北の大地で北斗星を牽いた青いDD51
毎度ご覧いただきありがとうございます。
今回は年始に入線した「北斗星」の北海道側ランナー、DD51形JR北海道仕様について書いてみたいと思います。
DD51形です。
特徴的な凸型のフォルムが特徴的ですねw
「北斗星」の客車である24系に合わせて青い塗装となっているのが特徴です。
星をモチーフとしたマークが描かれていて、いかにも「寝台特急の牽引機」といった趣になっていますねw
さて、ここでDD51形について軽く解説しましょう。
DD51形ディーゼル機関車は昭和38年に登場した非電化の幹線及び亜幹線向けの客貨両用の機関車です。
登場当時はまだ蒸気機関車がバリバリの現役でしたが、電車やディーゼルカーの発達によりその煤煙や運用効率の悪さが目立ってきており、非電化区間の無煙化がテーマとなっていました。そんな中登場したのがこの機関車です。
当時蒸気機関車では最大の出力を誇るC62形と同等の出力を誇り、安定した性能ということもあって非電化区間の主役に躍り出ました。
細かな改良を重ねながら大量に増備が進められ、蒸気機関車に引導を渡して行ったのでした。
エンジンはV形12気筒インタークーラー付きターボエンジンのDML61Zで、出力は1100PS。これを前後に2台搭載しています。
駆動軸は前後に2軸ずつの4軸で、運転台付近に軸重を分散させるための中間台車がついています。
さて、今回入線した2両は1000番台とされていますが、正確には重連形の500番台の後期増備車ということになります。
今回入線した車両は、その中でも北海道で使用する為に数々の寒冷地むけ装備(運転台の旋回窓やホイッスルカバー、各所ヒーターなど)が施されており、分割民営化と共にJR北海道に引き継がれたグループです。
既に客車列車自体が減少していたことと、青函トンネル開通と同時に運行を開始した寝台特急「北斗星」がシンボルマーク的な存在となっていたことから、1989年頃から順次ブルートレイン客車に合わせた意匠に変更されました。
ヘッドマークステーはJR北海道独自のもので、道内の急行列車用の大型のヘッドマークと北斗星の標準的な大きさのヘッドマークがさせるようにしたとのことで、他の区所のDD51形には見られないものとなっていました。
運用は「北斗星」を始めとして、道内夜行急行の「まりも」や青森まで遠征を行う「はまなす」に使用されたほか、分割民営化初期には50系の客車普通列車などにも用いられました。
また、「北斗星」の需要が快調だったこともあり、のちに半定期列車である対本州夜行の「カシオペア」や「トワイライトエクスプレス」も運転され、その先頭も務めることになり活躍に華を添えました。
特に「北斗星」や「カシオペア」「トワイライトエクスプレス」では、
・運用区間である函館本線は勾配区間を擁すること
・編成が長くて客車の重量が大きいこと
・強力なエンジンで高速走行するディーゼル特急の運行の支障にならないようにすること
などを理由に重連運転とされ、その力強い姿は鉄道ファンを魅了してきました。
しかしながら、世情の変化や客車の非効率性などから客車列車が減少し、JR北海道にもその波がやってきます。
1993年:急行「まりも」がディーゼル特急化により客車での運行を廃止
2008年:青函トンネルの北海道新幹線工事対応に伴い「北斗星」1往復化
2015年:青函トンネルの北海道新幹線工事進展および24系老朽化に伴い「北斗星」「トワイライトエクスプレス」廃止
2016年:北海道新幹線開業および客車老朽化により急行「はまなす」廃止、「カシオペア」定期運行終了
これをもって夜行列車の先頭に立って鉄道ファンを魅了してきた青いDD51は定期運用を失い、老朽化していたこともあって全車引退となりました。
余談ですが、JR北海道からは姿を消したDD51ですが、DD51自体はまだ活躍を続けていました。
JR貨物ではエンジンの更新等を受けながら愛知で頑張っていましたが、2021年にDF200形に置き換えられて定期運用を失いました。現在は予備機として在籍はしていますが実質引退待ちであり、風前の灯となっています。
JR西日本とJR東日本で工臨牽引及びイベント用として残っています。しかし、JR東日本では工臨列車のディーゼルカー化が決定しており、既に後釜となるキヤ195系(レール運搬)やGV-E197系(砕石輸送)が登場しています。事業用の機関車を廃止する方針との報道もあることから見通しはかなり不透明になっています。元お召し仕様の842号機ということもあってか綺麗な姿を保っており、末永い活躍を期待したいもですね。
一方JR西日本の方は置き換えなどのニュースもないことから、暫くはイベント用や工臨で活躍する姿を見ることができそうです。
さて、模型の方は昨年末に発売されたKATOのリニューアル品です。重連運転のため2両同時入線しましたw
これまでKATOのDD51は運転台前面の窓の上下が狭くTomix製品と比べて「似てない」とされていましたが、改良が行われてかなり実車に近いイメージになりました。
Hゴムは黒色となっていて、2001年頃以降の姿となっています。北海道のDD51としては最も華のある「北斗星2往復」「カシオペア」「トワイライト」をひいていた時代を再現できることになりますね!
星マークは綺麗に印刷され、ボンネットの継ぎ目のゴムもしっかり黒が入っており、さすがはKATOといったところですね。その他細かなディテールもよく再現されています。
さて、実車のDD51の屋根上の通風器などの配置はかなりカオスで色々バリエーションがあるのですが、ラストナンバーに近いものがプロトタイプとなっているようです。
カプラーは付属品としてKATOナックルが入っているので早速交換しました。しかし、自分の「北斗星」客車はTomix製でTNカプラーとしているので、連結できるように穴を開けています。
ヘッドマークステーはヘッドマーク交換ができるように脱着式になっています。「クイックヘッドマーク」ということになってますが、取り外しにはコツが必要で「クイック」ではないですねww
予めヘッドマークはステーに付けた状態で機関車に取り付けることになっていますが、これもちょっとコツが必要です。
片方の機関車は重連用にするため、KATOからASSYで発売された、トラクションタイヤのない重連用台車に交換しています。また、ヘッドマークステーはGクリアで固定してしまいました。この状態でもヘッドマークの脱着は可能ですが、予め外した状態で取り付けるよりかなりコツが要りますねww
以上、青いDD51のお話でした。
海峡区間のED79は・・・・・そのうち入手したいと思いますw
次回はまた新規入線組が溜まってきたので、ダイジェスト的に紹介していきますw
私鉄の103系と呼ばれた電車の話 その2
毎度ご覧頂きありがとうございます。
今回はKATOの東武8000系の続きです。
今回(といってもすでに半年前になりつつありますがw)入線した東武8000系は4両+2両の6両編成です。
製品としては4+4+2が組めるように発売していましたが、8000系が本線(伊勢崎・日光線)系統で現役だった頃の10両編成というのは、半蔵門線乗り入れ系統を除けば非常に少なく、ラッシュ時に北千住止まりの数本だったと記憶しています。
今回自分が導入した8000系は、時代設定として準急列車が花形運用で、半蔵門線との直通運転が始まったすぐ後位を想定(2005年前後)していることもあって、準急列車でよくみられた6両編成とすることにしました。
特に特定の編成に思い入れがあるというわけでもないので、KATOで設定した8144Fと8539Fです。
プロトタイプが登場後20年位ということもあって実車も保守や改造等で車体や機器類に様々なバリエーションが生まれており、同じ様な4両編成あるいは2両編成でも、その搭載機器は様々なものとなっていました。
一応、モデル化の際はその辺りは考証されたようで、床下の機器及び配置は実際の8144F及び8539Fに即したものとなっているようです。
さて、上記の結果床下は完成品としてはかなり精密なものになっていて、そのせいかKATO製品としてはややお値段も高めになっています。
6両とも全て異なる機器配置となっているので当然ではありますがw
前面はジャンパホースの表現があり、クハ8144とモハ8539は別パーツでジャンパホースが取り付けられるようになっています。
顔のディテール・プロポーションは破綻がなく、思わず手に取るとにやけてしまう製品ですねw
側面はこの通り。
立体的な造形のミンデンドイツ式台車が見事です。
これは8000系でも中期製造車まで見られたものですが、後期に登場したグループはS型ミンデン台車に変更されています。今夏に東上線仕様として発売される後期更新車はその後期車になるようなのでまた楽しみですね。
側面ドアの表現も見事です。マイクロエース製品のものはかなり怪しい感じなのですが、こちらは文句なしです。
更新後でアルミ製の金具押さえで窓ガラスが固定されたものを再現されていますが、これで原型の黒Hゴムも見てみたいところですw
冷房化改造時に追設された方向幕もしっかり表現されています。こちらはステッカー貼り付けで行き先を選べるようになっています。
昼間に30分おきに走っていた「準急 新栃木」にしました。
なお、前面の方向・種別幕は交換可能で、模型の編成としては通常は先頭に出ない8539の行き先はちょっと遊んでしまいましたw
モハの床下です。東武8000系は自然空冷式の抵抗制御になっているため、側面に抵抗器がずらりと並んでいました。
模型でもよく再現されています。
1C8Mのモハ8200と1C4Mのモハ8500で並んでいる抵抗器の数や形状もきちんと作り分けされています。
これが30年位前の製品だと床下は共用だったりしたんでしょうけどねぇ。本当に良い時代になったものです。その分高価になってしまいましたがw
トレジャータウンのインレタを使ってドアステッカーも再現しています。
この時代は注意表記と広告がくっついて貼られていたので、そちらも再現しました。
広告は必ずしも全部のドアについていた訳ではないので、広告ありのドアとなしのドアを表現しています。
この時代には窓にも広告がついていたようなのでインレタを使って再現しました。
優先席表示については実車も半ば透明で目立ちにくいようなので、鮮明なインレタはあえて使わず、製品付属のステッカーを使っています。
新栃木寄り先頭車のクハ8400とクハ8600です。これも床下がしっかり作り分けされています。
2連のクハの8600は電動車の様な機器満載感が楽しいですね!
