> フランスを代表する映画監督、ジャン=リュック・ゴダール監督が、9月13日(現地時間)死去したと仏リベラシオンが伝えた。91歳だった。
1930年仏パリ生まれで、フランス、スイスの国籍を持つ。ソルボンヌ大学時代、カルチェ・ラタンのシネマクラブに通いはじめ、フランソワ・トリュフォーやエリック・ロメールらと知り合う。1952年から「カイエ・デュ・シネマ」誌に映画評を書くようになり、59年に「勝手にしやがれ」で長編映画監督デビュー。同作がベルリン国際映画祭銀熊賞(最優秀監督賞)を受賞し、ヌーベルバーグを代表する映画作家として世界的に有名になった。
「アルファヴィル」(61)でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞した後も、「気狂いピエロ」(65)など次々と話題作を送り出していたが、67年に商業映画との決別宣言文を発表。一時テレビや実験的映画の世界に活躍の場を移し、79年の「勝手に逃げろ 人生」から再び商業映画の製作に復帰した。「カルメンという名の女」(83)でベネチア国際映画祭のグランプリを受賞。その他の主な監督作に「ゴダールのマリア」(84)、「右側に気をつけろ」(87)、「ゴダールの決別」(94) などがある。
私生活では1961年から1967年までアンナ・カリーナ(2019年に死去)と、その後1967年から1970年までアンヌ・ビアゼムスキー(2017年死去)と結婚。最後のパートナーは、スイスの映画監督・プロデューサーのアンヌ=マリー・ミエビル。
ゴダール監督はここ数年は健康上の理由で、公の場に姿を見せることは少なくなっており、「イメージの本」がコンペティション部門に選出され、スペシャル・パルムドールを授与された2018年の第71回カンヌ国際映画祭では、FaceTimeを使って会見に参加。
昨年、2021年3月に行われたインドのケララ国際映画祭ではオンラインインタビューに応じ、テレビ局Arteとの共同制作作品、もう1つは「Funny Wars」という2本を開発中で、「私は映画人生、つまり映画人としての人生を2本の脚本で終えようとしている」と述べ、「その後、『さよなら、映画』と言うでしょう」と語り、引退を示唆していた。
ゴダール監督、長い人生、大変お疲れさまでした
あなたから、さまざまな新しい価値観、さらに、豊かなる詩情、煌めく映像、そして、たくさんの感動をいただきました
本当にありがとうございました
つい先日、ゴダール監督の映画たちの中で、もっとも好きな映画について考えたところでありました
追悼の思いも込めて、再収録させていただきます
〜〜〜〜〜〜〜
1962年公開のフランス映画ね
邦題は上の通り…ですが、原題について、Wikiにこうある
> 仏語 Vivre sa vie: Film en douze tableaux、「自分の人生を生きる、12のタブローに描かれた映画」の意)
フランスっぽい、なんとも味のあるタイトルが原題なんだなぁ
ふうむ
以下は映画.comの解説
> 「勝手にしやがれ」のジャン=リュック・ゴダールの長編第4作で、前作「女は女である」に続き、公私にわたるパートナーのアンナ・カリーナ主演で撮りあげた作品。パリのとあるカフェで、夫と人生を語り合った末に別れることになったナナ。家賃も払えないほどの生活に陥ってしまった彼女は、街で男を誘い売春するように。やがてナナは、見知らぬ男と関係を持つことに無感覚になっていく。「シェルブールの雨傘」などの名作曲家ミシェル・ルグランが音楽を手がけた。2019年2月、「ミシェル・ルグランとヌーヴェルヴァーグの監督たち」で4Kデジタルリマスター版が上映。
フランス映画、ヌーヴェルヴァーグの巨匠、ゴダール監督の映画はハッキリ言って難解極まりない
けど、実は、初期作品はぜんぜんそんなことない
で、僕が1番好きなゴダール監督作品は、この「女と男のいる舗道」であります
若い女が生活のために「娼婦」になり、街頭に立つ
そんな生活に身を落としながらも、しかし、彼女は「哲学」することを見出す
「意味」や「意義」や「理由」について、「哲学」する
…が、しかし
その先はネタバレしちゃうから書かない
昔のフランス映画ってオシャレでかわいい…って入り方もいい、と思う
けど、この映画で語られるテーマとは、ズバリ…
