> スーパーフェザー級で世界を制し、ライト級での2階級制覇を目指していた伊藤雅雪(本名:伊藤雅之、31歳=横浜光)が28日、自身のSNSを通じて現役引退することを発表した。伊藤の通算戦績は32戦27勝(15KO)4敗1分。
あふれんばかりの想いを綴り、Instagram(@masayukiito0119)を更新したのは今日の昼すぎのこと。伊藤にとってこの「7月28日」は人生において大切な日。4年前のこの日、アメリカ・フロリダ州キシミーのリングで、WBO世界スーパーフェザー級王座決定戦に臨み、勝利したその日なのだから。さらに「本日は大安と、新たな出発にはとても縁起の良い日だと思い本日発表させて頂きました」(原文ママ)と、続く人生への決意を表明している。
今年4月、“2度目のライト級頂上決戦”に挑み、OPBF(東洋太平洋)&WBOアジアパシフィック王者・吉野修一郎(三迫)に11回負傷判定負けを喫し、その去就が注目されていたもの。 2019年5月、ふたたびキシミーのリングに臨んだものの、ジャメル・へリング(アメリカ)に0-3判定で敗れてWBO王座2度目の防衛に失敗。以来、「ライト級で世界王座を目指す」と掲げ、2階級制覇に向けてスタート。“ライバル対決”に敢然と臨んだものの、2020年末には、同じくライト級転向を目論む三代大訓(みしろ・ひろのり、ワタナベ=元OPBFスーパーフェザー級チャンピオン)に0-2判定負けと、わずかに及ばなかった。
高校まで長年バスケットボールに取り組み、ボクシングの名門・駒澤大学に進学したものの、ボクシング部には所属せずにプロデビュー(2009年5月26日)。アマチュアキャリアのない、いわゆる“叩き上げ”だったが、バスケで培ったステップワークを存分に生かし、生来持ち合わせる運動能力の高さが冴えた。特に「目で見切る」ディフェンスワークは秀逸で、これをベースにしたカウンター攻撃を武器に、2012年全日本フェザー級新人王に。さらに、WBCユース・ライト級(2013年9月獲得)、OPBFスーパーフェザー級(2015年8月獲得=防衛3)、WBOアジアパシフィック王座(2016年12月獲得=防衛1)と、着実に階段を昇っていった。
試合が決まる毎にアメリカ・ロサンゼルスへと飛び、ルディ・エルナンデス、岡辺大介・両トレーナーの下で鍛えた“仕上げ方”は実にユニーク。今でこそ、海外へ渡って長期合宿を敢行する手法は“スタンダード”となりつつあるが、トップボクサーの中では伊藤が先陣を切ったといってもよい。彼の場合は、国内での練習環境に恵まれず、というやむにやまれぬ事情があったのだが、自らスポンサーを獲得し、そうして資金をやりくりしてという涙ぐましい陰の努力もあった。妻、子どもを養いながらの生活は、彼の家族にしかわからない苦労もあったはずだ。
ボクシングスタイル的には、“さらに上”を目指すために、ファイター傾向を強めた部分が注目に値する。内藤律樹(E&Jカシアス)の持つ日本スーパーフェザー級王座に挑んだ試合(2015年2月)が、良くも悪くも“それまでのスタイル”を如実に表していた。互いの技巧がせめぎ合う大接戦となったが、わずかな差(0-2)で初黒星。ジャッジをはじめ、見ているものに強い印象を与えることが必要で、長年、彼に纏わりついていた課題。それを克服し、見事に結実させたのが、クリストファー・ディアス(プエルトリコ)を痛烈な右で倒し、攻めて攻めて攻め続けて世界王座を獲得した試合だった。
人懐っこい性格で、ファンだけでなく、記者たちの受けも非常に良かった。端正な顔立ちだが、気取ったところは何ひとつなく、いつもにこにこと誰でも受け入れて、明るいトーンで豪快な言葉を連発する。長年の営業活動で培ったものもあるのだろうが、東京生まれ、東京育ちという“江戸っ子”気質が大きいのだと思う。取材後は、彼のさわやかさをしっかりと受け取って、記者たちもいつも気持ちよく帰路につかせてもらえた。
SNSで明かしているように、今後もボクシング界に携わってくれるのならば、大きな戦力になる。頭の回転が速く、語彙力もあふれ、行動力も充分すぎる。現役引退は寂しいが、それ以上に期待も大きく膨らんでいる。
…ん〜
さみしい
けど
わかるよね
三代戦の判定負けからの再起を果たした細川戦はメチャクチャ出来が良かったよね
が、しかし、ゴロフキン×村田諒太のセミファイナル、アジアタイトル三冠の吉野戦は完敗だったなぁ〜
その鬼気迫る戦いぶりは過去最高だったと思う
けど、空転してしまった
抜群の運動神経と天性の勘は素人目にもずば抜けていたよなぁ
ホント、その躍動感、最高だったよな
たくさんのボクシングファンが、伊藤雅雪選手のその意気のよさに夢と希望を重ねたはず
アメリカの地での王座戴冠、大興奮したなぁ
まさに、「夢」を掴んだ瞬間を分かち合わせてもらって嬉しかったです