最後に我が家の東武並びを・・・・
色々揃ってきましたが時代がマチマチなのが難点ですw
こうなってくると原色のスペーシアや、「りょうもう」の200系も欲しいところですねー。
今回はここまで。
次回はほぼ同時期に入線したDD51について書いてみます。
そういえば、DD51も昭和38年登場なんですよねぇ・・・・。すごい偶然の一致だw
私鉄の103系と呼ばれた電車の話 その1
毎度ご覧いただきありがとうございます。
今回は年末に入線してきた、東武の通勤形電車のかつての主力、8000系について書いてみたいと思います。
東武8000系は昭和38年に登場した通勤形電車です。
ちょっと脱線しますが、東武鉄道という会社は、優等用車両ではチャレンジ精神を発揮し最新鋭装備を盛り込む一方で、一般用の車両では手堅い仕様で、やや保守的な思想の電車を作る傾向にあるようです。
登場当時の東武の通勤形電車といえば、昭和36年に登場した2000系は日比谷線乗り入れ車両と言うことで、特急用のDRCこと1720系を通勤向けにアレンジした高性能電車となりましたが、地上用は車体・足まわりとも戦前~戦後間もなくの設計思想を引きずった7800系が増備されていました。
7800系の仕様は国鉄73系をベースに東武なりの改良を加えたものですが、所詮ツリカケ駆動に枕バネも板バネを使用した旧態依然としたものだったというだけでなく、車体も窓上下に補給板のあるクラシックなもので、ドアも片開きドア。屋根は戦前形を思わせるような丸屋根となっていました。
とまぁ、当時の東武の通勤車は一世代前の電車が闊歩するような状態だったわけです。
流石に昭和30年代後半に製造する電車としては7800系では流石に時代遅れということで、ようやく東武が重い腰を上げて、当時としては最新の仕様で登場したのが8000系です。
前面は踏切事故対応と視界確保の観点から他社に先駆けて高運転台となりましたが、デザインは後に「東武顔」と呼ばれる、貫通扉付ながら高くて天地方向の狭い窓が並ぶ、極めてシンプルなものとなりました。
塗装は当時の東武通勤形の標準だった、駱駝色をベースに窓周りと裾部分を朱色とするツートンカラーでした。
さて、肝心の足まわりですが、こちらはなかなか凝った仕様になってます。
台車はこの時代の私鉄車によく見られるミンデンドイツ式台車で、枕バネは乗り心地に優れる空気バネを採用しています。
経済性を考慮してMT比が1:1となることを前提としており、MM'ユニット構造を採用しつつも、2両編成や6両編成ではユニット式ではM車が多くなってしまうことから、わざわざ1M方式の車両も用意しています。(通常他社では割り切ってM比を大きくする場合が多い)
制御装置は一般的な直並列組み合わせ抵抗制御方式ながら、スムーズな加速を行うことができるバーニア抵抗を用いた超多段制御式となっていて、日立製のVMC-HT-20A(ユニット車)及びVMC-HT-10A(1M車)を採用しています。バーニヤ制御は加速はスムーズになるものの装置の構造が複雑になるため、当時としては標準装備となりつつあった発電ブレーキが省略され、電磁直通空気ブレーキ一本になりました。また、主幹制御器は3ノッチのみのシンプルなものになり、主制御器が凝ったものになる代わりに他の部分でコストダウンが図られたのでした。
モーター出力は狭軌のカルダン駆動用としては当時最強クラスの130kwのものを使用しており、日立と東洋電機の共通設計のTM-63型(MM'ユニット車)とTM-64型(1M車)が用意されました。余談ですが、TM-63とTM-64では電気的特性が異なっているのか、モーター音が異なっており、TM-64搭載車は起動時に甲高い音がするので音鉄界隈では比較的人気のある音となっていますw
逆に、両者とも日立製(HS-836-Srb及びHS-836Trb)のものと東洋電機製(TDK-845A及びTDK-845B)のものが存在しますが、メーカーによる音の差は存在しないようです。
駆動方式は狭軌では標準的な中空軸式平行カルダンで、ギア比は当時の通勤形としてはちょっと低めの5.31になりました。
これらの組み合わせにより、起動加速度は2.23km/h/sとしつつ、高速域での加速が国鉄の近郊形電車並を維持するという、見た目に反してオールパーパスな性能になりました。
東武は駅間の広い郊外区間も多く、路線の環境にマッチした性能と言えるでしょうか。
加速度はやや低めですが、73系や78系をはじめとする旧型電車が闊歩している状況下においては十分だったと言って良いでしょう。
設計最高速度は110km/hですが、運転最高速度は100km/hです。これは東武の通勤車の列車種別の最高速度が100km/hとなっているためです。本線などは2006年頃まで7800系の足回りを使用した5000系が活躍していたため95km/hでしたので、これでも十分だったんですね。
さて、8000系は昭和38年に登場した後、東武の主力として勢力を伸ばして行きます。
本線(伊勢崎線)と東上線でデビューを果たしましたが、やがて全線で活躍を行うようになっていきました。
「通勤形車では保守的な東武」はここでも発揮され、8000系はその後20年間に渡って製造され続け、最大712両の陣容を誇りました。
同じ昭和38年に登場して20年間に渡って増備が続き、3400両の大勢力を誇った国鉄103系と相似点があることから「私鉄の103系」などと呼ばれるようになりました。
20年間も製造が続くと当然ながら細かな仕様変更が発生し、東武8000系も様々なバリエーションが存在しています。
パンタグラフは当初一般的な菱形のもの(PT42系)が搭載されていましたが、冷房装置を搭載するようになった際にスペースが不足したことから、コンパクトな下枠交差式のPT4801に変更されました。非冷房車については冷房化工事の際に変更されています。
台車は上で書いた通りミンデンドイツ式のものを使用していましたが、途中の増備車からS形ミンデンに変更されています。
ドアについてはステンレス製で窓がHゴム固定のものを使用していましたが、後期の車両では金具固定式に変更されました。
窓枠については初期の車両では当時の関東私鉄では多くみられた上辺の角が丸いものとなっていましたが、昭和42年製の2次車から上辺も丸みも無いものになりました。
一方、国鉄103系でみられたような大きな外観の変化はなく、最終増備車まで形態変化は小さなものに止まりました。
塗装については昭和47年からセイジクリーム1色となりましたが、昭和60年からは現在のジャスミンホワイトに濃淡の青帯といういでたちになりました。以後、変更されることなく現在に至っています。
余談ですが、東武8000系は多数製造された影響でインフレナンバー車が存在します。
東武では4桁車番の場合、100の位が車種を表し、下2桁が製造番号を表すようになっていましたが、各形式で99両を超えてしまい番号が溢れることになりました。そこで東武は、上二桁をそのままに、下二桁をそのまま「3桁」にしてしまい、結果的に5桁の車番が誕生することになったのでした。
例えばクハ8100形の場合8199の次は81100、モハ8200形の場合モハ8299の次は82100という具合です。
時は進んで昭和61年。後輩の10000系が増えて行く中、初期車は製造から20年以上経過していることから更新(修繕)工事が行われることになりました。この更新工事は20年以上にわたって続けられ、様々なバリエーションを産んで行くことになります。
主な内容は腐食した外板の張り替えや、側面方向幕の取り付け工事ですが、車内の更新も行いカラースキームを10000系に合わせたものに変更しました。
昭和62年以降は前面形状も大幅な行われて、単調なHゴム窓の並ぶ「東武顔」スタイルから、6050系に類似した「額縁スタイル」に変更されて面目を一新することになりました。
だいぶ面目が一新されました。
平成9年以降は方向幕が3色LED式となったほか、前照灯にはHIDを使用する変更がなされ、室内も車椅子スペースが導入されるなど、だんだん「魔改造」の領域に近いものになっていき、平成15年以降はドア上のLED案内表示器取り付けや座席のスタンションポール取り付けなども行われていきました。
なお、Hゴムドアについてはドア窓の固定方法が、JR東日本でみられたゴムを併用したアルミ金具固定式にのものに変更となっています。
なお、2004年には支線転用のため3両固定・ワンマン化改造が行われ800系となったものが存在します。
さて、東武通勤車の「主」として活躍してきた8000系ですが、老朽化に伴い徐々に退役が進んで行くことになります。
平成16年の3両固定化で発生した余剰車が最初となりましたが、平成19年から50000系列の増備による置き換えや他系列の転配などにより本格的に廃車が始まります。
2010年には本線の浅草口から撤退、2015年には東上線の池袋口から撤退し、いよいよ主役の座を降りることになりました。
その後、本線系統の主要な列車からは姿を消し、数も全盛期の半分以下になりましたが、一方で支線や本線の末端区間ではしぶとく残っており、野田線では急行運用も見ることができます。
登場から半世紀以上となる8000系ですが、数を減らしつつも当面の間は活躍する姿を見ることができそうです。
また、最後まで原型顔で残った8111Fについては博物館に車籍を移動しており、動態保存車として団体列車などで活躍することになっています。
長くなってしまったので今回はここまで。
次回はもう少し模型自体について詳しく書いてみます。
サボっている間に色々と・・・・
毎度ご覧いただきありがとうございます。
だいぶ間が開いてしまいましたが、すみません。サボってましたwww
じっくりと更新を再開したいと思います。
さて、予告では年末入線した東武8000系についての記事を書く予定でしたが(実は下書きは終わっています)、その間に色々入線してきたので今回はダイジェスト的に紹介したいと思います。
まずは昨年の北斗星大増備計画の〆とも言える、DD51型北斗星塗装です。
実車同様重連にすべく2両導入です。
いやぁ、独特の凸型のスタイルがなんとも渋いですねw
製品は昨年末にKATOからリニューアル販売された製品で、従来のものに比べて色々改良されています。
特に上下幅が狭いと指摘されていた同社製のDD51の運転台窓が、適正なサイズに変わっています。
また、付属のヘッドマークに独特のヘッドマークステーがついており、なかなかご機嫌な内容になっています。
2両のうち1両は重連用と言うことで、ASSYとして販売されているゴムタイヤなしの車輪に交換しました。
次に入ってきたのが、京急のレジェンドとも言える京急230形です。