「ニヒリズム」…だと僕は受け止めている
Wikiによる、その定義…
> ニヒリズムあるいは虚無主義(きょむしゅぎ、英: Nihilism、独: Nihilismus)とは、今生きている世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場である。名称はラテン語: nihil(無)に由来する。
ゴダールの最高傑作とも呼ばれる「気狂いピエロ」もそうだけど、映画のラストに残るその感触は、ハッキリ言って、それだと僕は思っている
虚無…が忽然と現れる
全てが水泡に帰す感覚が湧き
無益、無意味…に呆然とする
圧倒的なる虚脱に襲われる
非常に不健康、不謹慎なる感触が残るわけであります
言葉が出ない
この結末しかなかったのか…⁇
果たして、彼女の人生に「意味」や「意義」はあったと言えるのか⁇
虚無の緊縛に、苛まれる
困惑と苦痛に、苛まれる
…が、しかし、何かが引っかかる
なにか…
なにか、「屈服」しきれない感覚が心の奥底に芽生えるのを感じる
アンナ・カリーナの流した涙…
彼女の心が震えた瞬間…
彼女が「哲学」を見出した意味…
例え、この世界に圧倒的なる「真理」や「意義」など存在しなくても、それが果てしなく刹那であろうとも、なにがしかの「実感」を見出せたならば、その人生は肯定できるのではないか…⁇
この映画は、そこを描いた映画なのだ、と僕は受け止めたのだ
その人生の結末が、いかに悲惨にして納得ゆかないものだとしても、しかし、例えほんの刹那だとしても、ある種の発見や哲学を「実感」できたと思える一瞬があったのならば…
ならば
ならば、受け入れようぞ、と
ニーチェのいう「永劫回帰」を肯定するための理由よ
んんん
一応、goo辞典から「永劫回帰」意味貼る
> 宇宙は永遠に循環運動を繰り返すものであるから、人間は今の一瞬一瞬を大切に生きるべきであるとする思想。生の絶対的肯定を説くニーチェ哲学の根本思想。▽ドイツ語ewigewiederkunftの訳語。
つまり、「虚無」を「肯定」する生き方…を示す映画である、と
いやいや
偉そうにすいませんっ
でも、若い頃、「生きる意欲」を失いそうになったこと、あるでしょ⁈
なんにもやる気おきません
なにもかもがクソとしか思えません
こんな世界なんか破滅しようが構いやしない
生きようが死のうが、もうどうでもいいです
すべて、灰になってしまえ、と
まさに、ニヒリズムにのみ込まれそうになったことありませんか⁇
必要なのだ
これに「抗う力」が人間には必要なのだ
で、僕はこの「女と男のいる舗道」を観て、一旦、そのニヒリズムに陥り、激しく悶えた後に、獲得したのだ
ならば、受け入れようぞ
の、境地、その心構えをっ
つまり
平たく言えば…
仮に…
不幸にも戦争が起こり、敵に捕まり、理不尽にも銃殺されようとも、その人生が無慈悲にして無残なる最後を迎えようとも、あの時、あの場面で「君への愛おしさを噛み締め」、さらに、「わたしはこんなにも愛されている」と感じ、それを幸福だと実感できた瞬間があるならば、未来永劫、同じ人生をループし続けて、毎度毎度、延々と同じ不遇を繰り返さなくてはならないとしても…
我、受け入れようぞ…と肯定できる、と
ちょっと、今、実際に戦争起こっていて、こんな仮定は不謹慎かもしれないけど、まだ20歳そこそこの僕は、この映画を深夜放送で観てから、そんなことをしばらくずーっと考えていたのだ
大袈裟に聞こえるかも知れないけど、いま、こうしてこの映画について回顧すると、とんでもなく「大切なもの」を教えていただいたんだなぁ、と鳥肌が立ってくる
まさに、人生の指針…がここにあった
僕…という人間の価値観の「核心」こそは、この人生観なのである
むむむ
まさかの開眼っ!
我は「超人」なりっ‼︎
いや、すいません、ちょっと図に乗りましたぁ
(^_^;)
しかしながら、そういう意味では、この映画もやはり、死ぬまでに観るべき一本とさせていただかないわけにはいかないのう
あ
あとね
この映画、本当に全然堅苦しくないから
アンナ・カリーナ、超かわいいっ‼︎
疼く〜って映画でもある
そういう見方もあるかと
絶対的必見映画である、と胸を張って叫びたい
「哲学」する…ということを示してくれる、尊く貴重なる傑作映画
大切な映画、マイ・ベスト5には入るな