと思って、早々と四年ぐらいで戻って、音響をやってる会社に「働かせてくれ、やれるから」と言って入ったのよ。

 

 東日本大震災の年だね、完全に独立して自分でやるようになったのは。それまでいくつかは移っているけど会社に所属していて、やっぱり震災は大きかった。自分の人生がいつどうなるかっていうのもわからないし、残された時間をさ、本当に好きな事って言うと語弊があるけど、お手伝いしたいミュージシャンとか応援している人に力を注ぎたいと思った時に、会社にいると難しい所もあった。売り上げが上がらないとなかなか大手を振って出来ないとか、だからもうこれは「自分でやるしかねぇ」と思って。

 会社を辞めたのは、10年前だから40代後半だった。一応小さな会社だけど部長職だったし本当に周りに反対されてね。でも腹をくくって辞めてよかった。視野も広がったし。震災の時は自分を見つめ直すきっかけになったよね。

 だからコロナもね、それにちょっと近いんだよね。先が見えないっていうのは違うけど、ふるいにかけられてる感じっていうのは、あの頃に感じたものとちょっと似ているかもしれない。

 

 コロナが蔓延してとにかく仕事がなくて、8月末までほぼなかった。3月の仙台でのライブが最後だったから、5ヶ月くらいライヴの仕事はしてなかった。

例えはちょっと変だけど、料理人が5ヶ月包丁を触らなかったのと一緒なんだよね。だから身体には染み付いているけど、果たして本当にちゃんと今度もやれるのか、感覚が鈍っているんじゃないかとか、そういう不安はすごくあったけど、時間があったから改めていろんな勉強ができた。

 技術的には長年やっているから、ある程度のことは大体できる。最近すごく思うのは、いい音って、技術ももちろん必要なんだけど「技術だけじゃ絶対無理なんだな」ということ。それは何なのかというと「音楽をもっと深く知ること」なんじゃないかという結論にここ数年で達している。いろんな音楽がどういう風に響いたら、カッコよくお客さんに聴こえるんだろうとか、そのためにここをこうしようっていう。

 

 今までは自分がイメージするいい音を出せばいいと思っていたけど、そうじゃないというのに気づいて。例えば「おおはた雄一」だったら「おおはた雄一の世界観」が一番伝わる音があるわけで、それを出すことが一番の仕事だって思えるようになった。ここ2年ぐらいだね、そういう境地に至ったのは。

 そのためには、おおはたくんの音楽をもっと深く知って、彼はこういう風な音楽が好きで、こういう風に音を出してあげると、おおはたくんやお客さんはより気持ちいいだろうな、より彼の良さが伝わるだろうなとか、そういう意味での音楽をもっと深く知る勉強というか。

 

 ライブは全体を俯瞰して観るというのが今の課題で、自分のことはもちろん努力するのだけど、他スタッフとコミュニケーションを取ってもうちょっと全体を良くしようとか、お客さんでよく来る人は顔馴染みになるから、挨拶をすればもっと親近感もわく、そういうのもあるじゃない?

 音がすごく良くても態度が悪いとか、職人ってそういう人が多いけど。でも時代はそうじゃないから、ある程度汚い服じゃなくて、きれいな服着て、もうちょっと笑顔で、仕込みもバラしもスマートにパシッとやって、なんかカッコイイなーみたいな部分もないと、仕事しているミュージシャンの評価は下がらないけど、プラスアルファがないなと思って。そうなればそのミュージシャンを応援する人が増えるような気がするし、微々たるものだけど、そういう努力もしなくちゃいけないって、今はそう思ってる。

 

 ミュージシャンとは相性の問題ももちろんあるけど、単純に音だけじゃない深い所までをお客さんに届けられたらいいな。音はより生に近いというか、PAの機材を通しているんだけど、生みたいに聴こえる音。今は機材が進歩してるからハイクオリティーの音も出せるけど、特にアコースティックだと機械独特の音質がすごく気になっちゃってね。生音が聴こえてるような感じを出せればいいなと思って、ここ数年研究をしている。

 コロナで仕事は減ったけど、コロナも悪いばっかりじゃないんだよね。前みたいに忙しくないから、逆に耳を新鮮に保ててるっていうのもあるかもしれないし。

 

 仙台ではライブと共に音楽史ワークショップというのもやっていて、コロナ前から遠くで来れないから配信してほしいと言われてた企画だった。ただ配信はいろんな人の音源を使ったりするから、著作権の問題があって上手くやれないんだよね。昔の曲をかけたりして、本とCDの抱き合わせ企画みたいなものだからもちろん喋りでも図解でも説明するんだけど、そこで音をちゃんと聴かせて、こういう音なんだよという、立体的なものを目指しているから、音がかけられないとなると致命的に難しい。黙ってやればいいのかもしれないけど、後ですごいJASRACから請求が来たら嫌だし(笑)。