いかにも戦前の関東私鉄らしい16mボディーに2扉の車体ですが、窓が非常に大きく垢抜けたスタイルとなっているのが特徴です。渋いリベットボディーながら、大きな窓と更新工事によりアルミサッシ・ステンレスドアを装備した姿でなかなかスタイリッシュな電車だと思います。
製品はKATOから2月に発売されたもので、昭和52年頃に大師線で活躍していた頃の姿となっています。
これまでKATOはホビーセンターの鎮守となっている268号をモデル化したものを限定販売していましたが、今回ようやく現役時代の姿を製品化したことになります。デハ230形の電装解除及び運転台機器の撤去を行った2扉のサハ280形が挟まっているのが特徴で、大師線特有だった編成を組むことができるようになっています。(他の路線では3扉のクハ290⇨サハ280形が入っているのが普通だったようです。)
実車の特徴をよく掴んだ製品で、附属の行先・運行番号板と、インレタでドアステッカーをつけるとなかなかご機嫌な感じになりましたw
そのうちバリエーション展開で3扉車の入った3連の空港線編成なんかも出てくれるといいんですけどねw
合間を縫うようにしてこんなのも入ってきました。
E233系7000番台です。
一昨年秋より相鉄に直通するようになった埼京線の電車で、アンテナ等が増設された現在の姿がモデルとなっています。相鉄乗り入れにより走行距離が伸びたことと加え、直通列車経路が貨物線経由となったり、イレギュラー時には相鉄線内の運用に入って、直通列車とは無関係な「相鉄の横浜駅」に顔を出したり、相鉄いずみの線でも活躍することから広範囲で活躍する神出鬼没な電車となりましたw
製品はKATO製で手堅い作り。普及モデルだけに比較的安価なのが魅力ですw
ほぼ無加工でも問題なく走らせることができますが、実車は色々ステッカーが貼られており、インレタで色々情報量アップしてみました。なかなか加工のしがいのある電車ですw
次は、昨年春に登場した、JR東日本の伊豆方面への新たなフラグシップとなるE261系「サフィール踊り子」です。
引退した「スーパービュー踊り子」の後釜でありつつもも、全車がグリーン車と言う豪華仕様である上に、電車としては久々となる食堂車まで連結した気合の入った編成で、「JR東日本が本気で作った観光特急」といったものになっています。
製品はKATOの新製品で、光のあたり具合で色調が変わるマジョーラカラーが見事に再現されているほか、プロポーション・ディテールともに実車の特徴を掴んだKATOの秀作と言って良いでしょう。食堂車はテーブルランプの他にカウンター席壁面のランプまで再現した気合の入ったものになっていて、編成の大きなアクセントになっています。
いずれサードパーティー製のディテールアップパーツが出てきそうなので、それに合わせてちょくちょく手を加えて行こうと思います。
最後にこんなものも・・・・
E353系「あずさ・かいじ」です。
名実ともに中央東線のエースと言って良い電車で、スマートな車体に高速コーナリングを可能とする車体傾斜装置を備えており、メインの特急「あずさ」「かいじ」の他に、富士急行に乗り入れる特急「富士回遊」や、通勤特急である「はちおうじ」「おうめ」にも使われています。
元々中央線シリーズはコレクション対象としていたことに加え、ここ数年中央線沿線の職場に勤めることが多かったこともあって比較的見る機会も多く、欲しい電車だったんですよねw
製品はKATOのものです。これまでに2回再生産が行われて比較的すぐ売り切れることも多い人気商品です。車体傾斜のギミックも搭載しているKATOらしい製品です。
独特のヘッドライトも再現されていますが、KATOには珍しく光学設計をややミスったのかライトが暗い印象です。この辺りは手を加えて行きたいですねw
以上、駆け足で最近入ってきたラインナップを紹介しました。
それぞれについては、、、気が向いたら投稿しますw
ハマを駆け抜けた若草色の電車の話 その2
毎度ご覧いただきありがとうございます。
一回で済ませようと思ったのですが、思ったより内容が膨らんでしまったので前回の続きになります。
さて、マイクロエースの新旧6000系ですが、細かい考証の得意な同社らしい、なかなか「相鉄らしいカオスさ」をうまく表現した製品になっていますので、そのあたりを中心に書いていきたいと思います。
まずは旧6000系冷改車セットの方です。
製品は冷房改造後にメジャーだったな5M3Tの8両編成。
中間にクハを挟んだ「典型的な旧6000系の編成」になっています。
詳しくは不明ですが、考証の深いマイクロエースらしいおそらく一時的に実際に存在した編成になっているものと思われます。
まずは前面から。実車の特徴をよく掴んだいい造形です。
前面上部のモスグリーンのラインのカーブはややキツ目かなという気がしますが、「ああ、ざっと見るとこんなふうに見えるよね」という感じでなかなか悪くありません。
クハ6500の、中途半端にジャンパケーブルの表現がついているのはこの頃のマイクロ製品の特徴でもありますねw
この辺りは追々加工していければいいなと思います。
昭和30年代の関東私鉄車によくみられる、上部隅のみにRが付いている独特の窓形状もしっかり表現されています。
相鉄6000系のドア間の窓は2枚1組ではありますがサッシは独立しています。鉄コレではサッシが2枚一体になってしまってますが、マイクロエース製品はそのあたりもしっかり表現しています。これはいいですねw
相鉄旧6000系は、冷房改造の時期により施工場所や車体更新の有無に違いがあるようで、その影響かベンチレータの数が異なるものが存在します。初期の冷房改造車は東急車輛(現在のJ-TREC横浜事業所)で行っていて車体更新工事も行われたようですが、後期の冷房改造車はかしわ台の工場で施工していて、更新工事も省略されたようです。両方は編成中で混在しているのが相鉄らしいところで、模型でもしっかり両方存在しているのがマイクロエースらしい拘りを感じます。
加えて、中間電動車であるモハ6100の中でも付いているものといないものがあります。
製造時には何かしらルールがあったのかもしれませんが、編成替えを繰り返した結果なのか、ランダムに付いています。
貫通扉の戸袋窓は上部が低めなのですが、これもちゃんと再現されていて、ニヤリとしてしまいますw
製品では中間電動車のモハ6100はこのセットに4両含まれていますが、上記のバリエーションで3種類の形態を見ることができます。
貫通扉付き・ベンチレータ少・・・6108,6135
貫通扉なし・ベンチレータ少・・・6131
貫通扉なし・ベンチレータ多・・・6113
(写真は左から6108,6113,6131,6135)
クハ6500は2両ありますがベンチレータの数が異なっていて、
ベンチレータ少・・・6514
ベンチレータ多・・・6517
となっています。
セット中に1両ずつ含まれるモハ6000とサハ6000に関しては、モハ6000はベンチレータが少ないタイプ、サハ6600はベンチレータが多いタイプになってます。実車は当然ながら多いものと少ないものが存在します。
電動車に付いているヒューズボックスはちょっと面白い形をしています。
一瞬エラーかと思いきや、昔の相鉄の動画を確認したら実物もこんな形をしていましたw
一方で、実車では新6000系に付いているような一般的な形のヒューズボックスの車両も相当数存在していたようですが、模型では全てが旧6000系独自の形になっています。この辺りは流石に細かい資料がないようなので、致し方ないと言ったところでしょうか。
パンタグラフは全車ともクラシカルなPS13です。この辺りは実車どおりですが、新性能世代の車体にPS13というギャップがなかなか面白いですね。
ドアは全てHゴムのない抑え金具式の窓になっています。旧6000系の冷房改造車の中にはしばらく鋼製ドアのままで窓にHゴムが存在するものもありましたが、80年代末期にはアルミ試作車の6021を除いて全てステンレス製で窓にHゴムのないドアに交換されています。模型はその時代のものということになりますね。
クハとサハにはシルバーシートマークが印刷されています。80年代頃まではシルバーシートの設定自体がなく、末期は各車の車端にシルバーシートが設置されたため、プロトタイプが80年代末期から90年代初期にかけてということがわかります。実車は窓にもシルバーシートステッカーが貼ってあるはずなのですが、この頃の相鉄のシルバーシートステッカーは広告と一体になった独自のもので、変遷も多いことからどこのメーカーからも製品化はされていないようです。
ついで、新6000系の方を見てみましょう。
製品は引退直後位に発売されたもので、8両セットと2両セットを合わせて10両が組成できるようになっています。
新6000系は8両編成での運用が多かったので、なかなかいい売り方と言えるかもしれません。
プロトタイプとしては2000年頃に組成されていた6+4の10両編成で、新6000系としてはやや珍しい編成と言えるかもしれません。
車両番号は元「ほほえみ号」の6718Fに廃車なった6703Fのモハ2両を挟んだものになっていて、実際に存在した編成になっています。
まず前面から。
ガラス窓及び方向幕の大きさのバランスは良く、マイクロエースとしては後発製品である同社の7000系より実車に似ているような気がします。
ドアや窓のバランスも実車の雰囲気をよく再現していて、なかなか文句ない出来になっていると思います。パンタ周りも偶数車と奇数車でしっかり作り分けされていて、当たり外れの大きかった当時のマイクロエースとしては「当たり」の製品だったと言って良いと思います。
ところで、新6000系は1971年度まで非冷房で製造されており、新製冷房車と冷房改造車が存在します。
この6718x10の編成は新製冷房車と冷房改造車の混成になっており、ちゃんと両者について作り分けが行われています。外観上は新製冷房車はベンチレータが少なく、冷房改造車はベンチレータが多いので区別が付きます。
室内は新製冷房車が7000系などと同じ暖色系、冷房改造車は旧6000系と同じ緑色系統のものになっていましたが、模型でもしっかり再現できているのがさすがマイクロエースといったところです。
余談ですが、この「伝統」は9000系まで続いており、シングルアームパンタとPS16の混在がみられただけでなく、7000系などでは一時期は、PS13までもが混在していた編成もあったようです。
さて、模型の方では、これらの作り分けが行われた結果、地味にバリエーションが多い感じになってます。
モハの場合
新製冷房・PS16N・・・6329,6331
新製冷房・PS13・・・6330,6332
冷房改造・PS16N・・・6303
冷房改造・PS13・・・6304
クハの場合
新製冷房・・・6540,6718
冷房改造・・・6534,6710
