風が強い。
天気は薄明かりだが、予報では時々雨らしい。
天気予報を聞いていちばん厄介なのがこの『時々』だ。
これが「曇のち雨」とかならまだいい。
『のち』だからだ。
はじめは曇ってるけどその後は雨だよ、と、言ってくれている。
その点『時々』はいけない。
いつからかがハッキリしていないからだ。
しかも、降っては止んでの繰り返しかもしれない。
まどろっこしいが、傘が手放せない。
いつ降るか解らないのだ。
テレビという公共性の高いもので『時々』と投げやりな感じはどうなのか。
もちろん、予報であって漠然として読みづらい事もあるだろう。
『時々』は、なにか責任を放棄したい気分が言わせているのではないか。
心配しなくていい。外れたとしても誰も責めたりはしない。いや、いるかもしれないが、少なくともわたしは言わない。だから『降るなら降ると言ってくれ』。
『時々』だと、雨が降る時間帯に外出があたったら「ああ、『時々』の方にあたっちまった。ついてないなぁ」と思うからだ。ハズレくじに当たった気分になるのだ。
それより『降る』を前提に言っておいてくれれば、外に出た時に降っていなければ「ラッキー」と思えるでは無いか。
そう思うとやはり『時々』は頂けない。
そんなどうでもいい事が気になっている時分に聴いている一枚はこれだ。
憂歌団が2000年に出したベスト盤だ。
どういうわけだか、アルバムも3,4枚持っていたのだがいつのまにか残ったのはこのベスト盤だけだ。
記憶が無いというのは不安になる。
まあいい。
憂歌団は日本を代表するブルースバンドだ。
北村充揮の独特な歌声が魅力的な本格的なブルースバンドだ。
デビューは1970年で木村充揮と内田勘太郎で結成。1974年にベースに花岡献治とドラムに島田和夫が加入し、ライブを中心に活動を始める。途中、98’年から’13年まで活動休止ていたが、現在は復帰し精力的に活動をしている。2012年に島田が自殺したため、後任に新井田耕造がドラムになる。
1975年に「おそうじオバチャン」でデビュー。出した一週間後に放送禁止に認定される。
1976年にスリーピー・ジョー・エステスの公演で前座とバックバンドを務め、1980年にはマディー・ウォーターズとジョイント・セッションを行う。
このことからも解るように、内外でも彼らのブルースは認められている。
1982年にはRCサクセションとジョイントをしていて、もっと早く生まれてきたかったとわたしは唇を噛んだ。
1994年に報道番組『筑紫哲也ニュース23』のエンディングテーマ曲に『風を追いかけて』が選ばれる。
1995年には阪神淡路大震災に合い、本拠地にしていたライブハウス『チキンジョージ』とブルーシートで急遽作ったステージで神戸の復興を願い、青空ライブを行った。その模様は『筑紫ニュース23』で特集番組としてドキュメント収録され全国で放送された。
不思議とわたしの好きのものや関心事は今は亡き筑紫哲也とリンクする。
このベスト盤は『アートユニオン』が『ミレニアム2000シリーズ』の一枚として発売されたもので、「おそうじオバチャン」をはじめ、ライブ音源など憂歌団の魅力を堪能できる一枚になっている。
それにしても、アルバムはどこへ行ってしまったのだろう。
電子書籍『ongaku キョウノイチマイ Vol.12』が新たに出版されました。