 

 俺が言うのもなんだけど、音楽史ワークショップおもしろいよ。音楽好きな人だったら間違いなくおもしろい。大人になるとさ、いろんなことを知りたい時期もあるじゃない。もちろん今まで知ってきたのもあるけど、意外とそれって偏ってたりして、好きなもの以外のことを今まで知ろうとしなかったんだなと思う所も解消されるから、すごい便利だよ。

 中学校の頃からずっとレコードを集めていて、音楽史を研究するのをずっとやってきているから、今までは自分の趣味というか、ただ好きだからやっていただけなんだけど、それを整理して分かりやすく、おもしろくみんなに伝えてる。

 ワークショップ受講者の変化はすごい。音楽の本当の楽しさとか、今まで聴いてなかったものを聴いて、新しく好きなものができてワクワクしたりとか、すごいみんな楽しんでいるよ。

 

 なんでこういう音楽史ワークショップをやろうかと思ったのは、ミュージシャンの名前は知ってるけど、ライブを観たことがないっていう人が、特に地方だと結構いるのよ。良いものを聴かせたいと思っても、聴いたことないものを「いいからライブ来てよ!」って言うにも限界がある。「じゃあ、どうしたらいいんだろう?」と思った時に、みんながもっと音楽を深く知って、知らないものもいっぱいあるけど、面白いんだっていうのを分かってくれれば、ライブにも足を運んでくれるんじゃないかっていうのがきっかけなの。

 だからすごく回りくどいけど、音楽史を学ぶことで、例えば50年代の音楽をみんなに説明している時に、「おおはた君もすごい影響されてるよ」っていうのをやることでつながっていく。この音楽が好きだからじゃ聴いてみようかなとか、フォークの感じがいいから友部正人さんを聴いてみようかな、ニューオリンズの音楽素敵だからリクオさん聴いてみようかなとか。そういう所でつながっていけたらいいんじゃないかと思って。今はやってきたことがちょっと循環してきたというか、5年経ってようやくね。

 

 

 仲のいいミュージシャンたちがSNSで書いてくれたりするから「GROOVE COUNCILのヒロさん」ってこういう人なんだというのを、知ってくれている人も少しはいるのかもしれないね。多少名前が広まれば「ここが手がけるライブだったら間違いないから行ってみよう」となって、「ああやっぱりよかった」というのが理想だから、知名度が上がるのは悪いことではないね。その代わり本当にいいものしかやれないし、金は稼げない(笑)。しょうがないね、どっちかを取るしかないから。

 

 GROOVE COUNCILでは大きめなライブの時にオリジナルチケットを作っている。俺とかもそうだけど、行ったチケットも取っておきたいんだよね。

文字だけのチケットになって、それでも取っておけばいいけど、プラスアルファのお楽しみみたいな、遊び心でもあるんだけど、そういうのがあってもいいんじゃないかと思っている。ちょっとお金がかかるけど、わざわざ作ってるのね。そうしたらやっぱりみんな大事に持ってくれてるのよ。だからちゃんとカッコイイのを作って「チケットも楽しみなんだよね」と言われるのもいい。

 時代を逆行しているわけではないんだけど、時代が便利になればなるほど、絶対忘れがちなことも出てくるのが当たり前で、それがチケットだったりするのかも。イベンターとかは誰も気にしてないと思うんだよね。

 お客さんの立場になったら、やっぱりチケット欲しいなって思うし、電子チケットがあるぐらいだから、面倒くさいから要らないっていう人もいるかもしれないけど、小ちゃい組織だからこそできることは、そういうサービスじゃないかなと思ってやっている。

 

 あとは「そこにしかないもの」っていうのがないとダメだなと思っていて、俺みたいに色々やってる人はいないかもしれないけど、小ちゃいイベンターもいれば、音響やってる奴もいっぱいいて。もっと総合して色々やって、さらにお客さんが喜ぶようなことができなければ、変な話、仙台から東京に呼ばれて行ったりするのは難しくなると思っている。呼ばれるのは「腕」だけじゃないと思っているのよ。車の運転手とかも含めて、便利屋じゃないけど、ある程度そういう使い勝手の良さっていうのもないといけないかなとも考えてる。

 

 「音」にはもちろん自信があるけど、それはプロだから「絶対いい音出す」という最低レベルは守りつつ、もし同じぐらい上手な人がいた時に「自分が選ばれるのは何だろう?」と思ったら、コミュニケーションが取れるとか、お客さんが増えるとか、そういうことを意識しないと自分が生き残れないというのもあるんだよね。まあ最終的には腕なんだけど。