編成内で統一されてないあたりがいかにも相鉄らしいといったところですねw
シルバーシートマークについてはどの車両にも付いていません。
プロトタイプが「シルバーシート」から「優先席」と呼称が代わり、原則的に各車車端部に設置される様になった頃のものとなっていて、実車はこの時代には小さなシルバーシートマークが窓に付いていただけのようです。
それにしても、改めて相鉄6000系について振り返ってみると、なかなか一筋縄では行かない電車ですね〜。
よく製品化してくれたものだと、マイクロエースに感謝しなければなりませんw
以上で相鉄6000系については終わりなのですが、相鉄の「若草色の電車」は実はもう一つあります。
そちらについても相鉄ファンの方にお叱りを受けてしまうのでw書いておくことにします。
模型はないので文章のみの紹介になりますが、ご了承ください。
相鉄の「若草色の電車」には6000系の他に3000系というものが存在しました。
正確には1986年の更新改造までは3010系、それ以降は2代目の3000系ということになります。
3010系は国鉄払い下げの63形や戦災復旧車をまとめた元旧型国電の初代3000系を、昭和40年に旧6000系同等の車体で車体更新したグループです。
初代3000系は9両でしたが、3010系となる際にサハ1両を新製追加して10両となっていました。
見た目には旧6000系そっくりでしたが、標識灯や幌枠の形に若干の差異があり、細かな見分けポイントになっていました。追加新製されたサハは当初からステンレスドアになっていましたが、Hゴム固定ながらドア窓のサイズが縦に長い東武8000系のようなドアになっていたのが特徴で、異彩を放っていました。
足回りは旧型国電由来で吊り掛け駆動方式の旧性能電車で、見かけと乖離した、旧態依然とした轟音をたてて走っていたことと思われます。
10両一本ということと、旧性能ということでさすがに使いづらかったのかほとんど出番はなく、朝ラッシュ以外は車庫で寝ていることが多かったようで、自分も3010系時代には一回も遭遇したことがありません。
ところが、1986年にこの日陰モノと言っていい電車に大きな転機が訪れます。
車体はそのままに足回りをVVVFインバータ制御に変更し、一躍最新式スペック(ただし足回りのみ)の電車に生まれ変わりました。番号は改番され、2代目の3000系となりました。(ただし各車とも下2桁は50番台となった)
今度は昭和30年代の見た目にインバータの変調音が響く、またもや見た目と足回りの一致しない電車になったわけですw
改造後の3000系は相鉄のVVVFインバータ試作車と言っても良いものとなっており、電装品も東洋電機製の車両と日立製の車両の車両が混在していました。なお、東洋電機製の機器はのちに5000系のインバータ改造車に採用され、日立製の機器は新7000系に採用されています。駆動方式はいずれも「相鉄伝統」の直角カルダンを採用しており、当時とては国内初の直角カルダンのインバータ電車になりました。
なお、車体はほとんど変わらなかったものの、旧6000系との判別点の一つになっていた標識灯は旧6000系と同じ角形のものに交換され、より旧6000系と見分けがつきにくくなりました。
インバータ電車となってからは比較的運用機会も多くなっており、自分も何度か乗ることができました。旧6000系の様な見た目の電車からインバータ音がするというのはなんとも不思議な気分になったものです。
ただ、電装メーカー品の違いに起因する微妙な性能の違いから前後動があるなど、現場の評判はあまりよくなかった様です。
「魔改造電車」とも呼べる3000系は旧6000系引退後にも活躍しましたが、1998年に車庫で脱線事故を起こしてしまいます。
もともと予備的な扱いだったことと、10両一本の特殊車と言うことで結局修復は行われず、翌年に8000系に置き換えられてひっそりとこの世を去っていきました。
戦後の激動の時代を生き抜いた電車としては寂しい最期になってしまいました。
以上、ハマを駆け抜けた若草色の電車の話でした。
ネイビーブルーの上質な電車を擁して都心に殴り込みをかけ、急速に変化を遂げている相鉄にも、かつてはこんな味のある電車がいた事を知って頂けたら幸いです。
次回はほぼ同時期に入線してきた、かつての大手私鉄の雄、東武8000系について書いてみようと思います。
ハマを駆け抜けた若草色の電車の話 その1
毎度ご覧いただきありがとうございます。
遅くなりましたが、今年初の投稿になります。
今年もマイペースで行きたいと思いますが、よろしくお願いいたします。
今年最初の記事は年末に紹介した昭和の電車のうちの一つ。相鉄6000系について、もう少し詳しく書いてみたいと思います。
前回の記事と内容が一部重複しますが、予めご了承ください。
相鉄6000系は1961年(昭和36年)に登場した、20m級の通勤形電車です。
相鉄としては初の鋼製の両開き4扉車で、1974年まで総勢190両製造されました。
そのうち、1961〜1970年に製造されたグループと1970〜1974年に製造されたグループでは制御回路以外は大きく仕様が異なっており、前者が旧6000系(上写真左)、後者が新6000系(上写真右)と呼ばれます。
(新6000系は公式な名称になってます)
相鉄こと相模鉄道は今でこそJRとの直通運転まで行う大手私鉄の仲間入りをはたしていますが、30年前までは中小私鉄でした。(当時は準大手と呼ばれていました。)
路線延長も、1975年のいずみの線開業までは24km余りにすぎず、「横浜のローカル私鉄」と言った風情でした。とはいえ、流石にそこは横浜。同社のニュータウン開発なども沿線人口の増加も著しく、大型の車両を増備して急増する需要に対応する必要がありました。そんな中で登場したのがこの6000系というわけです。
6000系登場当時の相鉄の車両陣は戦後の影響が色濃く残っており、旧型国電の戦災復旧車やその互換品とも言える電車(2000系や3000系)が中心である中、モノコック構造の軽量車体にカルダン駆動でオール電動車という、いわゆる「高性能電車」と呼ばれる5000系が「掃き溜めの鶴」の如く活躍するという状態でした。
5000系は高性能ではあるものの、ボディーマウント構造をとったため保守性が悪く、また全電動車方式であるため高価とならざるを得ない状況でした。また、MM'ユニット方式を採用したものの、編成の組成の柔軟性には欠けるきらいがありました。固定編成が主流の現代ならばさしてデメリットというわけではありませんが、当時は旧国由来の電車が大勢を占めていたので、MM'ユニット方式により編成の組み替えが最低2両単位となることは、よりデメリットとしてクローズアップされたものと思われます。
ところで、5000系は当時の関東私鉄標準と言って良い18m3扉片開きの車体でしたが、相鉄は建築限界に余裕があり、国鉄から旧63形である割り当てを受けた3000系が在籍していました。3000系は片開きながら20mの大型車体に片側4扉で、通勤時間帯の輸送には大きな威力を発揮していました。また、当時国鉄では101系が登場して両開き扉による乗降時間の短縮に成果をあげていました。
そこで、6000系では上記の生かし、以下のような仕様とすることになりました。
・編成の組成の柔軟性を保持するため、電動車には制御器、パンタ・MG・CPを搭載し、1両でシステムが完結する1M方式とする。また、正面には貫通扉を設けて運転室部分は通り抜け可能とする。
・車体は20m片側4扉両開きとする。
・製造コストを抑えるため、1M1T構成を基本とする。これに伴い、加減速性能を維持するため110kwの大出力(当時としては)電動機を搭載する。
上記の他は基本的に5000系で採用したシステムを踏襲しており、ブレーキは電磁直通ブレーキを採用しています。ただし、5000系で採用した電気ブレーキは経緯は不明ですが省略されました。(一説には具合が良くなかったとされています。)
ちなみに、相鉄に採用された電磁直通ブレーキは他社のものと異なり、通常はハンドルの操作角に応じて自動でブレーキ圧を固定する「重ね」が行われますが、相鉄の方式ではブレーキ管の圧力が所定の位置に達したら圧力を固定させるため「重なり位置」に持っていく操作が必要で、操作が自動ブレーキに近いものとなっていました。(日立式電磁直通ブレーキとも呼ばれています。)
台車は乗り心地に優れた、軸箱支持にウイングバネ式、枕バネはベローズ式の空気バネ台車を採用しています。
台車のブレーキは最初期の車両には一般的な踏面式のものでしたが、途中から放熱性が良く滑走に強いと呼ばれるディスクブレーキに変更されています。(ただし、踏面ブレーキの方がブレーキパッドで踏面を清掃できるため、空転に強いという説もある)
駆動方式は5000系に続いて直角カルダンを採用しています。
もともと直角カルダンは、駆動装置と筐体の大きい大出力モーターを狭軌の台車に納めるために、モーターを線路と平行に装架することで駆動装置のスペースを確保するという、カルダン駆動のごく初期(昭和26〜30年頃)に採用された駆動方式ですが、昭和30年代に入ると、狭軌でも継ぎ手形状の工夫によりスペースの確保を可能にした中空軸式平行カルダンや電動機形状の工夫によりWN駆動方式といった平行カルダン方式の方が主流となっていました。にもかかわらず、経緯は不明ですが相鉄では6000系でも直角カルダンを堅持しています。
なお、この外側ディスクブレーキと直角カルダン駆動は以降の相鉄の標準となり、9000系まで採用され、相鉄車両のアイデンティティーとなっていました。
制御方式は一般的な電動カム軸式直並列組み合わせ抵抗制御及び弱め界磁制御で、制御装置は4モーター制御で日立製のMMC-HT10系が使用されていました。
主電動機は日立のHS-514系で出力110kwでした。細かくは初期型と後期型の2種類が存在しており、初期型のモーター装備車(6001〜6014及び6101〜6112)は起動時に甲高いモーター音が響くのが特徴的でした。ちなみにこの甲高い音が個人的にかなりお気に入りでしたw
反面、後期型モーター車(6015〜,6113〜)はほとんど電動車の音らしい音がしない静音電車でした。速度が上がってくると直角カルダン特有の唸りは聞こえてくるものの音量は極めて小さく(これは初期車も同様)、モーター音好きとしてはかなり物足りない思いをしたものでしたw
設計最高速度及び運行最高速度はともに100km/hです。相鉄線内は駅間が短い上に案外カーブが多く、そもそも100km/h出せる場所すら限られている状況で、これで必要十分だったと言えるでしょう。
車体は上記で書いた通り、20m級の大型車体に片側4扉両開きという、通勤形電車としては一般的な構成ですが、実は関東私鉄としては最初の両開き4扉の大型車ということになります。(私鉄全体では近鉄6800系が最初となります)
