村田諒太が10・22両国でエンダムと再戦! THE PAGE
>ボクシングのロンドン五輪金メダリストでWBA世界ミドル級1位の村田諒太(31、帝拳)が10月22日、両国国技館でWBA世界ミドル級王者のアッサン・エンダム(33、フランス)と再戦することが3日、都内ホテルで発表された。この日の会見には、強行日程でエンダムまで来日した。世界戦の発表では異例中の異例だ。
村田は、5月20日にエンダムと同級王座決定戦で対戦、4回にダウンを奪うなど、ほとんどグロッキー寸前にまで追い詰めて圧倒したが、不可解な1-2の判定で王座奪取に失敗した。その後、WBAは、この採点をつけた2人のジャッジに6か月のサスペンテッドの処分を下して、両者にダイレクトリマッチを指令していた。
会見に臨んだ村田は、「綺麗ごとでなく、彼に感謝している。デビュー戦は冒険マッチだったが、それ以外は、実力を出せば勝てる相手との試合だった。それを初めて強い相手と試合をした。その試合が、今の僕を作ってくれた。この位置まで彼が僕を引き上げてくれた。その意味では、次の試合はもっといい試合、もっと強い試合、彼を超えて、その先を見せたい。
再戦は、やりやすいものじゃない。相手も手の内を知っている。ましてや、友人のように話すようになったので気持ちのもって行き方も難しいが、リング上でベストを尽くすだけ。リングに上がると殴り合います。いろんな意味で、評価をもらった試合だが、唯一手元にないのがベルト。それを持って帰ります」と、落ち着いた口調でコメントした。
一方、チャンピオンのエンダムも村田へのリスペクトを忘れず過激な発言はなかった。
「前回の試合は接戦になり、議論をよぶ結果になったが、2人の強いボクサーが戦うと、そういうことがおきてもおかしくない。接戦であったということは、見た人もわかっている、WBAのコメントも気にしていない。この再戦をなぜ受けたか、というと相手が村田であり、自分のためでもある。おそらく彼は倒しにくるだろうし、僕も倒しにいく。それだけの準備をする。前回と同じ展開にはならない。私が、村田よりも勝っているのは、ファイトスタイル。前回の試合で見つけたミスを正す。決して油断はしない」
KO決着が期待されるが、帝拳の浜田代表も、「ファンが望むのは完全決着。ノックアウトを狙いにいく練習をつけくわえたい」と明言した。しかし、村田は、「チャンスがきたらつめる。無理にいけばカウンターをもらうリスクもある。だが、気にせずつめられるスタミナをつけることが重要になる」とあえてKO宣言をしなかった。それでも「完全決着がができるかどうか。それができれば、ひとつ上のステージに行き、大きな試合が待っている。リスクを負って戦う」と続けた。
村田の勇気が試される注目の再戦となる。
…ついに、決定しましたか
個人的には、やはり、これが一番いい…と考えておりました
WBAという老舗団体の微妙なる運営と崩壊しつつある権威への嫌悪感は確かにありますが、しかし、村田選手がさらに「その先」を目指す以上、これ以上わかりやすくて、おあつらえ向きな相手は存在しない…と思う
ゴロフキンとカネロによるミドル級最高峰決定戦も気になりますが、この際、それは二の次だ
「あの時の自分」を越える…という『目標』こそ、村田選手にとってのチャレンジの意義としては最高なのではないか?
前戦は確かに接った内容になってしまった
僕の個人的な採点では村田選手の判定勝ちに見えたが、しかし、一方で、村田選手の判定負けを唱えた方が一部存在していたことも事実であります
勝利への鍵は明確だ
それは「手数」であり、前回以上の「積極性」であります
さて、話は変わりますが、読書好きで知られる村田選手でありますが、常日頃から自己を見つめるための哲学書、心理学書を読みふけっているということですが、そんな精神世界への探求こそが村田選手のボクシングの背骨にあるのだなぁ…と感じた前回の敗戦でもありました
あの痛恨なる判定結果に納得がいかなければ不満が顔に出ないはずがない…
が、村田選手はがっかりした顔こそしたものの、しかし、次の瞬間には笑顔を作り、その痛恨にして非情なる判定結果を受け入れて関係者への感謝と自身への不甲斐なさを「清々しく」悔いただけであった…
不満、反抗の類は、そのおおらかなる人間力の中に封印してしまったわけでありますが、これはなかなかできることではありません
全てを受け入れ、そして、「考える」ことと「向き合う」
さて、いかがでしょうか?
これ、物凄い領域に村田選手の成熟した自我が到達していることの証だと思いませんか?
仮に、僕が村田選手の立場であったならば、試合終了後に周囲の人々に「勝っていた、勝っていた」なんて言われたら、思わず、「WBAの裁定結果には承服しかねる」の一言を主張したくもなるし、逆に、それを自分自身が主張しなければならない…と思うのではないか?
だって、自分が全てを犠牲にして練り上げて来たものが「否定」されてしまうわけで、自分のこれまでを、自分の努力を、せめて自分自身で擁護せねば、「自分を保てない」のではないか?
僕があの時の村田選手の立場であったならば、涙を流して「異議」を唱えていたような気がする
が、村田選手の「自我」の成熟は、さらに困難にして険しい領域へと するするっ…と、自然に立ち入ってしまったのだ
つまり、もっと険しい領域とは、その「結果」と「責任」の全ては、自身の「力不足」に『起因』していたのだ、と認めることであり、これこそはもっとも厳しい「苦行」に挑む決心と覚悟を示しているのだ
悔しくないはずがない
やりきれないはずなのだ
納得できない、承服しかねるはずなのだ
…が、村田諒太は何の躊躇も見せず、そこへ、そのもっとも「苦して」「しんどい」領域へ踏み込んだのだ
…さて、村田選手には絶対にエンダムに打ち勝って欲しい
そして、さらなる「高み」に踏み込んでほしい
この戦いは単なる「WBA世界ミドル級タイトル」への挑戦という意味だけではない
村田諒太 という、日本屈指のアスリートの「自己探求」と「自己実現」への哲学的なる『挑戦』の軌跡でもあるのだ
僕はチャンピオンベルトの輝きよりも、村田諒太というボクサーの「哲学者」としての到達点に興味が尽きないのだ…と書いたら不謹慎だろうか?
ただ、これだけは言える
村田諒太というボクサーは、間違いなく前回よりも身も心もさらに「強靭」になって帰ってくる…と断言しよう
…という次第で、ブログの新しいテーマとして、「求道者 村田諒太の挑戦」というカテゴリーを作ってしまいました
御愛読感謝
つづく