ライブやイベント、ワークショップなど、仙台でもやれるということがわかったから、最初は「仙台ばっかりずるい」と言われて、東京や大阪に呼ばれてたまにやっているのもあるけど、最初色々言ってた人たちが少しづつ仙台に来てくれるようになったのよ。それはそれで町おこしじゃないけど、行くに値する面白いイベントがあって、ライヴに行くついでにちょっと観光して帰ろうとか、そうなったらいいなと思ってる。

 

 

 ライブが今まで通りにできるようになるには、コロナと世の中がもうちょっと緩くなってこないと難しいね。人をライブ会場に入れられないからね。変な話、赤字になっちゃう、だから辛いんだよね。

 最終的に必要とされている音楽は大丈夫だよ、生き残るから。あんまり必要とされてない人たちはいなくなる可能性はあるけどね。だからミュージシャンもそうだと思うよ、底力が試されるところだね。

 これから新たなことというのは特に考えてはいないけど、もうちょっと突っ込んだものをやりたいとは思っている。この間おおはたくんに出てもらったトークとライブを一緒にしたような、ちょっと新しい形のエンターテイメントはまずチャレンジしたい。とりあえずやって、やりながら考えてる。

 

 「皆さんを楽しませられるよう頑張ります!」とか言うけど、実はあまり頑張る気はなくて(笑)、自分がお客さんだったら何が楽しいかなということをまず考えて企画する!という風に決めてる。それが仕事になるかどうかっていうのは、また後で考えようと思ってるのね。

 最初から仕事になるかどうか考えちゃうと、今回のコロナがまさにそうで、ライブがやれないっていうのは「人が集められない」「収入が得られない」「経費が割れちゃう」とか、それでやれないのが多いわけだから、そこから考えると何もできない。そういうのを取っ払って面白そうなことをやって、後から赤字にならずにやるにはどうしたらいいかって、逆に考えてる。

今やってるものはほとんど赤字なんだけど(笑)、まあそれでもいいかなって。それで何か新しいものを見つけて、コロナが明けた時に評判になっていれば少し儲かるんじゃないかなと思って。

 

 少なくとも俺の周りにいるミュージシャンたちは、今なんだかんだ辛い思いをしているけど、みんな明るい未来が来ると信じてやってるから大丈だと思う。誰一人腐ってないから大丈夫ですよ。

 みんなが楽しいのが一番よ。楽しんでみんな持ち帰って、生活なり仕事なりの糧にしてもらって、また頑張って働いて金つくって、ライブに来るみたいなね。それがなんかいいような気がする、シンプルに。楽しいじゃん。

吉田さんもまた仙台も来てよ。

 

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あとがき

 今年の印象的な出来事は、八月の終わり、延期になっていた『おおはた雄一 Solo Acoustic 余白の余韻』の弾き語りライブを渋谷で観たとき。半年以上ぶりの生音を聴いて「一旦死んでしまったものが生き返る」ような感じがした。おおはたさんと共にその空間を作っていたのが音響のヒロさんで、絶対的な安心感とあたたかみのある音が、あの場所にやわらかく響いて、ここにずっと居たいなと思った。

 自分も昔「照明」という裏方をやっていた時期があり、ライブに関わっている裏方の仕事人たちの様子をついつい観察してしまう。ヒロさんもその中の一人で、ちょうど仙台でおおはたさんのライブを観た後に、ヒロさんのバラしの姿を見る機会があった。

 マイクを一つずつケースにしまっていく姿、ヒロさんの手には薄い白の手袋がはめられて、マイクの一つ一つを真綿で包む赤子のように、愛おしそうに丁寧に取り扱っていた様子に目が離せなくなり、こんな風に丁寧なバラしを拝見するのは初めてのことだった。

 またその日のライブ終わりの打ち上げに参加させてもらったとき、途中でヒロさんがみんなの輪から抜けて、ちょっと離れたところで精算作業に入ったときも、みんなに背を向けていながらも、背筋をピンと伸ばし、心地よいリズムでお札を数えている姿も、なぜか楽しそうに見えた。

 ヒロさんの立ち居振る舞いや所作が美しく、それはヒロさんの仕事にも通ずるのではないかと思い、インタビューを依頼しました。今回は「ZOOMインタビュー」という形になりましたが、「ZOOM」だからこそ実現できた経緯も含めると、コロナの非常時も決して悪いことだらけではないと思い、改めてインタビューを快く引き受けてくださった佐藤ヒロユキさんに感謝の意を記します。

 

2020年10月 吉田真紀