窓配置は他社で見られない独特なもので、先頭車では運転台直後に2人がけの座席が設置され、中間車では前方と後方で座席数が異なる構成となりました。これに合わせて、窓配置も先頭車では乗務員室直後に窓があり、中間車はドアと車端の間に片側は窓一つ、片側は窓2つと前後非対称な配置となりました。このレイアウトは関西私鉄などの21m級の車体をもつ車両では見られる配置ですが、20mの車体では珍しいものと言えます。このため、一人当たりの座席幅は410mmとなりちょっと窮屈な感じになっていました。あくまで私見ですが、当時国鉄101系以外に両開き4扉車がおらず、同社には3000系という63形譲り受けの片開き4扉車がいたことで、とりあえず3000系の63形ボディーを両開きに直した様なレイアウトにしたのかもしれません。流石に一人当たり410mmというのは窮屈過ぎたようで、後述する新6000系では他社と同様な窓・座席配置となり、座席も430mmと他社並に改良されました。
車体色は紺と灰色をベースに赤帯を入れた複雑な塗装でしたが、塗装の手間を省くため1974年から写真のような若草色にモスグリーンとオレンジの上下帯を配したのシンプルなものになっています。
ドアは鋼製でHゴム固定窓の当時としてはごく普通なものでしたが、冷房化と前後してステンレス製で金具抑えの、見た目がスッキリしたものに交換されています。
屋根は張り上げ式で側面の雨樋が隠蔽された形となっており、国鉄車に比べると丁寧な雰囲気です。登場当時は種別表示が存在しませんでしたが、後年に設置されています。なお、行先方向幕については廃車まで設置されませんでした。
前面は通り抜け可能な貫通扉付きの切り妻構造で、額に大型のヘッドライトを配置。窓はHゴム固定で大型のものが並ぶシンプルな形状となっていました。行先表示は縦書きのものが貫通路に取り付けられました。
後年にヘッドライトがシールドビーム2灯式に変更されましたが、1灯時代のキセを埋めた跡が残っており、やや不恰好な形になってしまっていました。また、列車種別及び運行番号表示の追設が行われましたが、助手席側の前面窓内側に設置され、客室側からの前面展望が阻害される形となってしまったのは残念なところです。
通風器は戦後の電車としては珍しいガーランド式となっていました。また、パンタグラフは戦時設計で旧型国電に使用されたラーメン構造のPS13で、ベンチレーター、パンタを含めて屋根上は当時最新の車体構造とは反するクラシックな雰囲気になっていました。
冷房装置は登場当時は非搭載でしたが、1980年頃から順次搭載され、1987年までに全車が冷房車となっています。なお、この時に電動車に搭載されていた小型のMGは撤去され、付随車及び制御車に大型のMGが搭載されるようになりました。
車種構成は、横浜寄り電動制御車のモハ6000形、中間電動車のモハ6100形、付随車のサハ6600形、海老名より制御車のクハ6500で、旧型国電同様固定編成という概念はなく、需要により柔軟に編成されていました。
登場当時は2両編成や4両編成が主体でしたが、沿線人口の増加に伴いどんどん編成は伸びていき、最終的には後述する新6000系も交えて8両編成が基本で、10両編成が組成されることもありました。
ところで、6000系は製造途上で細かい改良がなされており、中でも非常に大きな特徴を持ったものが存在しています。
一つはMM'ユニット式の試作車であるモハ6144、6145です。6000系は補助機器をオールイン1として柔軟な編成を組めるのが「売り」になっていましたが、昭和40年代半ばともなってくると編成の固定化が進んできて、柔軟に組めるシステムも必ずしも長所とは言えなくなってきていました。そこで、モハ6100形の最終ナンバーとなる6144と6145は試験的にMGとCPを分散して持たせてユニット構造としており、これが新6000系に生かされる形となっています。
もう一つはアルミ車体の試作車であるモハ6021です。昭和42年に車体軽量化を模索するため、電装品などは従来通りとして車体の材質をアルミとしたもので、車体色は塗装が省略されてアルミの地色を生かした銀色となり、正面貫通路にアクセントのため赤色が配置されました。
アルミ車体は一定の効果があったため、相鉄を1970年からの2000系の車体更新を初め、9000系までのアルミ車体王国へ導く礎となっています。
さて、6000系は相鉄の主力として増備が行われて120両の勢力となりましたが、時代の変化により仕様が見直されることになりました。そこで各種仕様変更が行われて1970年に登場したのが新6000系です。
・混雑に応じた車体幅の拡幅による車内空間の拡大。
・座席配置の見直し。
・保守や製造コストを考慮して、電動車を1M方式からMM’ユニット方式へ変更。
・いずみ野線開業を考慮した高速化対応。
これにより結構大掛かりな仕様変更となり、同じ6000系を名乗りつつも実質別物の電車になりました。
一番大きいのが車体デザインの変更で、拡幅車体となったことに伴い前面構造も変更され、当時流行の高運転台方式が採用されました。また、ライトもシールドビーム2灯を腰部に配置するように変更されました。このため、貫通路を含めて横長の窓が並ぶようになり、どこか東武8000系を思わせるようなデザインになりました。
側面は独自色の強い座席・窓配置から関東の4扉車では一般的な窓配置になり、中間車は前後対称となり、先頭車は運転台直後の窓がなくなりました。これに伴って一人当たりの座席幅も430mmに拡大されています。
足回りもMM'方式となったことで大きな変更が行われています。抵抗器と制御器は奇数番号車に、コンプレッサー、補助電源を偶数番号車に分散配置しています。制御器は8個モータが制御可能なMMC-HT20系に変更されています。補助電源は当初SIVを搭載していましたが、1971年以降は冷房を搭載する関係で大型のMGを搭載しています。
主電動機は日立のHS-515Arbで、出力は130kwに増強されました。このため走行音も変わっており、出足は控えめながらモーター音が、速度が上がってくると音量はかなり控えめながら直角カルダン特有の唸りと甲高いギア鳴り音らしき音が聞こえてくるようになりました。これは後に登場する7000系ともよく似た音になってます。
なお、一部の制御車は旧6000系と編成を組むために、冷房化時に大容量のMGを搭載しています。
冷房装置については、当初は非搭載で登場しましたが、1971年に試作冷房編成が登場。1972年以降は製造当初から冷房付きとなりました。非冷房車については後年冷房化されています。
なお、非冷房車は当初ドア窓がHゴム支持となっていましたが、冷房車は製造当初から金具固定となりました。非冷房車も追って金具固定の窓に変更されています。
車種構成は、横浜寄り制御車のクハ6700形、中間電動車のモハ6300形、海老名より制御車のクハ6500で、クハ6500形は旧6000系からの続番号になっています。
基本的な編成は6700-6300(奇)-6300(偶)-6500の4両となっていて、典型的な編成は4両ユニットx2の8両編成となっていました。とはいえ、固定編成という概念はなく、検査周期や旧6000系との組み合わせにより中間の電動車とクハが入れ替わることもしばしばでした。
新6000系といえば特筆すべきは8両3編成のグラフィックカーでしょう。
最初に登場したのは「いずみの線沿線の花と自然」をモチーフとした、花を車体に描いた「ほほえみ号」で、1983年に登場。当初2年間の予定が公表のため1991年までの8年間運行されました。
次は「緑園都市号」で1987年に登場。こちらは「横浜八景」をテーマとする横浜の様々な名所がイラスト化されて車体に描かれており、引退する2003年まで運行されました。
最後は「アートギャラリー号」で1989年に登場。こちらは「楽園シンフォニー」というテーマでいかにも「芸術」な感じの模様が車体に描かれています。こちらも引退する2003年まで運行されました。
これらのグラフィックカーは地味な相鉄の電車の中では目を引く存在となっていて、「相鉄名物」よ呼んで良い様な存在だったと思います。
さて、6000系は相鉄の進展期の電車であるため、新旧合わせて色々な編成を見ることができました。これが相鉄6000系を語る上での一つの興味深い点にもなっています。
新6000系の制御回路は旧6000系と揃えられているため混結は可能で、旧6000系のユニット試作車が常態的に新6000系の制御車に挟まれてい編成も存在していました。(クハはそれぞれ6500,6700が18両ずつ作られたのに対し、モハ6300は17ユニットしか製造されなかった)
ここでいくつかの典型的な編成と、面白い編成を紹介しましょう。
4両編成時代
←横浜
6000-6600-6100-6500(旧)
6700-6300(奇)-6300(偶)-6500(新)
4両編成の基本的な編成です。旧6000系登場後から新6000系登場直後くらいはこんな感じだった様です。
6両編成登場後
←横浜
6000-6600-6100-6500(旧)-6100-6500(旧)
6700-6100-6700-6300(奇)-6300(偶)-6500(新)
6両延伸後です。
旧6000系の方は基本的な4両にモハとクハを足した旧6000系の特性を生かした編成。
新6000系の方は1M1Tで2両追加することができないため、旧6000の電動車(モハ6100形)を挟んでいるのが面白いところです。
7両編成
←横浜
6000-6600-6100-6500(旧)-6100-6100-6500(旧)
6000-6600-6100-6600-6100-6100-6500(旧)
6700-6300(奇)-6300(偶)-6700-6300(奇)-6300(偶)-6500(新)
一時期7両編成というのも存在した様です。
旧6000系の方は当時の相鉄には珍しい綺麗な貫通編成もあった様ですね。
新6000系の方は基本的な4両からクハを1両抜いた形になっています。
Web上の写真で見つけたのはこのパターンですが、クハ6700を抜いたパターンもあるのかもしれません。
8両編成
6000-6600-6100-6500(旧)-6000-6600-6100-6500(旧)
6000-6600-6100-6500(旧)-6100-6100-6100-6500(旧)
6700-6300(奇)-6300(偶)-6500(新)-6700-6300(奇)-6300(偶)-6500(新)
6700-6100-6100-6500(新)-6700-6100-6100-6500(新)
6700-6300(奇)-6300(偶)-6300(奇)-6300(偶)-6300(奇)-6300(偶)-6500(新)
