どうもおと虫です。
桜が東京では満開を迎えたとのことだそうですが、人間社会がどんな状態であろうと、自然はしっかりとサイクルを全うしているんだなと感じた次第でございます。
そんな晴れやかな日に、今俺はなにが聴きたいんだと自問したところ、「SKA」と頭に浮かんだので、レコード棚から引っ張り出してきたのが、このローランド・アルフォンソの「サムシング・スペシャル:スカ・ホット・ショッツ」でございます。
アルフォンソが2歳の時、ジャマイカ人の母と共にジャマイカに移住、その後ストーニー・ヒル・インダストリアル・スクールに入学し、サクソフォーンを学ぶ。
1948年、エリック・ディーンズ・オーケストラ(Eric Dean's Orchestra)に入団するために学校を去ったアルフォンソは、他のバンドと様々なホテルで演奏しながら、1952年にババ・モッタ(Baba Motta)のグループのメンバーとして初のレコーディングをした。
1950年代中期ほどに、クルエット・ジョンソン(Cluett Johnson)のバンド、Clue J & The Blues Blastersに参加したアルフォンソは、コクソン・ドッドの下、ジャマイカ式R&Bのセッションを数多く行う。1960年にはデューク・リード、ロイド・マタドール・デリー、そしてキング・エドワーズのような、様々なプロデューサーとレコーディングをした。この時期、ジ・アレイ・キャッツ、ザ・シティ・スリッカーズ、アーベリー・アダムス&ザ・デュー・ドロッパーズ、他多くのバンドで演奏している。1963年、数ヶ月をバハマのナッソーで過ごした後、ザ・スタジオ・ワン・オーケストラの創設の一員となり、新たにオープンしたコクソンのレコーディングスタジオのバンドとして初のセッションを行う。そしてこのバンドはまもなく「ザ・スカタライツ」と名付けられた。
数年後の1965年8月にザ・スカタライツは解散、アルフォンソはジョニー・ムーア、ジャッキー・ミットゥ達とザ・ソウル・ブラザーズ[2]を創設する。1973年には自らの名を冠したファーストアルバムをスタジオ・ワン・レーベルからリリースした。
1970〜1990年代の間に、ジャマイカのスタジオでの、特にバニー・リーとの仕事や、多くのバンドとのツアーを行い、非常に多くのレコードをリリースしている。また、ジャマイカ政府からOfficer of the Order of Distinction (OD) を1980年に授与され、米国へのツアーを開始する。アルフォンソは1983年のスカタライツ再結成時にも参加、1998年に死去するまでの間、コンスタントにツアーやレコーディングを行っていた。(Wikipediaより引用)
やはり、なんといってもスカタライツでの活躍が僕の中では印象が深く、スカといえば“スカタライツ”で一時期ハマりましたね。
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本作は、彼の死後2000年にハートビートから出た「スタジオ1」でリリースした音源を集めたコンプリート・アルバム。
単なる、スカだけでなく、カリプソ。そして、彼の生まれ故郷である、キューバ音楽のフレーヴァーのある曲まで彼の魅力を余すことなく網羅した一枚。
個人的におススメはB面3曲目「JAMES BOND」。お馴染み007のテーマ曲でございます。
あと、メロウな曲を吹かせたら天下一品。
是非、一家に一枚あってほしい作品です。