長期間見られた8両編成です。
旧6000系の方は1番目は基本的な編成を2つ繋げた編成。2つ目は新6000系以降の電車と性能を合わせるためか、5M3Tの強力編成になっているのが特徴です。どちらかといえば2つ目のパターンの編成をよく見た気がします。
8000系や9000系での置き換えが始まったあとは、検査期限や車両の状態によってバラバラに除籍が行われたため、モハ6100の代わりに運転台付きのモハ6000が連続して連結されたりといった気動車の様な編成も見られました。
3番目の新6000系は基本的な4両を2編成つないだ安定?の編成です。8連化当初から引退に至るまで、新6000系ではもっとも多く見られました。一本だけ横浜方のモハユニットが旧6000のユニット試験車(6701-6144-6145-6526)という編成もありました。
4番目は冷房化進展期に一時的に見られた、クハは新6000、モハは旧6000という編成です。挟まっていた旧6000系はユニット試作車でない普通のモハ6100形でした。マイクロエースが製品化してましたねw
一番下は新6000系末期に見られた6M2Tの強力編成廃車の進行と検査の都合でたまたま現れた編成だと思いますが、貫通8連自体6000系としては珍しい編成となりました。
10両編成
6000-6600-6000-6600-6100-6500(旧)-6100-6100-6100-6500(旧)
6000-6600-6700-6300(奇)-6300(偶)-6500(新)-6700-6300(奇)-6300(偶)-6500(新)
6700-6300(奇)-6300(偶)-6300(奇)-6300(偶)-6500(新)-6700-6300(奇)-6300(偶)-6500(新)
基本的に8両編成の横浜寄りにモハ6000-サハ6600の組み合わせを足した編成になっています。新6000系の方は編成をバラさないと2両追加ができないので、漏れなく旧6000系の柔軟なシステムに助けられたような形になってます。それにしても先頭車が多いですねww
一番下は旧6000系全車引退後に発生した8000系や9000系による置き換えの進展期(1999頃)の編成で、クハを廃車にして捻出されたモハユニットを横浜より4両に差し込み、6+4の10両を組んだ編成となりました。新6000系としては珍しい6M4Tの強力編成になっています。
上記に書いた他にも、色々な編成パターンが見られました。固定編成が基本となっている今の電車と違った柔軟な組成を前提とした6000系らしい部分とも言えそうです。
さて、旧6000系120両に新6000系70両を加えた190両の6000系は文字通り相鉄電車の主役として活躍しましたが、平成に入ると流石に老朽化も目立つ様になり、8000系及び9000系による置き換えが始まります。
大勢力だけに置き換えは11年間にもおよび、旧6000系だけでも5年間に及びました。旧6000系の方は1992年から廃車が始まり、ユニット試作車のとアルミ試作車を最後に1997年5月までに全車が運用を離脱しました。クハとサハの大容量MGは冷房化時に取り付けられて比較的若いことからか、9000系に転用されています。混結する新6000系が残っていたこともあってか特にお別れ運転などもない、中心車種としては寂しい最後になりましたが、トップナンバーの6001とアルミ試作車の6021がかしわ台の車庫で静態保存されることになりました。
高度成長期以降の相鉄を支えた中心車種に相応しい、華々しいフィナーレを迎えることができたと言えるでしょう。
いやー、書いていたら熱くなってしまい、実質2形式分ということもあって思った以上に長くなってしまいました。というわけで、とりあえず今回はここまでにしますw
次回は模型の方についてじっくりと書いていこうと思いますw
年の瀬にやってきた2つの昭和の電車
Yokohama Navy Blue なイカした奴がやってきた
毎度ご覧いただきありがとうございます。
前回に引き続き、新しい仲間の紹介です。
今回購入したのは完全に衝動買いですwwww
横浜の地方大手私鉄に過ぎなかった相模鉄道は、昨年11月30日にJR線埼京線との相互直通運転を開始ししました。
JRは埼京線用のE233系7000番台を7編成増備。一方、相鉄は「Yokohama Navy Blue」(以下YNB色)と呼ばれる光沢の入った渋い濃紺のボディーに上質感漂う車内、強烈な印象を残すシャープな前面形状の12000系を擁して副都心の新宿駅にデビューすることになりました。
それを受けて、今年夏にTomixから相鉄12000系が早速発売されました。
・・・・と言うわけで、その12000系が入線・・・・・・となりませんでしたww
実は予期せぬ「北斗星大増殖プロジェクト」が発動して予算が枯渇しまった上、「JRデビューはしたものの大手とはいえ横浜のローカル私鉄に過ぎない相鉄の電車がいきなり消えることはないだろう・・・・」などとタカを括っているうちに市場からあっという間に市場から消えてしまいました、、、。
どうやら来年5月に再生産があるようなので、今度こそは入手しようと思っています。
と言うわけで、今回入線したのは12000系ではなく、その先輩でありYNBカラーの先輩でもある9000系リニューアル車です。
一見上品なスタイルのこの電車、実はかなり特殊仕様バリバリなユニークな電車なのですw
さて、この9000系。いろいろな意味で「異例」の電車です。
というのも、従来の相鉄電車自体の特異性と、その相鉄の中で特異な存在であるため、両方の特異性を兼ねた存在であるからです。
登場は1993年。当時相鉄は8000系を増備していましたが、なぜかその8000系の増備と並行する形で、当時老朽化していた6000系を置き換えると言う名目で登場した電車です。
1993年から2001年にかけて7編成が製造され、主役と言うよりは名脇役と言う立ち位置でした。
当時、基本的に相鉄の新造車は日立製となっていて、電装品も日立製で統一されていました。一方、改造車については地元である東急車輛(当時。現在の総合車両製作所)で担当していて、電装品も東洋電機のものを使用していました。
ところが、この9000系は新造車にもかかわらず東急車輛製で、電装品も東洋電機製となりました。
また、基本仕様は8000系をベースとしているものの、その性能も8000系と微妙に異なっています。足回りは前出の通り東洋電機製のものとなっており、当時多くの私鉄で採用されていたヒートパイプ冷却式で1C8MのGTO-VVVFインバータ。電動機は同社の5000系で使用していたものとほぼ同じ180kwのTDK-6140Aとなっています。それでいながら6M4Tの編成を組む相鉄一番のハイパワー編成となり、相鉄線の運転最高速度は100km/hにもかかわらず、設計最高速度は8000系より10km/h高い120km/hとなっていました。色々謎ですねw
外観もそれまでの相鉄車両からすると異例でした。
旧型車を改造した2100系以降、相鉄はアルミ車体となっていましたが、いずれもアルミの地肌を生かした銀色ベースの車体色となっていました。それが、この9000系では完全に塗装されており、ホワイトをベースに当時の相鉄のアルミ車のシンボルカラーとなっていた赤い帯が巻かれ、先頭部側面は相鉄の「S」を象った塗り分けとなっていました。
また、窓サッシもそれまでの相鉄車は車体より露出したアルミのサッシとなっていましたが、9000系は車体に埋まるような形の黒色のサッシとなっています。
屋根上機器についても、8000系までは集中式冷房機だったのが、9000系は関西私鉄でみられるような一体がたキセの分散型冷房機を搭載しています。
ここまででも相鉄としては「異例」の電車だったことがお分かりになるでしょう。
おそらくですが、従来同社の電車と一線を画した、挑戦作だったのだと思います。
さて、相鉄としては異例づくしの9000系ですが、相鉄の電車自体が他社と比べると独特な仕様となっており、それについてはちゃんと受け継がれているのが面白いところです。
一番大きな特徴はその台車で、M車、T車にかかわらずディスクブレーキを使用しており、そのブレーキディスクが外側に露出しているのが特徴です。
また、駆動方式に直角カルダンを採用しているのも他社にはない特徴です。
通常はモーターが車輪に並行に装架されていますが、相鉄ではモーターを車輪と直角(線路方向)に装架し、傘歯歯車を通じて動力を伝える直角カルダンとなっていました。
これはカルダン駆動初期に駆動装置を狭い軌間の台車に装備するため採用されていた方式で、カルダン駆動黎明期には多くみられたものの、メカが複雑になることから狭軌用並行カルダン駆動装置が発明されてからはモノレールなどの特殊な例以外は採用されなくなっていた方式ですが、相鉄では初代5000系以来なぜか頑なに直角カルダンを採用し、9000系でも引き継いでいました。三相交流電動機を使用したVVVFインバータ制御に直角カルダン駆動と言う組み合わせは、普通鉄道では全国でも相鉄のみです。このため、走行音は他社ではみられない非常に独特なもので、吊り掛け駆動もかくやと言うほどの低音で大きな唸りを出すのが特徴です。(抵抗制御の7000系までの直流電動機時代はむしろ静かであったはずなのですが、交流電動機になってなぜこんな大音量で唸るようになったのかは謎ですw)
他に相鉄独自の設備といえばやはりパワーウインドウでしょう。
初代5000系の車体改造車である5100系から客窓にボタン式のパワーウインドウを採用し、ボタン操作で窓の開閉ができるのが特徴です。乗用車では標準でみられる装備ですが、電車での採用例はこの相鉄以外ではごく僅かな例しか見られません。しかし、9000系は例に漏れずこのパワーウインドウを採用していました。
他にユニークなものといえば、車内に姿見用の小さな鏡がついていることで、9000系にもしっかり取り付けられています。この鏡は昭和30年代登場の初代5000系に「横浜に買い物に出るのに身だしなみを整えられるように」と取り付けられた粋なもので、JR標準仕様となった10000系が登場するまで取り付けられていたものでした。なおこの鏡は、相鉄では久々の独自設計となった新型の20000系で復活し、JR車がベースとなった12000系でも取り付けられ、相鉄車両のアイデンティティーの一つとなっています。
また、5号車と8号車にあるボックスシートも特筆すべき点でしょうか。新7000系の7755x10(通常、本ブログでもJRのような編成番号がない場合、特定の編成を表す際には[先頭車車番]Fと表していますが、本稿では相鉄の公式の表記に合わせ、編成番号を[横浜寄り先頭車の車番]x[編成両数]で表します。)から突如として登場したボックスシートですが、8000系で正式採用され、9000系でも導入されました。これは歴史は浅いものの相鉄車独自の特徴と言って良いでしょう。7755x10が登場した当時、東急9000系や営団9000系(現メトロ9000系)、都営6300形などで車端部にボックスシートを配置するケースが出ていましたが、ドア間にボックスシートを配置し、複数形式に渡って配置したのは相鉄のみでした。
さて、9000系は他にない特徴も一つ持っています。補助電源は通常、最近の電車ではサイリスタインバータを使用していますが、9000系はコストダウンのため当時置き換えで廃車になっていた旧6000系の電動発電機を再利用しています。このため、9000系が駅に停まっていると、今時のインバータ電車でありながらおよそ似つかわしくない、「キーン」と言う高音で懐かしさすら感じられるの電動発電機の音が聞こえてきます。
ところで、9000系はわずか7本ながら8年間に渡って製造されており、製造時期毎に細かなバリエーションが存在します。9701x10と9702x10は側面の表示器が当時の8000系と同じく幕式で、行先と種別が分かれたものとなっていました。それが、9703x10から三色LEDに変更されて種別・行先は一体型となっています。
パンタグラフは9705x10までは登場時は一般的な菱形のパンタグラフを使用しており、9706x10編成以降及び9705x10までのリニューアル後は今の電車では標準的なシングルアームパンタになっています。このため、パンタ周りの配置も微妙に異なっていて、菱形パンタを積んでいた9705x10編成までと製造時からシングルアームパンタを積んだ9706x10編成以降では避雷器の位置や取り付けピッチが異なっているようです。なお、相鉄は7000系まで旧型国電由来でラーメン構造のPS13形パンタグラフを使用していることでも有名でしたが、この9000系の9702x10編成にも一時期、一部車両におおよそインバータ電車に似合わないPS13が載っていた事がありました。これも相鉄らしい面白いエピソードですねw
室内の表示装置は9703x10とそれ以降で異なっていて、9703x10までは車内妻面に大型のLED表示装置が、9704x10以降は他社でよく見られたドア上の鴨居部分にLED表示装置が取り付けられました。
さて、謎に高性能の9000系ですが、登場以降は他形式と変わる事なく、各停から特急まで全般的に使用されていました。
一つ目の大きな転換点となったのは塗装変更でしょうか。それまで相鉄は形式毎に異なる塗装・デザインを使用していましたが、2007年から全形式で同一の塗装とすることになり、薄いグレーをベースとして窓上部に水色の帯、扉裾部分にオレンジの帯に変更されました。この変更は当初全車を対象としていましたが、神奈川東部方面線計画が具体化したことと相鉄100周年を絡めて「相鉄デザインブランドアッププロジェクト」が立ち上がり、塗装をYNB色にすることになったため、統一色化は結果的に全車に及ばず、9705x10はこの統一デザイン塗装になることはありませんでした。
二つ目の大きな変化は走行機器の更新になります。JR直通運転が見え始めた2013年。保安装置(ATSや無線)をJRに合わせたATS-P型とデジタル無線に変更することになり、従来の東洋電機製のインバータ装置は誘導障害対応は必要になる事がわかりました。加えて、当時相鉄は8000系までの日立製、10000系以降の三菱製と3社のインバータが存在して保守が煩雑になりつつあったことから、8000系と9000系の機器更新を行って部品の共通化を図ることになりました。そこで、誘導障害対応が必要な9000系は全車を対象にVVVFインバータが変更され、2014年までに日立製のIGBT素子を使用したインバータに変更されました。これに伴って走行音も変化が出て、日立のIGBT2レベルインバータの変調音+直角カルダンと言うこれまた新しい組み合わせの走行音の誕生になりましたw
余談ですが、8000系のインバータ装置はそれほど急を要していないことからか機器更新はゆっくりとしたペースで進んでおり、現在でも未更新の車両が存在しています。
三つ目の大きな転機が「相鉄デザインブランドアッププロジェクト」を具現化すべく行われたリニューアル工事です。
改めてこのプロジェクトについて軽く述べますと、相鉄100周年とJR線及び東急線への乗り入れ計画が具体化したことに絡んで立ち上がったもので、相鉄の全ての電車を「走る広告塔」と見立てて横浜の海をイメージした「Yokohama Navy Blue」と呼ばれる光沢のある紺色に仕立てた上、車内のスキームも統一するプロジェクトです。
この計画に沿って、車体塗装をYNB色に変更するだけでなく内装についても大幅に手を入れることになりました。
室内の改装項目は多岐に渡りますが、大きな所は
・室内色をライトグレーを基調としたカラーに統一。優先席のモケットカラーを変更。
・客用ドア上にLCDディスプレイ案内装置を設置。
・つり革を独自開発の卵形のものに変更。
・照明のLED、間接照明化。時間によって色温度を変化し、昼間は昼光色、夜間は温かみのある電球色に切り替える機構を搭載。
となっています。9000系以前の伝統になっていた車内の鏡については形状を変更の上維持されました。
いずれも相鉄車両の新しいブランドイメージのテストケースと言うこともあってかなり気合の入った改造内容となっておりなり、これらは意匠共々その後新造される直通対応の20000系や12000系に受け継がれました。
なお、5号車と8号車に存在しているボックスシートについても形状が変更されたうえ、本革使用の豪華なものになっています。
外装の方はYNBカラーになっただけでなく、車番ロゴの変更が行われたうえ、前面形状も変更されて、従来運転台下にあったヘッドライトが上部(元々急行灯のあった場所)に移設されています。また、表示器類は幕式あるいは3色LEDだったものが、フルカラーLEDに交換され、前面の表示器は種別・行先・運行番号の表示が一体化されました。
このリニューアル工事は9702〜9707x10を対象として全車完了していますが、9701x10だけはリニューアル対象から外れて塗装はいわゆる「統一色」のままで、表示器類も幕式のまま残っていました。理由は不明ですがこの編成だけは20000系による置き換えの対象となっており、機器未更新の8000系が残っているにもかかわらず甲種輸送された20106x10と入れ替わる形で先月末(2020/11/30)に運用離脱し、12/2には早くも廃車となってしまいました。
いやぁ、だいぶ熱く語ってしまいましたが、模型の方を見てみましょう。
模型の方はマイクロエース製品です。
同社の製品らしく発色や印刷は非常に綺麗です。プロポーション・ディテールともなかなかよくできており、「相鉄9000系らしさ」がよく再現されています。
ちょっと残念なのは先頭車の屋根のループアンテナ撤去跡は省略されている所。比較的同社はこう言った部分はしっかり作る事が多いので意外な気もします。
転落防止幌が付いているのはマイクロ製品らしい所。これについては他社では省略されているのでマイクロ製品のアドバンテージといえそうですねw
特徴あるブレーキディスクが露出した台車もしっかり表現されています。KATOの東急7000系のようなブレーキディスク回るギミックはないですが、十分だと思います。
実車の台車もブレーキディスクの銀色が結構目立つので銀色に色差ししてみました。なかなか効果がありますね。
パンタグラフは意外と繊細な表現で、下のアームの外側の支柱が金属製となっていて可動式になっています。ひょっとするとKATOやTomixよりもいいかもしれません。パンタ周りの配管の表現はさすがマイクロエース。ヒューズの立ち上がりケーブルまでしっかり表現してきています。
モハ9100形に搭載される日立のIGBTインバータユニットです。しっかり表現してきています。なかなかやりますねw
ちなみにマイクロエースからは旧塗装車も製品化していますが、そちらはちゃんとオリジナルの東洋GTOインバータが再現されているようです。某社製品だと省略されてしまいそうな作り分けですが、こう言うところは細かいですねw
モハ9200形の床下にはちゃんと旧6000系由来のMGが再現されてます。実車同様のアンバランスさがいいですねw
動力車の床下機器は浅いレリーフ表現です。この辺りは大手2社に比べるとビハインドですねw
とは言え、動力自体の性能は昔のマイクロエース製品では考えられないくらい良くなっており、スムーズに走ってくれます。昔は安定走行するまで何周か全開走行して慣らす必要があったり、潤滑用の油が固化したり、通電用の銅板が錆びて動かなくなったり、ダイキャストが崩壊したりしたのを考えると感無量ですw
模型店の人に聞いても「故障の話を聞かなくなった」との事なので、頑張って改良したのでしょうね。
9号車には弱冷房車ステッカーも印刷されています。さすがですねw
なお、このステッカーはYNB車としては2016年頃までのデザインで、今は12000系に準じたシンプルなものに変更されています。(非YNB車は今でもこのタイプです)
これについては世田谷車両さんのインレタを仕入れたので、
このように現行のものに変えてみました。
10号車(海老名寄り先頭車)は女性専用車になっています。
相鉄の電車は執拗なまでに女性専用車であることをアピールするかのように、ドアにまで女性専用車ステッカーが貼ってあるのですが・・・・
このように頑張ってみました。
付属のステッカを透明プラ板に貼り、実車同様の裏貼りにしています。
グリーンガラスになっているわけではないので、正直無駄な努力という気がしなくもないですがww
最後に相鉄並び。大先輩にあたる新6000系との夢のツーショットです。相鉄車両のデザインの進化が伺えますねw
9000系自体は新6000系が引退する前に登場しているので、9000系原色車との並びは実際にあったはずですが、流石にYNBカラーとなると模型ならではの組み合わせになります。余談ながら、新6000系を買ったのは随分昔なのでドアステッカーなどの整備はしていませんが(買った当時はその手のパーツも売られておらず、自分自身もディテールアップする技術が無かったため)、折を見てこの辺りも整備しましょうかね。
我が家に落下傘の様に発生した相鉄シリーズですが、元々相鉄の電車は好きですので、そのうち現在の主力で今の相鉄では「一番相鉄らしい」8000系や、埼京線から乗り入れてくるE233-7000も含めて充実させていったら面白いかなと思ってます。
今回はこれにて終了です。
次回は北斗星シリーズに戻りますw
第三の山男
毎度ご覧いただきありがとうございます。
北斗星シリーズは一休みし、新規入線車の紹介ですw
10月末にKATOから久々に「山男」ことEF64形が発売されました。
正確にはEF64形自体はここ数年何度か発売しているのですがいずれも1000番台で、基本番台車(いわゆる0番台)車は「ずっとTomixのターン」だったのです。
しかも、前回発売時のKATOのEF64-0はオーバースケールないわゆる「旧仕様」だった上、全体的にプロポーションが縦に間延びしていてスケール通りに作られたTomix製品に比べると今一つな感じが否めませんでした。
ところが、今回発売のEF64-0はフルリニューアル品で、ファインスケール品となってプロポーション・ディテール共に大幅に改良されての登場となりました。
Tomixの国鉄仕様のEF64-0自体が発売から期間が経っている事に加え、Tomixでモデル化されなかった最初期の一次型ということもあってか発売と同時に市場在庫があれよあれよという間に減っていきました。
ところで、うちの鉄道模型ラインナップのメインは元々このブログのタイトルとなっている「夜汽車」であり、その中心でもあった夜行急行列車でした。
そのうち、中央本線を走る「きそ」はEF64-0が担当していたわけですが、実を言うと客車だけは両方とも揃っていたのです。ところが機関車についてはまだ未入線でした。
と言うのも、Tomixから発売されていたEF64-0は、同列車を担当していた篠ノ井機関区のナンバーがなく、導入を見送っているうちに市場在庫もなくなると言う事態になっていました。
ところが、今回KATOから発売された製品は、同時発売の客車セットが急行「きそ」であることもあって、うちの「きそ」を牽かせるのにドンピシャの仕様だったこともあって購入リスト入りしていました。
予算の都合でもう少し後で買おうと思っていたのですが、上でも書いた通り急速に市場在庫がなくなっていたので緊急確保となりましたw
さて、前置きが長くなりましたがKATOのEF64形0番台です。
タイトルに「第三の」と書いた通り、我が家では3機目のEF64形ですが、これまではいずれも1000番台だったので0番台は初登場となります。
貫通扉付きで窓上とヘッドライトに庇のついた厳ついスタイル。側面の大きなルーバーといい、勾配区間に挑む機関車らしい力強い雰囲気です。
改めてEF64形について概要を書いてみます。
EF64形は1968年にEF16形の後継として板谷峠を含む奥羽本線の福島〜米沢間用として登場した勾配区間向けの直流電気機関車です。
当時の新世代機関車としては標準となりつつあったバーニア抵抗制御にツリカケ駆動方式と言う堅実な構成で、勾配区間向けに抑速ブレーキを装備しているため大型のブレーキ抵抗器を搭載しているのが特徴です。一方で平坦区間での高速性能も考慮してギア比が3.83と従来(4.44)より高速寄りとなっているのも特徴で、このギア比はEF65形以降の機関車にも採用されました。設計最高速度は100km/hとなっています。
重連運転を考慮して前面には貫通扉を装備し、寒冷となる山岳区間で使用することを前提とすることから、窓上とヘッドライトにはツララ切りが装備されています。
前述の通り、今回発売のプロトタイプは最初期に製造された1次型。このグループは福島の難所である板谷峠用として製造され、そのため前面窓横に氷柱対策のプロテクター取り付け跡が残っているのが特徴です。
軽く足取りについて書いていくと、当初は福島に配属されて奥羽本線の福島〜米沢間で活躍しましたが、すぐに同区間が交流電化に切り替わったため、同じく勾配区間を擁する中央西及び篠ノ井線に転身し、同線の客車列車や貨物列車の先頭に立って活躍しました。
後年、やはり勾配区間の多い伯備線電化に伴って、一部が岡山に移って伯備線で活躍している他、同じ中央線でも中央東線にも足を伸ばす様になって首都圏でもその姿を見ることができる様になりました。
一方、関東でもう一つの山岳路線で有名な上越線方面は、福米間の先輩格であるEF16形が峠区間で活躍したほか、主に1000番台の舞台となっており、意外にも1000番台投入にむけたテスト導入を除くと0番台自体の活躍は僅かでした。奇しくも分割民営化時に一次車の3号機と8号機がJR貨物の高崎機関区に配属となっていて、数少ない上越線を含む首都圏貨物の0番台として活躍したようです。
余談ですが、同じEF64でもEF15形やEF58形を置き換えるために登場した1000番台は基本仕様こそ同じですが中身は別物で、元々別形式として設計されたものが労組の反発を反らすために同じEF64形にしたという経緯があったりします。このため登場後暫くは0番台が中央線系、1000番台が上越線系と使用路線も異なっていましたが、国鉄末期や分割民営化後は仲良く同じ路線で活躍する姿も見られるようになりました。
さて、EF64形0番台の最大の檜舞台はやはり中央本線の貨物列車でしょう。
特に重連で重いタンク貨車を引っ張って勾配を駆け上る勇姿は最大の見せ場だったと言えそうです。
一方で、旅客列車については比較的地味な役割で、普通列車や荷物列車が中心でした。その中でも「華」と言えるのは中央西線の夜行急行「きそ」「ちくま」でしょうか。「きそ」はグリーン車こそないものの、郵便荷物車にAB寝台と客車の揃い踏みの編成は夜行急行らしさ満載の貫禄でした。また「ちくま」は12系+20系や12系+14系となかなか興味深い編成を組んでおり、ブルートレインを思わせるなかなか見た目華やかな編成だったと言えるでしょうか。
また、分割民営化後にはJR東日本でブルートレインの「あけぼの」や「北陸」も牽引しています。
模型の方ですが、流石に今時のKATO製品らしく、プロポーション・ディテール共に文句ない出来です。
市場在庫があっという間に消えたのも納得ですw
パーツは今時のKATO製品らしく少なめで、ナンバープレートとナックルカプラーくらいのものです。このところ手摺りやホイッスルが別パーツとなっているTomix機の入線が続いていたので、非常にシンプルな感じがします。
国鉄時代の仕様であるため列車無線アンテナはありません。
入線整備はカプラーの交換とナンバー・区名差しの貼り付けのみ。あっという間に終わりましたw
「きそ」や中央・篠ノ井線ローカル列車運用をメインとするため、番号は1974年当時篠ノ井にいた8番にしました。
サイドビューはこんな感じです。
最後に我が家のEF64並び。迫力ありますねw
こうやって比べてみると、ゴツさマシマシの1000番台に比べると0番台はスマートな感じもします。
今回はこれで終わりですw
次回はまたもや「新規入線となった青い車両」を紹介しようと思います。
寝台特急「北斗星」の深き沼 その18
毎度ご覧いただきありがとうございます。
Nゲージでの「北斗星」の遊び方、いよいよ深い沼に入っていきますw
2.中級編
前回、主にKATOとTomixから北斗星客車が発売されていると書きましたが、KATO製はDXセットだけでラインナップが完結しており、編成バリエーションをつける選択肢がないため初級者向けだったのに対し、「Tomix製の北斗星を選んだ瞬間、それは中級者」と言えるほど、Tomixの北斗星客車のラインナップは非常に充実しています。また、Tomix製の「北斗星」はナンバーがインレタ による転写式になっていたり、アンテナ類がユーザ取り付けだったりと加工が必要になるので、より中級向けと言えるでしょう。
さて、KATO製品では2008〜2010年の混成編成を組むことができるだけでしたが、Tomix製品では複数の編成が発売されており、とりあえずセットを買うだけでも様々な編成を組むことが可能です。
ますは、各セット通りの編成を紹介しましょう。
・98676/98677 JR24系25形特急寝台客車(北斗星1・2号)セット
これはTomixが昨年発売した編成で、1990〜1991年 北斗星1・2号の編成になります。やや時代が古い上に短期間の編成だったゆえか、いまだに市場での新品在庫が見られる編成です。
形式 | 車種 | 所属 | Tomix品番 | 備考 | |
1 | オハネフ25 200 | B寝台 | JR北海道 | 98676 | テールライト付 |
2 | オハネ25 | B寝台 | 98677 | 0番台または100番台 | |
3 | オハネ25 | B寝台 | 98677 | 0番台または100番台 | |
4 | オハネ25 | B寝台 | 98677 | 0番台または100番台 | |
5 | オハネフ25 200 | B寝台 | 98677 | テールライトなし | |
6 | スハネ25 500 | ソロ・ロビー | 98676 | 501または502 | |
7 | スシ24 500 | 食堂車 | 98676 | 501または502 | |
8 | オロネ25 551 | ニューツインDX | 98677 | 特定ナンバー車 | |
9 | オロハネ25 550 | ロイヤル・ソロ | 98677 | 556〜 | |
10 | オロハネ24 554 | ロイヤル・デュエット | 98676 | 特定ナンバー車 | |
11 | オハネフ25 0 | B寝台 | 98676 | テールライトなし | |
電 | カニ24 500 | 電源車 | 98676 | 502または503 |
形式 | 区間 | 備考 |
---|---|---|
EF81 | 上野-青森 | |
ED79 | 青森-函館 | |
DD51x2 | 函館-札幌 | 重連 |
形式 | 車種 | 所属 | Tomix品番 | 備考 | |
1 | オハネフ25 0 | B寝台 | JR東日本 | 98704 | テールライト付 |
2 | オハネ25 | B寝台 | 9530/9532 | 0番台または100番台 | |
3 | オハネ25 | B寝台 | 9530/9532 | 0番台または100番台 | |
4 | オハネ25 | B寝台 | 9530/9532 | 0番台または100番台 | |
5 | オハネフ25 | B寝台 | 9529/9531 | 0番台または200番台 | |
6 | オハ25 504 | ロビーカー | 98704 | 特定ナンバー車 | |
7 | スシ24 504 | 食堂車 | 98704 | 特定ナンバー車 | |
8 | オロネ24 501 | ツインDX | 98704 | 特定ナンバー車 | |
9 | オロハネ24 501 | ロイヤル・ソロ | 98704 | 特定ナンバー車 | |
10 | オロハネ24 550 | ロイヤル・デュエット | 98704 | ||
11 | オハネフ25 | B寝台 | 9529/9531 | 0番台または200番台 | |
電 | カニ24 510 | 電源車 | 98704 | 特定ナンバー車 |